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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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昨晩は、いつも元気なお姉さんから元気を分けて貰って旅行2日目に突入です。
普通の社会人にとっては、今日もいつもどおりの平日。お姉さんは朝早くに出勤していきました。昨夜遅くまで付き合わせてしまって悪いことをした。

久しぶりに多めのアルコールを戴いてしまったので、眠れずに寝不足。
しかも、ほぼ1日、コンタクトレンズを入れていたので、目がショボショボ・・・。開かない目にコンタクトレンズをネジ込んで出発です。

岩国でいつもお世話になっているファミレスのジョイフル

本店は大分なのです。

数年前まで、ドリンクバーのコーヒーがメチャクチャ不味かったのが、うまかった(なんのこっちゃ)。貧乏舌なものですから・・・ 「こっち(岩国)では二番煎じを使っている」と勝手に思い込んでいたのですが、この論理でいくと、本社のある大分では、さぞ美味いコーヒーが出るものと楽しみにしておりました。


普通でした。



別府を出発して、東南へ。佐賀関(さがのせき)港から九四国道フェリーで四国に渡ります。九州の半島から四国の半島へ渡る最短航路で、わずか70分で到着します。

このフェリー。国道フェリーという名前の通り、佐賀関港(大分)からの道と、三崎港(愛媛)からの道は同じ国道197号線。つまり、海で道が千切れてるようになっています。フェリーも国道197号線の一部の役割を果たしているんですね。

初日に搭乗したフェリーと比較にならないくらいの立派なフェリーでした。乗客もマズマズ。写真は展望席です。

しかし、沖に出ると大揺れ。
やはり内海でないと、こうまで揺れるものかとも思いましたが、この日も天気が悪く強風が吹き荒れて時化気味。30分ほどで、2人とも船酔いでグッタリ。航行時間が1時間程度で命拾いしました。

母もだいぶ参っていましたが、「いつもこんな酷いの?」という事がすごく気になる様子で、また乗りたいとか言ってます。僕はもう結構です。
 
愛媛県佐田岬、三崎港に到着して、佐賀関で途切れた国道197号線を東へ向かいます。ここからは僕が運転。めざすは、四国電力伊方原子力発電所を一望できる、道の駅「伊方きらら館」。

これが大変でした。
強風に煽られ、そして霧。前後を走る車もハンドルを取られて右へ左へと流されているのが見えます。そして例外なく、ウチのベンツも人より多めに流されてます(笑)
トンネルも多くて、非常に刺激的なドライブになりました。

終始、絶叫マシンのようなドライブでしたが、懐かしい情景を感じながら目的地へ到着。

目的地の道の駅は、病気を発症して職責を全うできなかった僕にとっては最大の因縁の場所なのです。
写真の一番上には、道の駅で唯一、食べ物を売っているお店で、仕事で来ていたとき、食事処が近所になく困っていて、ご飯の変わりにここでソフトクリームを買って食べてました。
この日は強風と悪天候で寒く、暖かいものが恋しくて「手作りすり身コロッケ」なるものを購入。1個シャク円。うまかった。

2枚目の写真は「きらら館」。
様子は5年前と些かの変わりもなかったけど、中に入ったら楽しくなってた。
ハリセンボンを巨大水槽で飼育していて、エサやり体験もできるとの事。母が「エサあげたい」と挑戦(4枚目)

エサやりの窓から小えびを入れると、魚がすごい勢いで寄ってきます。勢いあまって水槽から飛び出してしまう子もいるらしく、「飛び出したら水槽に戻してあげてね」という表示がありました。

元気なことは、いいことだ。
エサやりの評判は上々らしく、魚が若干メタボ気味だとか。

一番下の写真は、県管轄のモニタリングステーションと呼ばれる場所です。ほったて小屋は昔と変わらずフェンスに遮られていて中を覗くことはできませんでしたが、記憶が蘇るのには十分でした。

当時のアホな上司のおかげで、あの中で軟禁状態になりました。

建物に罪はありませんが、石の一つでも投げようかと思ったところ、不運にも周囲に県の職員がウヨウヨしていたので、早々に退散させて戴きました。


伊方原子力発電所は、残念ながら霧と森に遮られて一望できませんでしたが、伊方ビジターハウス(原発資料館)に寄り道をしてきました。反原発論者の母は、なかなかこういう施設を伺う機会が無いと思うので、薄れた知識を駆使して説明を添えながら案内して、茶と土産を戴いて帰ってきました。





