2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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「むだ無駄ムダ」
テレビを点けると毎日のように耳に入るようになり、すっかりお馴染みの単語になってしまったが、僕は情のカケラも感じられない冷たい言葉が、まるで当たり前のように連呼される日常がたまらなく辛い。
小市民にとって、税金で私腹を肥やす官僚天下りがいるとか、その辺りの真偽は解らないが、もし本当に居るとすればそれは本当に「ムダ」と言い切れるかも知れないし、ある意味、背任に近い行いと言えると思う。けど、言葉の伝わりやすさ・解りやすさやインパクト、反復効果で徐徐に摺り込まれて、事を客観的に中立的に見られなくなる人が多くなるのが怖い。
民主党が言う「血の通った政治」にこそ「ムダ」という言葉はそぐわない。そう思うのだが・・・。それくらい、この言葉は冷酷であり、時と場合によっては残酷だ。志を持って頑張ってきた事業の方々に対して、効果が薄いから「ムダ」で廃止とは、あまりにも非礼ではないか。
性善説だが、世の中、無駄なものはない。
そう信じたい。
ムダの削減という名目とは別に、金に汚い天下り官僚などの撲滅や、効率化の議論を建設的に進めていけば、日本は良い方向に向かうと思うが、今の事業仕分けでは、試みが斬新でも、良い結果には結びつかないと思う。
テレビを点けると毎日のように耳に入るようになり、すっかりお馴染みの単語になってしまったが、僕は情のカケラも感じられない冷たい言葉が、まるで当たり前のように連呼される日常がたまらなく辛い。
小市民にとって、税金で私腹を肥やす官僚天下りがいるとか、その辺りの真偽は解らないが、もし本当に居るとすればそれは本当に「ムダ」と言い切れるかも知れないし、ある意味、背任に近い行いと言えると思う。けど、言葉の伝わりやすさ・解りやすさやインパクト、反復効果で徐徐に摺り込まれて、事を客観的に中立的に見られなくなる人が多くなるのが怖い。
民主党が言う「血の通った政治」にこそ「ムダ」という言葉はそぐわない。そう思うのだが・・・。それくらい、この言葉は冷酷であり、時と場合によっては残酷だ。志を持って頑張ってきた事業の方々に対して、効果が薄いから「ムダ」で廃止とは、あまりにも非礼ではないか。
性善説だが、世の中、無駄なものはない。
そう信じたい。
ムダの削減という名目とは別に、金に汚い天下り官僚などの撲滅や、効率化の議論を建設的に進めていけば、日本は良い方向に向かうと思うが、今の事業仕分けでは、試みが斬新でも、良い結果には結びつかないと思う。
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悲願だった上関町祝島に行ってきました。
中国電力の原子力発電所の上関建設を巡って、島民の9割が反対を表明して、誘致が決定し建設認可が下りた今でも依然として果敢に反対運動を行なっています。
原子力に携わった経験がある者として、どうしても祝島島民の目を感じてみたかったのです。
この企画は1ヶ月ほど前に決行したのですが、客船に乗り遅れて断念。今日はリベンジでした。今回は予定を変えて、柳井港から定期便に乗って海路を行くことにしました。
1日に3便しかない定期便。前に八島へ行く小さな船を見かけたのを覚えていたので、「それくらいの大きさかな」と思っていたら、定員150人ほどの思ったより立派な高速船がやってきたので驚きました。
エンジンの始動音が聞こえたと思ったら、すごいスピードで陸を離れていきます。前回は乗り過ごした船を陸路で追いかけたのですが、船の速さを知っていたら、そんな無駄な苦労はしなかったかも知れません。
上関町への航路の途中、大星山に設置された風車がゆったりと回る様子を見ることができました。前日まで、雨降りの天気でしたが、この日は一転の快晴 空気が澄んで視界は最高でした。海上から見る陸は、海岸沿いからの車窓からとはまた違った趣があり、同行した母と一緒にはしゃぎながらの船旅でした。
柳井港を出航して祝島までは、4つの港を経由します。前回、陸路では最果てとなった四代(シダイ)にも立ち寄りました。記憶に新しい四代の町並みは1ヶ月前と変わりはなく、不思議と懐かしさが込み上げてきます。
四代を離れると、上関町のある長島(ナガシマ)を迂回して祝島へ向かいます。四代から一山を超えたところにある原子力発電所の建設予定地との対面が近づいてきた・・・と気持ちが高ぶります。
ほどなく、埋め立て予定地に設置されるブイが目に入りました。つい先日、このブイの設置を巡って電力と島民をはじめとする反対派が対立し、設置の阻害をしていたものの、電力側が阻害活動を避け、異なるルートから1つブイを設置したというニュースが報道され、反対派との対立が過熱していました。
難航しているかと思われていたブイの設置ですが、1つ2つ・・・と数えてみるとザッと10個近くがすでに設置されていました。そして、その奥に見える陸には、緑の中に不自然に拓かれた土地、いくつかの重機。反対を押し切って進められる原子力発電所の予定地がついに眼前に現れました。
視線を西に向けると、目指す祝島と、その集落が見えます。こんなに近いんだ・・・。好奇心で一杯だった気持ちが、一瞬で複雑に。
まもなく上陸を果たした祝島。
やさしい人柄に早くも触れ、島の風土を感じさせられます。島の情報が少なくて、上陸後の事はまったくプランなし。唯一、県道が通っていることは解っていたのと、数日前にNHKで祝島の農家の話を見たのを頼りに、自転車を借りて一路西へ。観光地図を頼りに走ること20分・・・なんと行き止まり!
