2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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帰京する前に、「土曜日にお土産を渡しに行くからね」と彼女に伝えてあったんだけど、昨夜にメッセンジャーで「来ないでくれ」と連絡があった。僕が帰省している間、ずっと状態が良くなかったのは知っていた。それ以前も悪かったので、(会っていないからよくわからないけど)悪化している様に感じる。
顔を出せなくても、届けてドア傍に置いておくからといっても「気になって休めない」と。気持ちは解らないでもないけど、ちょっと異常な感じさえする。
僕もよく経験するけど、「失語症」のようにスムーズに言葉が出てこないみたいだったので、メッセンジャーでもあまり難しい会話をしないようにした。本当は話したいことがたくさんあったけど、気が向いたときに彼女がこの日記を見てくれれば気持ちが伝わるといいなと淡い期待を持って書いてみた。
彼女が今も勤める会社は、僕が勤めていた会社で内面、人という意味ではとても良い会社です。僕はこの中で20歳から11年間勤めていました。自分を拾ってくれた会社に対する「御恩」に対して誠意を尽くし、通すことは僕の「美学」でもあり、一生懸命に働いて「奉公」を尽くし続けたつもりでしたが、過労と重なり「裏切り」にも似た会社の仕打ちに自分自身の精神が破たんをしてしまい、あるとき身体がストライキを起こしました。
起きようと思っても身体が動かず、起きられても電車に揺られて会社に近づくにつれて身体に震えが起き、駅から会社までの徒歩の足が前に進まない状況でした。なんとか職場に着いても、頭が回転せず仕事にならず、精神安定剤を飲んでもボーっとしてしまい結局仕事にならない。
自分はプロとしての責任を全うできないと悟った時、仕事を辞めるという選択肢しか頭に浮かびませんでした。「設計」という頭脳が資本の仕事でしたから、鬱という状態ではどうあがいても本領を発揮できない・・・という以前に仕事として成立しません。この職種と鬱病は折り合いが付きにくく、選択肢が限られるという点では非常に不幸でした。
社会人になって、1つの会社の中しか見えなかった「社会」。だけど、キッカケはどうあれ、そこから抜け出して忙しくてロクに関心を持てなかった日本という国や色々な企業、人間。視界が一気に広がって、自分がいかに「井の中の蛙」であったかを身を持って知った。同時に、内面しか見えず、ただひたすら信じて邁進してきた元職場を客観的に見るようになって、組織、企業としてのずさんさ、在り方の問題など、見えなかった部分がハッキリと見えるようになりました。
僕はなりゆき上その職場を辞めざるを得なくなって辞めたけど、結果として、一生を捧げるに値する会社ではなかったという事を知り、それはラッキーでした。
彼女はそんな職場で、自分の生きる道、生きる甲斐を見出しているつもりかもしれませんが、心身もプライベートもすでに破綻に向かっているのです。彼女に必要なのはとにかく「休養」。
僕は再三にわたって「休職」を促していますが、それに彼女は聞く耳を持ちません。一度、僕のように「廃人」のようにブッ壊れてみないと理解できないのかも知れませんが、僕と同じテツを踏んでほしくはないのが本音です。休職をすれば、責任放棄をしたかのような錯覚で自分を責めて辛い時期もあるだろうけど、時間が心身を癒し、同時に視野は広がるでしょう。また、精神障害に対しての認識が立ち遅れている会社にとっても、そういう実例が重要な糧にもなる可能性があります。
自分が尽くしたい会社に長く勤めて職責を全うするために、ここはひとまず一歩「退いてみる」と言う事が如何に重要なことであるかを知って貰いたい。
このまま無理をすれば彼女に待つのは悪い結末である事を思うと、辛くて辛くて仕方がない。彼女が生きたい道は、一歩下がった先にあるという事を、僕は彼女に伝えたいんだ。
顔を出せなくても、届けてドア傍に置いておくからといっても「気になって休めない」と。気持ちは解らないでもないけど、ちょっと異常な感じさえする。
僕もよく経験するけど、「失語症」のようにスムーズに言葉が出てこないみたいだったので、メッセンジャーでもあまり難しい会話をしないようにした。本当は話したいことがたくさんあったけど、気が向いたときに彼女がこの日記を見てくれれば気持ちが伝わるといいなと淡い期待を持って書いてみた。