案の定、ゆっくりしすぎてタイムロス。
ここからは、松山目指して爆走です。

松山の市街地には路面電車が通っていて、もちろん初めての軌道敷を伴う車道の経験です。
それだけでもオタオタしているのに、市街地は道が複雑で完全に迷子に。。。

運の良いことに、なんとかホテルにたどり着いて、一服する間もなく、約束をしていた母の友人との会席へ。

前日の疲れと船酔い・強風と霧と雨の中の愛媛横断で疲労困憊・・・ですが、おしゃべりは別
案の定、ここでも話まくって飲みまくって、0時前に散会。

母の世代、僕の世代、そして性別の違いによる社会の考え方。一つの同じテーマを共有しても、ほんとに様々な見え方があることを痛切に感じる。自分には見えなくて、他の人の視点から見える情報はとても貴重だなぁ。
それも一理、これも一理と納得できる話も、カッチリと折り合う話ばかりじゃない。そんな中で、より多くの平等性・公平性をもっとも重く考えようとするのが僕の習性のようだと気が付いた。

一人3500円のホテルは、値段の割にはマズマズで、文句なし。
ただし、隣で寝た母に、消灯後3分で大イビキをかかれては・・・逃げ場がなく、今夜も寝不足必至
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とうとう、フェリーの旅 出発の日です。

母と子とも、自他ともに認める生粋の方向音痴。
無謀にもコンパス不在の状態で、本州・九州・四国をドライブするという無謀な旅行の始まりです

ちなみに、今回のフェリー旅行では、周防灘・瀬戸内海をフェリーで3回渡ります。こちら山口では、高速道路料金の優遇策によって、フェリー会社が軒並み窮地に立たされているニュースが頻繁に流れます。地元に住まいする両親にとっては、この現状を他人事とは思えず心を痛めている様子でした。

僕は思いのほか高額な運賃に正直ビビって企画を倒そうかとも思いましたが、特に母の強い希望によりたくさんのフェリーを楽しみに入れることになったわけです。




まず家を出て山口県周南へ。周南と言われてピンと来ない人も徳山といえば有名かもしれません。
その徳山港から大分県の国東半島の北、竹田津港行きのフェリーが出ています。このフェリー乗り場が最初の目的地で、まずは僕の運転でスタートです。2時間弱程度の道のりです。

ここは母の庭でもあるのでナビゲーションに憂いはなく、僕の運転技術のみが問題でしたが、幸いにも難なく到着しました。途中で休憩と昼食調達のために入ったスーパーは、さすが徳山!(都会)と思わせるような大型スーパーで、入店した目の前で展開されていた手作りベーグル売り場で、(まんまと計略に嵌って)しこたま買い込みました。

徳山港からスオーナダフェリーで一路、竹田津へ。
5、6台の大型トラック。乗用車はなんと我が家のベンツ(HONDAの軽)のみ。

客室はごらんの通りで貸切状態。。。フェリー会社の悲鳴が聞こえるようです。


海からの絶景を期待しましたが、残念ながら梅雨初日ということもあり、霧と霞で視界不良。海風は寒い。お楽しみというわけには行きませんでした。

周防灘は内海なので波がなく、揺れがほとんど皆無だったのは幸いです。2時間の渡航でしたが、客室のソファー4席分に寝そべって過ごしました。


フェリーの注意書きに「ドック(駐車場所)でアイドリングしないように」と促されているにも関わらず、おかまいなしにトラックのエンジンをかけっぱなしでいる車が何台かあって・・・換気の悪いドックでの排気は、迷惑極まりないです。

しかもフェリーのメリットといえばガソリンの節約ですが、アイドリングしていたのでは走行しているのと同じです。業務で会社から経費が落ちるから、使わなきゃ損くらいに思っているのでしょうか。
モラルが欠如した人がなんと多いことかと、意思に反して悲観的になってしまいます。
竹田津港からは、山道を通って、富貴寺を目指します。

大きな道から外れた場所にあるため、土地勘ゼロ・方向音痴ペアにとっては最大の難所になります。
両子山(ふたごやま)を登って下るという山道ルートしかないため、右に左にと見通しの悪いカーブの多い道を行きました。名所が多いせいか、道路案内がしっかり整備されていたのが救いで、なんとか目的地に到着。

伯母から「お参りすると宝くじが当たるらしい」という情報を事前入手したため、それが先入観になってしまっていて、時を同じくして到着したどこかの観光バスに乗ったご一行を見て「ここに来る方は、宝くじが目的で・・・?」という話を聞いたところ


国宝です!