途中から堤防の上を走っているような感じで危なかった。あれは道ではなかったらしい。あわてて引き返し、母の勘を頼りに脇道に入りました。
舗装はされているものの、延々と続く上り坂だったので、途中で自転車を乗り捨ててハイキング。立派な石垣、人の手の入っているミカン畑、そして高台から一望できる景色。「すばらしいところだねー」と情景を愉しんでいるうちに、怪しい道に迷い込んで、また引き返す。
ふと、無人と思われる家の脇に看板が打ち棄ててあるのを見つけて、「もしかして・・・」と更にわき道に入ったら、
いたーーー
すごい人懐っこいコブタちゃん達、11匹。
遠くに居たのに、ものすごい勢いで突進してきて、目の前で整列!かわいかったー。
でも、その後、周りに張り巡らされているのが通電されている電線だと知って、テレビで見た和やかな情景は吹き飛び、ムショウに悲しくなった。
実は・・・祝島レポートはこれだけなんです。
もともと予定としては昼の第二便で帰る予定だったのですが、まだまだたくさん見るところがありそうなので、腹ごしらえをして夕方の3便で帰ることにしようと、母と話していたのですが、町に戻ると既に定期便が出航しようかとして待っていました。島の方に「ご飯を食べられるところはどこですか?」と尋ねたら、「そんなのないよ、弁当があるかもしれないけど・・・」と言われてビックリ!
こりゃいかん、と借りた自転車を返却して慌てて船に飛び乗ったのでした。。。
祝島からは見たくなくても、原発は見えるところにあります。望まぬことが常に目の前で起きているという現実は、あまりにも酷だと感じました。島民のせめてもの抵抗は、原発側からでも見えるような大きな字で書かれた「原発反対」の文字で、これが島民の叫びです。
どうして、ココじゃなくちゃいけなかったのか? と感じました。同じような問題は、沖縄の嘉手納でも起ころうとしています。国としての政策と決断は重いですが、少数派や反対派にも誠意を尽くして接するべきです。推進派には見えない部分をキチンと意見として取り入れていくべきだと思います。
それともう一つは、上関町の中心からは原発は見えず、祝島からは見える・・・この環境の差は大きいなと思いました。推進をする町民の多くは原発の見えないところに住んでいるので、何も起きない限りは無いも同じです。ですが、祝島の人たちは違います。ずっと原発を見続けなくてはいけないのです。。。
中国電力の原子力発電所の上関建設を巡って、島民の9割が反対を表明して、誘致が決定し建設認可が下りた今でも依然として果敢に反対運動を行なっています。
原子力に携わった経験がある者として、どうしても祝島島民の目を感じてみたかったのです。
この企画は1ヶ月ほど前に決行したのですが、客船に乗り遅れて断念。今日はリベンジでした。今回は予定を変えて、柳井港から定期便に乗って海路を行くことにしました。
1日に3便しかない定期便。前に八島へ行く小さな船を見かけたのを覚えていたので、「それくらいの大きさかな」と思っていたら、定員150人ほどの思ったより立派な高速船がやってきたので驚きました。
エンジンの始動音が聞こえたと思ったら、すごいスピードで陸を離れていきます。前回は乗り過ごした船を陸路で追いかけたのですが、船の速さを知っていたら、そんな無駄な苦労はしなかったかも知れません。