彼女が今も勤める会社は、僕が勤めていた会社で内面、人という意味ではとても良い会社です。僕はこの中で20歳から11年間勤めていました。自分を拾ってくれた会社に対する「御恩」に対して誠意を尽くし、通すことは僕の「美学」でもあり、一生懸命に働いて「奉公」を尽くし続けたつもりでしたが、過労と重なり「裏切り」にも似た会社の仕打ちに自分自身の精神が破たんをしてしまい、あるとき身体がストライキを起こしました。
起きようと思っても身体が動かず、起きられても電車に揺られて会社に近づくにつれて身体に震えが起き、駅から会社までの徒歩の足が前に進まない状況でした。なんとか職場に着いても、頭が回転せず仕事にならず、精神安定剤を飲んでもボーっとしてしまい結局仕事にならない。
自分はプロとしての責任を全うできないと悟った時、仕事を辞めるという選択肢しか頭に浮かびませんでした。「設計」という頭脳が資本の仕事でしたから、鬱という状態ではどうあがいても本領を発揮できない・・・という以前に仕事として成立しません。この職種と鬱病は折り合いが付きにくく、選択肢が限られるという点では非常に不幸でした。
社会人になって、1つの会社の中しか見えなかった「社会」。だけど、キッカケはどうあれ、そこから抜け出して忙しくてロクに関心を持てなかった日本という国や色々な企業、人間。視界が一気に広がって、自分がいかに「井の中の蛙」であったかを身を持って知った。同時に、内面しか見えず、ただひたすら信じて邁進してきた元職場を客観的に見るようになって、組織、企業としてのずさんさ、在り方の問題など、見えなかった部分がハッキリと見えるようになりました。
僕はなりゆき上その職場を辞めざるを得なくなって辞めたけど、結果として、一生を捧げるに値する会社ではなかったという事を知り、それはラッキーでした。
彼女はそんな職場で、自分の生きる道、生きる甲斐を見出しているつもりかもしれませんが、心身もプライベートもすでに破綻に向かっているのです。彼女に必要なのはとにかく「休養」。
僕は再三にわたって「休職」を促していますが、それに彼女は聞く耳を持ちません。一度、僕のように「廃人」のようにブッ壊れてみないと理解できないのかも知れませんが、僕と同じテツを踏んでほしくはないのが本音です。休職をすれば、責任放棄をしたかのような錯覚で自分を責めて辛い時期もあるだろうけど、時間が心身を癒し、同時に視野は広がるでしょう。また、精神障害に対しての認識が立ち遅れている会社にとっても、そういう実例が重要な糧にもなる可能性があります。
自分が尽くしたい会社に長く勤めて職責を全うするために、ここはひとまず一歩「退いてみる」と言う事が如何に重要なことであるかを知って貰いたい。
このまま無理をすれば彼女に待つのは悪い結末である事を思うと、辛くて辛くて仕方がない。彼女が生きたい道は、一歩下がった先にあるという事を、僕は彼女に伝えたいんだ。
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約12時間の長距離バスを降りて、ひさしぶりの東京・新宿です。
寝不足の目には痛い朝日がお出迎えしてくれました。
夜行バスで母がリラックスできるかを心配していましたが、その心配をヨソに隣で大イビキをかいて、他の方のイビキの大合唱をしていました。母は実家に居るときは、マッサージチェアで昼寝をしている事が多くて、椅子に座って眠ることには人一倍慣れているうえ、この夜行バスはシートがかなりリクライニングするのです。(最大150度)
しかし、耳にイヤフォンを入れている母は、果てしなくいびきが大きくなっていくので、隣に居る僕が、ときおり鼻をつまんでやると「ガッ」といって・・・起きるのか?と思いきや、起きずに静かになります。
新宿で軽い朝食をと、西武新宿駅前のマクドナルドに入りました。
3回の喫煙スペース。すると、お水系の人の仕事明け(お持ち帰り)っぽいのと、夜を過ごしたと思われる若者が10人足らず。目の前に座っていた男2人と女性1人。女性は壁にしなだれるように寄り掛かって寝ていた。
これが、いわゆる「難民」ってやつかー。はじめて見ました。
男2人は友達のようだったけど会話もなく。ポツリと「喋ると腹へるから」と言ったのが聞こえた。
モンスターシティ「TOKYO」の縮図を見たような、そんな気持ちになったね。
まさか朝から目を覆いたいような現状にまみえてしまうとは思いませんでした。母と「日本の将来、どうなるのかねー」なんて会話をしてました。