と一蹴。
それが参拝の目的。そりゃそうだ。
不純なのは

平日昼間、若いカップル一組の参拝客を見かけたのはビックリ。





それから県道を抜けて昭和の町へ。
昭和の文化を感じさせる古い町並みを再現した昭和ロマン蔵を堪能。僕の生きた昭和よりだいぶ前の設定だったけど、どこか懐かしく。。。おもしろかったが入館料がななしゃくえんはチト高い。
商店街のお店は、さびれた感じの中にもどこか満ちた活気があり、「岩国にも見習ってほしい」と思った。

だいぶ時間を費やしてしまい、あわてて宇佐神宮へ。
しかし、時間は17時を過ぎていて、すでに賑わいがない。駐車料金を払って参拝できないんじゃーもったいないということで、とりあえず行った気分になってスルー。

どこでどう時間配分を間違えたか、ちょうど帰宅ラッシュに巻き込まれそうな時間になったため、国道を避けて有料道路に入り、宇佐ICから一気に最終目的地の別府ICへ。
まさか高速の練習ができるとは思ってなかったので得した気分。別府まで900円。

それから別府ICは高いところにあって、温泉街を見渡せるところにあり、至るところから湯煙があがる風景を目の当たりにすることができた。まさに地獄谷だ。天気が悪く、ジメジメとしていたので、余計に煙が上がっていたらしい。印象的な光景をぜひ写真に収めたかったけど、ハンドル握っていたので写真はなし。

そこから転がり落ちるように、市街地へ。ハンドル握りながら冷や汗が出た。ジモティー達は、キツいカーブも慣れた裁きでロクに減速もせずに付いてくるのがプレッシャー。追い立てられるように転がした。アップアップで覚えてない。
さんざん迷って18時過ぎに目的地に、命からがら到着。

従姉(大分家老と呼んでいる)と久しぶりに再会して、酒をたらふく戴きながら、案の定、大分家老は「おしゃべり母子」の餌食に。疲れとおしゃべりは別。

伯父の別宅で宿を借りて初日は終了。
母は眠ると騒音を出すので隔離して就寝するも、酒の飲みすぎで薬が効かず眠れなかった。
明日からの旅行に備えて、資料出し。
特にルートマップの確認をした。なにしろ土地勘の全くないところに突入するので。

今回の旅行ではフェリーを3回、利用するんだけど、これが結構高い。事前にインターネット予約すると5%オフになるものもあって、コレを利用しない手はないなと予約を試みるも、「5日前までに」という制限付きで断念。

道路地図は、広域地図2枚と、ルートマップ。地元観光から出ている案内地図などで対応。詳細地図までは用意しきれなくて、迷ったらヤバいけど、基本的に国道・県道を通るので、案内標識がキチンと整備されていることを祈るのみ。


愛媛・松山で一泊するホテルは、ツインルーム朝食つき7000円という破格のホテル。口コミの内容も悪くなかったので決めたんだけど、あまりにも安すぎるので心配。

東横インもあって、価格もサービスも文句の付けようがないんだけど・・・3年前の障害者客室の不正改造疑惑や、事件発覚時にメディア露出した社長の、あの反省のカケラも感じさせない横暴な態度を思い出して止めた。

弱者を欺くようなホテルは、やっぱり信用できん。
明日から、本州→九州→四国と3州を車で旅してくることにしました。

移動ばかりで観光の時間はあまりないし、天気も悪そうなんだけれども、楽しみです。

うつ病になった時の仕事現場も見てくることが出来そうです。5年ぶりに行きます。

きっと何も変わっていないと思うけど、自分は変わったぞ!と訴えてこようと思います。


徳山からフェリーで一路、九州上陸。大分へ。

別府を通って、佐賀関からフェリーで四国上陸。愛媛県三崎へ。

そして愛媛県を陸路横断、松山へ行って、フェリーで柳井港。本州に戻ります。


途中、「メロディーライン」という路があって、これはひょっとしたら規制速度で走行すると、車内に音楽が聞こえるアレかなと、これも楽しみです。
人間というのは、「人間ウォッチング」に徹すれば、とても面白い。
十人十色というけど、発せられる色は意外性のない普通の色もあれば、知らない色で身を覆う人もいる。そういう色々な思考や心理に会うと、自分の思考はいかに狭いかを思い知らされる。