上関町への航路の途中、大星山に設置された風車がゆったりと回る様子を見ることができました。前日まで、雨降りの天気でしたが、この日は一転の快晴 空気が澄んで視界は最高でした。海上から見る陸は、海岸沿いからの車窓からとはまた違った趣があり、同行した母と一緒にはしゃぎながらの船旅でした。
柳井港を出航して祝島までは、4つの港を経由します。前回、陸路では最果てとなった四代(シダイ)にも立ち寄りました。記憶に新しい四代の町並みは1ヶ月前と変わりはなく、不思議と懐かしさが込み上げてきます。
四代を離れると、上関町のある長島(ナガシマ)を迂回して祝島へ向かいます。四代から一山を超えたところにある原子力発電所の建設予定地との対面が近づいてきた・・・と気持ちが高ぶります。
ほどなく、埋め立て予定地に設置されるブイが目に入りました。つい先日、このブイの設置を巡って電力と島民をはじめとする反対派が対立し、設置の阻害をしていたものの、電力側が阻害活動を避け、異なるルートから1つブイを設置したというニュースが報道され、反対派との対立が過熱していました。
難航しているかと思われていたブイの設置ですが、1つ2つ・・・と数えてみるとザッと10個近くがすでに設置されていました。そして、その奥に見える陸には、緑の中に不自然に拓かれた土地、いくつかの重機。反対を押し切って進められる原子力発電所の予定地がついに眼前に現れました。
視線を西に向けると、目指す祝島と、その集落が見えます。こんなに近いんだ・・・。好奇心で一杯だった気持ちが、一瞬で複雑に。
まもなく上陸を果たした祝島。
やさしい人柄に早くも触れ、島の風土を感じさせられます。島の情報が少なくて、上陸後の事はまったくプランなし。唯一、県道が通っていることは解っていたのと、数日前にNHKで祝島の農家の話を見たのを頼りに、自転車を借りて一路西へ。観光地図を頼りに走ること20分・・・なんと行き止まり!
途中から堤防の上を走っているような感じで危なかった。あれは道ではなかったらしい。あわてて引き返し、母の勘を頼りに脇道に入りました。
舗装はされているものの、延々と続く上り坂だったので、途中で自転車を乗り捨ててハイキング。立派な石垣、人の手の入っているミカン畑、そして高台から一望できる景色。「すばらしいところだねー」と情景を愉しんでいるうちに、怪しい道に迷い込んで、また引き返す。
ふと、無人と思われる家の脇に看板が打ち棄ててあるのを見つけて、「もしかして・・・」と更にわき道に入ったら、
いたーーー
すごい人懐っこいコブタちゃん達、11匹。
遠くに居たのに、ものすごい勢いで突進してきて、目の前で整列!かわいかったー。
でも、その後、周りに張り巡らされているのが通電されている電線だと知って、テレビで見た和やかな情景は吹き飛び、ムショウに悲しくなった。
実は・・・祝島レポートはこれだけなんです。
もともと予定としては昼の第二便で帰る予定だったのですが、まだまだたくさん見るところがありそうなので、腹ごしらえをして夕方の3便で帰ることにしようと、母と話していたのですが、町に戻ると既に定期便が出航しようかとして待っていました。島の方に「ご飯を食べられるところはどこですか?」と尋ねたら、「そんなのないよ、弁当があるかもしれないけど・・・」と言われてビックリ!