新宿・台場・東京。ビルや大型商業施設が立ち並び、TOKYOブランドを演出しているけど、それは着飾っているだけ。現実の壁に阻まれる多くの若者が、「難民」となって泥にまみれるような生活を送っているんだ。
寝不足の目には痛い朝日がお出迎えしてくれました。
夜行バスで母がリラックスできるかを心配していましたが、その心配をヨソに隣で大イビキをかいて、他の方のイビキの大合唱をしていました。母は実家に居るときは、マッサージチェアで昼寝をしている事が多くて、椅子に座って眠ることには人一倍慣れているうえ、この夜行バスはシートがかなりリクライニングするのです。(最大150度)
しかし、耳にイヤフォンを入れている母は、果てしなくいびきが大きくなっていくので、隣に居る僕が、ときおり鼻をつまんでやると「ガッ」といって・・・起きるのか?と思いきや、起きずに静かになります。
新宿で軽い朝食をと、西武新宿駅前のマクドナルドに入りました。
3回の喫煙スペース。すると、お水系の人の仕事明け(お持ち帰り)っぽいのと、夜を過ごしたと思われる若者が10人足らず。目の前に座っていた男2人と女性1人。女性は壁にしなだれるように寄り掛かって寝ていた。
これが、いわゆる「難民」ってやつかー。はじめて見ました。
男2人は友達のようだったけど会話もなく。ポツリと「喋ると腹へるから」と言ったのが聞こえた。
モンスターシティ「TOKYO」の縮図を見たような、そんな気持ちになったね。
まさか朝から目を覆いたいような現状にまみえてしまうとは思いませんでした。母と「日本の将来、どうなるのかねー」なんて会話をしてました。
新宿・台場・東京。ビルや大型商業施設が立ち並び、TOKYOブランドを演出しているけど、それは着飾っているだけ。現実の壁に阻まれる多くの若者が、「難民」となって泥にまみれるような生活を送っているんだ。
もう間もなく、帰京のため実家を出発です。
たまたま東京に用事がある母と一緒に夜行バスで帰京します。父は今朝、ひとあし先に帰京してもう着いたようです。
草刈り機が動かなくなってしまいました
立つ鳥、後を濁して帰京しまーす。
自宅に残した捨て忘れた生ゴミ。部屋がどうなってるか心配です。
あと、階段当番の引き継ぎも。。。
たまたま東京に用事がある母と一緒に夜行バスで帰京します。父は今朝、ひとあし先に帰京してもう着いたようです。
草刈り機が動かなくなってしまいました
立つ鳥、後を濁して帰京しまーす。
自宅に残した捨て忘れた生ゴミ。部屋がどうなってるか心配です。
あと、階段当番の引き継ぎも。。。

2度ほどハードディスクが致命傷に陥るなどしましたが、延命措置をしてなんとか生きながらえています。写真のように隣のパソコンと比べても画面が暗いのが解ります。バックライトにもそろそろ寿命の時が近いのかもしれません。
新しいのを買うお金もないので、なんとか頑張ってもらわないといけないのです。。。これからも頼みます。わが分身

それで、写真の左側にあるパソコンなんですが、こちらは現愛機の前に使っていた旧愛機"SONY PCG-U3"です。
第1期サラリーマン晩年は現場出張が多くて、出先で納品物のチェックなどはもちろん、書類を作成したりメールをしたりと僕の仕事柄、パソコンはどこに行くにも必需品だったのですが、当然出張ともなれば、着替えやら工具やらも持たなくてはならず、なにより現場は狭いことが多い

というわけで、小型軽量を追求した結果、この愛機に辿り着きました。現愛機がB5版ですから、どれほどの小ささかはお解り戴けるでしょう!表示される文字の大きさもわずか2~3mm程度で、下手すりゃ携帯の文字より小さいですが、幸いまだ老眼ではないのでハッキリ読めます。
現愛機を酷使してきましたが、これからは旧愛機を現役復帰させて用途を分散して休ませてやろうと思います。しかし、もう6~7年前の、しかもモバイル機種なので、仕事が遅い遅い


今朝は少し寝坊をした。今月はちゃんと起きられない日が多い。
先日母が、知人でもう齢70を超える方なんだけど、使ってるワープロの調子が悪くなって娘さんにパソコンを買って貰ったものの、どうしてよいやら困ってるという相談を持ちかけられたらしく、「そういう事ならウチの息子がやれるよ」という話の流れになって、僕のところに話が回ってきた。
先週の月曜日にお宅訪問をする約束になっていたんだけど、動くことすらできないという最悪の体調に重なってしまいお断りしてしまった。今日はそのリベンジ。