一つの事柄を考えるとき、まず自分で色々な事を考えるが、それも所詮は自分の視野の中の話。その視野を拡げるために一番簡単なのは、それと真逆の事を考える。一人で出来るのは、これが精一杯じゃないかなと思う。

でも、それでも、その事柄がどれほど的確に見えてるだろうか・・・。


テーブルの真ん中にリンゴを置いて決まった席に座る。
自分からは、せいぜいリンゴの半面しか見えない事に気が付く。
もう一人、対面に座ってもらって、情報を交換すると、より実体に近いリンゴの状態がわかる。

このリンゴの例を、先の「ある事柄」に置き換えると、人が多いほど核心に近づけることは容易に察しがつく。三人寄れば文殊の知恵の格言のとおりである。

それは解るが実践できない、面倒という人もいたりして・・・ただただ面白がっても居られないのが僕の性分。
人間の引き際というのは必ずある。

人生でも仕事でも、自分が次のステージに移ろうとする場面や、死が訪れる場合もそう。

そういう事を考えたとき、自分の抜けた穴が深くなりすぎないようにと、備えをしようと考える。それは、自分のステージの変化と同時並行的に進められるのが理想的。だけど、新たなステップは、まずは自分の一意で進むのに対して、既存の場面は色々な人間関係の中にあるだけに、事が進みにくい。

結果として、同時並行というのは、現実的には非常に困難で、現実は自分の事を行なう前に「身辺整理」という準備を周到に考えるわけだ。


こういう一連の考え方は、「後に周りの人への迷惑が掛からないように努力する」というロジックから導かれる事で、僕にとってはまったくもって当たり前の事。我が家でも当たり前のように会話として成立するんだけど、こういう通念が通用しない人も結構多いことに、いまさらながら驚いている。

「今、よければ良い」
「後のことは知らん」

というタイプの人。


まったく利害関係の無い人の話なら、「あっそぉー」で落ちるけど、そうでない人だとそういうわけにもいかない。
ただ、このタイプの人に、周りの事を考える必要性を諭したところで「なんで?」という答えが返ってくるのが関の山だ。

結局、ノーテンキな当人は何も考えずに気楽に時を過ごし、周囲にいる僕のようなタイプは、頼まれてもいないのに「次はどうなる?」という予測行動に奔走し、期待に一喜一憂する。そして、そのうち勝手に疲れてしまう。


「知らぬが仏」とか「ボケるが勝ち」って一番幸せな生き方だろうなって思うときもあるけど、それも不憫に感じられる事もあるし。。。かといって、気の多い性分は、無意識に歯をくいしばりしてしまって奥歯はガタガタ。すごいストレス。

結局、どっちが幸せな生き方なんだろう? と考えてしまいます。
少し前の話になるのですが、毎朝7時に散歩に出る母の供をしてきました。(この頃はいい感じで早起きが続いていたのですが、この日を境にぱったり起きられなくなってしまいました。。。)

野鳥に出会うことを期待して、カメラを首から下げて出かけましたら、近所では見たこともない子と出会い興奮!

母が、「ありゃ哲学者じゃ」

と言いました。母の言う哲学者は、サギやシギの類で、(写真のように)仁王立ちでジッとしている姿が、いかにも何か深く考え事をしている様に見えることが由来しているそうです。

いつも見るサギは首があるのに、この鳥は無い。しかも、キレイな青をまとっています。家に帰って図鑑で調べたら、これはゴイサギという鳥だそうです。

ずーっとこうして立っているんですが、彼はいったい何を想っているのでしょうね~。

「不景気じゃ、かなわんのぉ~」

という声が聞こえてきます。


帰り道では、川に大きな鯉が2匹。橋の上からズームで撮りました。


お地蔵さんをお参りしているおばあさんに遭遇して、「ライターの使い方がわからん」と悩んでいたので教えました。普通の100円ライター。。。こういう方もおられるんだとビックリしました。


それにしても、田舎住まいの方は働き者が多い・・・。みんなエラいです。見習わないと。
救える命
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