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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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仕事場のパソコンが逝った。。。

そんなに使ってないのに。

まだ勤めてた頃に、どうにも仕事が追いつかなくなって、自宅でやるために組み立てたものだから・・・6年は経つのかな。
重い腰を上げて、ARMの事に手を付け始めた矢先の話。


「やめとけ」っつー神のおぼし召しだろか
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来週、ちょうど安い便がありそうなので、帰京することにしました。

運転練習が第一の目的での帰省でしたが、だいぶ上手になったと思います。

あと、欲を言えば、仕事関係のことを色々とやりたかったのですが。思えばやり残したことも多々あって、なんだかスッキリしない帰京になりそうです。

一足先に、母が明日から上京して、ちょうど入れ替わりで僕が帰京する運びになりそうです。
6月14日の朝、寝ぼけた頭に信じられないニュースが直撃しました。


13日夜、プロレスリング・ノアの選手(兼社長)の三沢光晴が試合中に亡くなったというニュースでした。


三沢選手は、僕がプロレスに夢中だった14~5年前、まだG.馬場が健在だったころ、2代目タイガーマスクとして活躍したのちにマスクを脱いで、若手実力者4名「四天王」として活躍していました。全日本の「四天王」、新日本の「闘魂三銃士」は、僕らにとってはリアルヒーローのような存在で、たびたび友人達と一緒に日本武道館で観戦をしていました。


お決まりの入場曲が流れると、曲のリズムに乗って「みっさーわ、みっさーわ」の大歓声が鳴り響いたのを鮮明に思い出します。


まだ46歳という若さでした。
「戦場で死ぬるも本望」なのかも知れません。プロレスに人生を捧げた彼らしい逝き方と思えて仕方ありません。

心からのご冥福と感謝を。


ありがとう! そして安らかに。三沢社長。
帰宅した母が「ぎゃー」と言いながら帰ってきました。

「庭に OO がいる」(OOは発音もしたくないらしい)


あの辺と言われても、一見なにも居ないように見えましたが





いました。

細くて30cmくらい。小さい子です。

ちょっと突っついたら、逃げてしまいました。
が、驚いたことに、数時間後に、また同じところにヒョッコリ顔をだして、のんびりくつろいでいるではありませんか。

小さくてかわいいし、「まぁいいじゃないの」というのが僕の気持ちですが、母があまりにも嫌がるので、火ばさみで掴んで、遠くに逃がそうと思ったら、これが、足がないのに結構すばやくて、木にしがみついたら離れない。小柄なのにすごいチカラです。

結局、見失ってしまいました。


最近、外ではヘビ。家の中ではムカデ。
足がゼロか100本か。明かりの無い場所は危なくて歩けません。
家の門の前の木陰に設置していたエサ台。

前に帰省したときに、支柱が朽ちて、風でもフラフラと揺れていたものを、しっかりしたものに新調しました。朝になると、近くの木の中や電線にはスズメが大挙して整列して「チュンチュン」とエサをせがんでいました。


それが、あるときを境に、スズメがパタッと寄り付かなくなりました。

母が言うには、食事を堪能しているスズメを狙ってネコが潜んでいるらしく、すでに何羽かが餌食になっているらしい。襲われた跡に、小鳥の羽根が散っているのが生生しく残っていた。


そこで、門の木陰にあったものを、もっと人の目に付きやすく、ネコが潜伏できないような場所に移すことにして、我が家の畑にある1本の大きな木(金柑)の木陰に設置した。

エサ台が木に覆われるので上空からは見にくいし、スズメ達の足は既にネコの恐怖で遠のいてしまっていたので、戻ってきてくれるかが心配でしたが・・・



 


ごらんのとおり、みんな帰ってきました~

彼らはすごい食欲で、エサ台は毎日、満員御礼です。

朝になると、金柑の木の中、上の電線、待ちきれない子はすでにエサ台に乗って、ご飯をせがみます。そんなに期待されると応えないわけにはいきません。

総勢2~30羽います。写真はまだ少ないほうで、多いときにはエサ台の周りにビッシリと並び、それでも入りきらない子は、エサ台の中央に降りてきます。

愛らしい彼らを見ていると、ついつい時間を忘れてしまいます。



家の前の電線につばめが10羽ほど止まっていました。

「なにしてるのかなぁ~」としばらく観察をしていたら、突然、そのうちの4、5羽が「ピーピー」と騒ぎだしました。スーっと1羽のツバメが近づいてきて、なにやらエサを与えている様子です。

彼らは、ツバメの子供で、親鳥のエサを待っているようです。

親鳥は空中で静止して、電線に止まっている子供にエサを与えると、また次の獲物を探しに休む間もなく飛び立ちます。さっきまで一斉に「ちょーだい、ちょーだい!」と騒ぎ出した子供達は、親が飛び去ると、何事もなかったかのようにチーンと静まり返ります。


この様子を時間を忘れて眺めていました。

一見、同じツバメの集団なのですが、どうやら親が違うらしく、親鳥が帰ってくると騒ぎ出す子供が違います。ちゃんと「自分の親だ」と解っているんですね~。


この子たちは、昼間には家の周りで飛ぶ練習をしています。
親鳥は、まるで空中を滑るようにスイスイ~を行きますが、子供たちは必要以上に必死に羽根をバタつかせて一生懸命浮いています。ガンバレ!

こういう大自然に触れると、人間とはいえその中の一員である事に喜びを覚えます。
2泊3日の旅も、あっという間に最終日です。
最後はフェリーで本州に戻って、馴染みの道路を戻るだけです。



朝、松山市内から三津浜港へ。
防予汽船のフェリーに乗って、本州の柳井港(山口)に帰ります。

自宅のある岩国からもっとも身近なフェリーの防予汽船が苦悩しているニュースは、我が事のように心配をしています。ただ、残念なことに、今回の旅行で使ったフェリーの中では最も印象が悪かったです。

窓口のオバちゃんダメ。フェリーがボロい。

親身に思うあまり、怒りが沸いてきてしまいます。会社のためを思えば「建設的な意見の一言でも申し上げたい」と思う次第です。お客さんに対する社員のサービスの精神がなってなくて・・・いや、なってないを超えて悪い
逆境だからこそ、サービスで頑張ってほしいし、年配のお客さんも多い地域だから気配りを忘れないで貰いたいんだけど、「もう、ダメだね・・・」なんて母と2人で溜息をつきました。


本州と周防大島を結ぶ大島大橋です。

くぐりまーす


ずっと、天気には恵まれませんでしたが、最終日は少し持ち直して、フェリーからの眺めはまずまずでした。


本州・柳井港からは、いつもの道です。
とはいっても、油断大敵。「家に帰るまで遠足だ!」と檄を飛ばされながら無事に帰宅。
運転実習を兼ねた旅は、14時の帰宅で無事に終了。

総走行距離は332kmでした。
ちなみに、我が家のベンツ(HONDAのミニ)の燃費は、リッター13km。母曰く「もっと悪いと思ってた」との事でした。

得点を付けるとすれば・・・どのくらいかな~。教習路に難所が多くて、雨・風・濃霧など悪環境の中、まぁまぁ頑張れたと思います。80点くらいあげようかな。


たくさん運転したので、もうしばらく運転はいいや。
救える命
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