さんざん迷子になって、約束の時間を少しオーバーして到着。
調子が悪いというワープロを診てから話の経緯を聞くと、もうだいぶ古い機械なのでメーカーも面倒を見たくないという意図が見えるような話。だからと言って、「今の時代はパソコンなんだから」と急に言われても、70歳を超える御高齢じゃあ、いくらなんでも酷な話だよ。。。
ただ機械が年代物で、いつダメになるか分からないのも現実。少しずつパソコンを覚えて貰って、そこに面白さや興味が出てくれば、ワープロをパソコンに置き換えてみようという気持ちにもなるかもしれないし、まずはワープロには無かった「マウス」の操作に慣れてみましょうね、という事でトランプゲームを教えて今日はおしまい。
ワープロは預かって帰ってきた。明日メンテナンスしてみようと思う。
「百歳クラブ」でパソコン教室に参加したり、御高齢の方々と接した経験が役に立った。本当は何週間もかけて、ひとつひとつ、ゆっくりと教えてあげたいんだけど、残念ながら僕は来週帰京です。
先日母が、知人でもう齢70を超える方なんだけど、使ってるワープロの調子が悪くなって娘さんにパソコンを買って貰ったものの、どうしてよいやら困ってるという相談を持ちかけられたらしく、「そういう事ならウチの息子がやれるよ」という話の流れになって、僕のところに話が回ってきた。
先週の月曜日にお宅訪問をする約束になっていたんだけど、動くことすらできないという最悪の体調に重なってしまいお断りしてしまった。今日はそのリベンジ。
さんざん迷子になって、約束の時間を少しオーバーして到着。
調子が悪いというワープロを診てから話の経緯を聞くと、もうだいぶ古い機械なのでメーカーも面倒を見たくないという意図が見えるような話。だからと言って、「今の時代はパソコンなんだから」と急に言われても、70歳を超える御高齢じゃあ、いくらなんでも酷な話だよ。。。
ただ機械が年代物で、いつダメになるか分からないのも現実。少しずつパソコンを覚えて貰って、そこに面白さや興味が出てくれば、ワープロをパソコンに置き換えてみようという気持ちにもなるかもしれないし、まずはワープロには無かった「マウス」の操作に慣れてみましょうね、という事でトランプゲームを教えて今日はおしまい。
ワープロは預かって帰ってきた。明日メンテナンスしてみようと思う。
「百歳クラブ」でパソコン教室に参加したり、御高齢の方々と接した経験が役に立った。本当は何週間もかけて、ひとつひとつ、ゆっくりと教えてあげたいんだけど、残念ながら僕は来週帰京です。
29日の帰京を控え、実家の滞在も残すところ10日あまりになった。
いろいろと課題を用意して帰省したものの、ちょうど季節の変わり目だったんが悪かったか、自分の身体すら思い通りにならないまま、ただ時間が過ぎて行ったような感じで、もったいなくて悔しい。
あと残った時間でどれほどの事が出来るか解らないけれども、何か1つ1つ着実にやっていきたいなーと思う。あまり気負いしてしまわない程度に。でも、ある段階からストレスに身を晒しながら精神を鍛えて行くのも必要なのかなーと思う今日この頃。
今日はすこし寝坊してしまったものの日中は割と心身とも軽かったので良かった。シーズンを終えた草刈り機のオーバーホールを父から頼まれてやった。
父は僕を決して評価しない。
サラリーマンとして一緒に仕事をしていた当時からそうだったけど、僕は「電気」という分野を業(なりわい)としながらも、パソコンではプログラマーとしてやっていたり、機械をメンテナンスしたりと、主軸から活躍の場を拡げて専門的な経験を周囲の多くの人たちが「驚いて」くれて、いわゆる「機械」のようなものをイジらせたら何でもできると信頼して貰えるのが嬉しくて快感だった。
父は、僕が専門学校に進んだ頃から「所詮、専門学校でしょ」と侮られた。社会人になってもそうだった。
僕は見下されていた様な錯覚に陥ることもしばしばあった。「電気」「機械」「コンピュータ」などは、すべて異なる(畑が違う)分野だけど、1人でそれら全てにある程度見識を深めてきたという事が、どれだけの努力の結晶であるかという事には共感もなければ関心もなく、結局のところ僕は評価されるに値しない。
父は命続く限り「僕を評価しないだろう」と思う。
僕自身、今現在まで「強い劣等感」に縛られ続けている。思えば、その劣等感の根源は、どれほど頑張っても、どれほど素質を高めても、僕を評価してくれることはない父への想いなのかもしれないなぁ~と思い至った。心のどこかで、今までの努力や、人間的にも技術的にも成長をした自分を父に認めて貰いたいと思っているのかな。
