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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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2011年3月11日(金) 14時46分
いつもと変わらない昼下がり、国会中継を見ていた。突如大きな地震に見舞われた。

後に、東北地方太平洋沖地震と名付けられたこの地震は、東北関東大震災東日本大震災)となる。


オンボロ団地の4階は良く揺れて、南北にある古くなったサッシは「ガシャガシャ」とまるで打楽器のように鳴り響き、これはいかんと思って、玄関扉を開放して階段を下り地上に出た。屋内では、上下左右にシェイクされているように早い振動で揺れたが、地上では、ゆうらりと、まるで船上に居るかのような緩やかで大きなうねりを感じた。
サッシがおんぼろなのは我が家だけではないので、団地全体のサッシが「どうだ、こんなに揺れてるぞー!」とそれぞれが自己主張を競っているかのように激しく鳴った。

平日の昼間だったので、在宅している人が少なかったと思うが、そのうち10人強くらいの人たちが外に出てきた。「間もなく津波が来るので高台に避難して下さい!」と言っている。

いまとなっては、非常に不謹慎だったが、津波が来るとは言っても、防波堤もあれば堤防もあり、実際、映し出されている映像は、建物が倒壊してしまった様子もなく平穏だった。普段は見られないような荒波、波しぶきが見られるものという興味本位で映像を見ていたら、それは数分後に大惨劇になった。

高いところからの映像は「高さ」が解りにくくなる。津波は荒れ狂ったという様子ではなく、淡々と街や集落を飲み込んでいった。その場に居合わせた人たちにとっては、まるで目の前で巨大怪獣が襲い掛かってくるかのような恐怖があったと思う。
上空から映し出される津波が、アメーバのように粛々とその領域を侵略していく様子が恐ろしく、まるでこの世で、この同じ日本で、いままさに現実に起こっているという事を自覚するのに、とても時間が掛かった。

なにをするという事もなく、茫然自失だったと思う。飛ぶように時間が過ぎた。
陽が低くなり、あたりが暗くなろうかという時に、福島の原子力発電所のダメージが顕在化するものとなり、大きな衝撃が走った。同日夜の官房長官会見で、原子力緊急事態宣言が発令された。
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