2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
Twitter
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
クリックをお恵み下さい
カテゴリー
ブログ内検索
フリーエリア
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
29日の帰京を控え、実家の滞在も残すところ10日あまりになった。
いろいろと課題を用意して帰省したものの、ちょうど季節の変わり目だったんが悪かったか、自分の身体すら思い通りにならないまま、ただ時間が過ぎて行ったような感じで、もったいなくて悔しい。
あと残った時間でどれほどの事が出来るか解らないけれども、何か1つ1つ着実にやっていきたいなーと思う。あまり気負いしてしまわない程度に。でも、ある段階からストレスに身を晒しながら精神を鍛えて行くのも必要なのかなーと思う今日この頃。
今日はすこし寝坊してしまったものの日中は割と心身とも軽かったので良かった。シーズンを終えた草刈り機のオーバーホールを父から頼まれてやった。
父は僕を決して評価しない。
サラリーマンとして一緒に仕事をしていた当時からそうだったけど、僕は「電気」という分野を業(なりわい)としながらも、パソコンではプログラマーとしてやっていたり、機械をメンテナンスしたりと、主軸から活躍の場を拡げて専門的な経験を周囲の多くの人たちが「驚いて」くれて、いわゆる「機械」のようなものをイジらせたら何でもできると信頼して貰えるのが嬉しくて快感だった。
父は、僕が専門学校に進んだ頃から「所詮、専門学校でしょ」と侮られた。社会人になってもそうだった。
僕は見下されていた様な錯覚に陥ることもしばしばあった。「電気」「機械」「コンピュータ」などは、すべて異なる(畑が違う)分野だけど、1人でそれら全てにある程度見識を深めてきたという事が、どれだけの努力の結晶であるかという事には共感もなければ関心もなく、結局のところ僕は評価されるに値しない。
父は命続く限り「僕を評価しないだろう」と思う。
僕自身、今現在まで「強い劣等感」に縛られ続けている。思えば、その劣等感の根源は、どれほど頑張っても、どれほど素質を高めても、僕を評価してくれることはない父への想いなのかもしれないなぁ~と思い至った。心のどこかで、今までの努力や、人間的にも技術的にも成長をした自分を父に認めて貰いたいと思っているのかな。
ただ、とても奇怪なのは、そんな父は僕が帰省をすると、こと機械に関してはなんでもメンテナンスを言い付ける。知識やテクニックがなければ出来ない事(父には当然できない)なのに、あたりまえの様に・・・。
口では言わないけど、それが父の僕に対する「信頼」の表現なのかなーと思うと嬉しくて、今回の草刈り機のメンテナンスには自然とチカラが入った。
メンテナンスが終わってキレイにリフレッシュした草刈り機を見て、母は「ネジが余らなかったの、すごい」と超低次元のお褒め言葉を戴いた。が、父は「できてあたりまえ」といったご様子で、「はい、ごくろうさん」と1000円くれた。。。
気位が無限に高い父を超えるのは無理そう。。。
だけど、手を油だらけにしてメンテナンスした草刈り機が快調に動いた瞬間には、やっぱり僕はこういう事が好きで勉学や経験を積んで、それらは自分にとって「かけがえのない財産」になっているんだなーという実感を改めるに十分な機会でした。
いろいろと課題を用意して帰省したものの、ちょうど季節の変わり目だったんが悪かったか、自分の身体すら思い通りにならないまま、ただ時間が過ぎて行ったような感じで、もったいなくて悔しい。
あと残った時間でどれほどの事が出来るか解らないけれども、何か1つ1つ着実にやっていきたいなーと思う。あまり気負いしてしまわない程度に。でも、ある段階からストレスに身を晒しながら精神を鍛えて行くのも必要なのかなーと思う今日この頃。
今日はすこし寝坊してしまったものの日中は割と心身とも軽かったので良かった。シーズンを終えた草刈り機のオーバーホールを父から頼まれてやった。
父は僕を決して評価しない。
サラリーマンとして一緒に仕事をしていた当時からそうだったけど、僕は「電気」という分野を業(なりわい)としながらも、パソコンではプログラマーとしてやっていたり、機械をメンテナンスしたりと、主軸から活躍の場を拡げて専門的な経験を周囲の多くの人たちが「驚いて」くれて、いわゆる「機械」のようなものをイジらせたら何でもできると信頼して貰えるのが嬉しくて快感だった。
父は、僕が専門学校に進んだ頃から「所詮、専門学校でしょ」と侮られた。社会人になってもそうだった。
僕は見下されていた様な錯覚に陥ることもしばしばあった。「電気」「機械」「コンピュータ」などは、すべて異なる(畑が違う)分野だけど、1人でそれら全てにある程度見識を深めてきたという事が、どれだけの努力の結晶であるかという事には共感もなければ関心もなく、結局のところ僕は評価されるに値しない。
父は命続く限り「僕を評価しないだろう」と思う。
僕自身、今現在まで「強い劣等感」に縛られ続けている。思えば、その劣等感の根源は、どれほど頑張っても、どれほど素質を高めても、僕を評価してくれることはない父への想いなのかもしれないなぁ~と思い至った。心のどこかで、今までの努力や、人間的にも技術的にも成長をした自分を父に認めて貰いたいと思っているのかな。
ただ、とても奇怪なのは、そんな父は僕が帰省をすると、こと機械に関してはなんでもメンテナンスを言い付ける。知識やテクニックがなければ出来ない事(父には当然できない)なのに、あたりまえの様に・・・。
口では言わないけど、それが父の僕に対する「信頼」の表現なのかなーと思うと嬉しくて、今回の草刈り機のメンテナンスには自然とチカラが入った。
メンテナンスが終わってキレイにリフレッシュした草刈り機を見て、母は「ネジが余らなかったの、すごい」と超低次元のお褒め言葉を戴いた。が、父は「できてあたりまえ」といったご様子で、「はい、ごくろうさん」と1000円くれた。。。
気位が無限に高い父を超えるのは無理そう。。。
だけど、手を油だらけにしてメンテナンスした草刈り機が快調に動いた瞬間には、やっぱり僕はこういう事が好きで勉学や経験を積んで、それらは自分にとって「かけがえのない財産」になっているんだなーという実感を改めるに十分な機会でした。
PR
この記事にコメントする