ただ、とても奇怪なのは、そんな父は僕が帰省をすると、こと機械に関してはなんでもメンテナンスを言い付ける。知識やテクニックがなければ出来ない事(父には当然できない)なのに、あたりまえの様に・・・。
口では言わないけど、それが父の僕に対する「信頼」の表現なのかなーと思うと嬉しくて、今回の草刈り機のメンテナンスには自然とチカラが入った。
メンテナンスが終わってキレイにリフレッシュした草刈り機を見て、母は「ネジが余らなかったの、すごい
」と超低次元のお褒め言葉を戴いた。が、父は「できてあたりまえ」といったご様子で、「はい、ごくろうさん」と1000円くれた。。。
気位が無限に高い父を超えるのは無理そう。。。
だけど、手を油だらけにしてメンテナンスした草刈り機が快調に動いた瞬間には、やっぱり僕はこういう事が好きで勉学や経験を積んで、それらは自分にとって「かけがえのない財産」になっているんだなーという実感を改めるに十分な機会でした。
いろいろと課題を用意して帰省したものの、ちょうど季節の変わり目だったんが悪かったか、自分の身体すら思い通りにならないまま、ただ時間が過ぎて行ったような感じで、もったいなくて悔しい。
あと残った時間でどれほどの事が出来るか解らないけれども、何か1つ1つ着実にやっていきたいなーと思う。あまり気負いしてしまわない程度に。でも、ある段階からストレスに身を晒しながら精神を鍛えて行くのも必要なのかなーと思う今日この頃。
今日はすこし寝坊してしまったものの日中は割と心身とも軽かったので良かった。シーズンを終えた草刈り機のオーバーホールを父から頼まれてやった。
父は僕を決して評価しない。
サラリーマンとして一緒に仕事をしていた当時からそうだったけど、僕は「電気」という分野を業(なりわい)としながらも、パソコンではプログラマーとしてやっていたり、機械をメンテナンスしたりと、主軸から活躍の場を拡げて専門的な経験を周囲の多くの人たちが「驚いて」くれて、いわゆる「機械」のようなものをイジらせたら何でもできると信頼して貰えるのが嬉しくて快感だった。
父は、僕が専門学校に進んだ頃から「所詮、専門学校でしょ」と侮られた。社会人になってもそうだった。
僕は見下されていた様な錯覚に陥ることもしばしばあった。「電気」「機械」「コンピュータ」などは、すべて異なる(畑が違う)分野だけど、1人でそれら全てにある程度見識を深めてきたという事が、どれだけの努力の結晶であるかという事には共感もなければ関心もなく、結局のところ僕は評価されるに値しない。
父は命続く限り「僕を評価しないだろう」と思う。
僕自身、今現在まで「強い劣等感」に縛られ続けている。思えば、その劣等感の根源は、どれほど頑張っても、どれほど素質を高めても、僕を評価してくれることはない父への想いなのかもしれないなぁ~と思い至った。心のどこかで、今までの努力や、人間的にも技術的にも成長をした自分を父に認めて貰いたいと思っているのかな。
ただ、とても奇怪なのは、そんな父は僕が帰省をすると、こと機械に関してはなんでもメンテナンスを言い付ける。知識やテクニックがなければ出来ない事(父には当然できない)なのに、あたりまえの様に・・・。
口では言わないけど、それが父の僕に対する「信頼」の表現なのかなーと思うと嬉しくて、今回の草刈り機のメンテナンスには自然とチカラが入った。
メンテナンスが終わってキレイにリフレッシュした草刈り機を見て、母は「ネジが余らなかったの、すごい

気位が無限に高い父を超えるのは無理そう。。。
だけど、手を油だらけにしてメンテナンスした草刈り機が快調に動いた瞬間には、やっぱり僕はこういう事が好きで勉学や経験を積んで、それらは自分にとって「かけがえのない財産」になっているんだなーという実感を改めるに十分な機会でした。
これも見たくない人が多いかも・・・。お見苦しい記事が続いてすいません。
でも、かわいいやつなんです。
我が家にある狭い畑の一角で茂っている「パセリ」に住みついてます。
とてもキレイな「ナチュラルグリーン」で、なでなですると、ペロッと(くさい臭いを出す)黄色い舌を出します。
母にとっては、パセリを食い荒らす「天敵」なわけで、案の定、即駆除の司令が出ましたが、「この子はきっと奇麗なアゲハ蝶になるよ」と言って放し飼いにしています。
母は蝶ちょも嫌いらしく、断固駆除。というわけで、彼の住所は教えずにいます。