こりゃいかん、と借りた自転車を返却して慌てて船に飛び乗ったのでした。。。
祝島からは見たくなくても、原発は見えるところにあります。望まぬことが常に目の前で起きているという現実は、あまりにも酷だと感じました。島民のせめてもの抵抗は、原発側からでも見えるような大きな字で書かれた「原発反対」の文字で、これが島民の叫びです。
どうして、ココじゃなくちゃいけなかったのか? と感じました。同じような問題は、沖縄の嘉手納でも起ころうとしています。国としての政策と決断は重いですが、少数派や反対派にも誠意を尽くして接するべきです。推進派には見えない部分をキチンと意見として取り入れていくべきだと思います。
それともう一つは、上関町の中心からは原発は見えず、祝島からは見える・・・この環境の差は大きいなと思いました。推進をする町民の多くは原発の見えないところに住んでいるので、何も起きない限りは無いも同じです。ですが、祝島の人たちは違います。ずっと原発を見続けなくてはいけないのです。。。
今回の旅行は5つの世界遺産をめぐる、盛りだくさんな旅行なのです。
旅行2日目は、世界遺産の頤和園(イワ・エン)です。
ここは、西太后が隠居暮らしを始めてから避暑地として使っていた場所だそうです。普段の食事でも100皿、客を招いたときには2、300皿という食事をテーブルに並べていたそうです。
自分の権威を世に見せ付けていた西太后。日本では、いかにもワルモノ扱いな彼女は、中国でもワルいヤツなのだそうです。
イワエンは、この「岩」のことではありません。中国の名跡には、大きな岩がゴロゴロしています。多くの人を使って運ばせることで、その権力を誇示したのでしょう。運ぶのに、氷結した路面を滑らせたそうです。知恵ですねー。
偶然にも、ガイドの任さんがうつっていました。旗もってます。
こちらは西湖という人口湖です。
めちゃくちゃデカイです。さすがに中国はスケールがでかい。
海がない土地ですが、海のように大きな河が2本あります。黄河と揚子江です。
水軍の戦の調練のために造られたのだそうです。
その人口湖に沿って、長い長い回廊があります。天井を見ると、三国志や水滸伝といった古い物語を場面を切り取った挿絵が見渡す限り。。。同じものは無いらしく、膨大な枚数です。
長い回廊は、700mに及びます。残念ながら、時間の関係で、1/3ほど行ったところで引き返してきました。
中国の建造物でよく見かける、赤・青・黄・緑といった強いコントラストの色を並べた色合いはとても派手で、日本では滅多に見かけることがない色使いですが、不思議と中国という大陸の風土にあっているように感じられます。
大きな国ですから、これくらい目立った色合いで丁度よいのかもしれません。色合いはキライじゃないですが、家がこんなに派手だと落ち着きません。
旅行2日目は、世界遺産の頤和園(イワ・エン)です。
ここは、西太后が隠居暮らしを始めてから避暑地として使っていた場所だそうです。普段の食事でも100皿、客を招いたときには2、300皿という食事をテーブルに並べていたそうです。
自分の権威を世に見せ付けていた西太后。日本では、いかにもワルモノ扱いな彼女は、中国でもワルいヤツなのだそうです。
イワエンは、この「岩」のことではありません。中国の名跡には、大きな岩がゴロゴロしています。多くの人を使って運ばせることで、その権力を誇示したのでしょう。運ぶのに、氷結した路面を滑らせたそうです。知恵ですねー。
偶然にも、ガイドの任さんがうつっていました。旗もってます。
こちらは西湖という人口湖です。
めちゃくちゃデカイです。さすがに中国はスケールがでかい。
海がない土地ですが、海のように大きな河が2本あります。黄河と揚子江です。
水軍の戦の調練のために造られたのだそうです。
その人口湖に沿って、長い長い回廊があります。天井を見ると、三国志や水滸伝といった古い物語を場面を切り取った挿絵が見渡す限り。。。同じものは無いらしく、膨大な枚数です。
長い回廊は、700mに及びます。残念ながら、時間の関係で、1/3ほど行ったところで引き返してきました。
中国の建造物でよく見かける、赤・青・黄・緑といった強いコントラストの色を並べた色合いはとても派手で、日本では滅多に見かけることがない色使いですが、不思議と中国という大陸の風土にあっているように感じられます。
大きな国ですから、これくらい目立った色合いで丁度よいのかもしれません。色合いはキライじゃないですが、家がこんなに派手だと落ち着きません。
北京滞在中の宿泊場所は、北京新世紀日航飯店です。
いま、大変な状況に陥っている日本航空系列のホテルですが、日本語の説明もあるし、日本語ができるスタッフもいるらしいし、安心して宿泊できます。
母とツインルームに宿泊しました。水に注意が必要な中国ですが、ミネラルウォーター(330ml)のサービスがあります。
飲料として使うには、備え付けのポットで煮沸すれば問題ありません。あと、歯磨きくらいでも問題なしです。
ミネラルウォーターは外出時の飲料として大切に使いました。
部屋は19階。
すばらしい夜景 といいたいところですが、北京の街はとても暗いのです。
発展のめざましい中国ですが、インフラの整備が追いついていないのが現状で、使用電力には制限があるそうです。そのため、お店などの照明はとても暗いのです。
逆に、日本の店は必要以上に明るい。ということを思い知らされました。
インターネットも有線・無線と完備されていましたが、独自のVPNを介して接続されます。めっちゃくちゃ遅かったです。
あと、外国に来て一番の心配は電源。
中国では電圧が220Vなので、使用したい電気製品が、その電圧に対応しているかの確認が必要です。対応していない製品は、変圧器を使うことで利用可能になります。
電圧以外に、プラグの形状も注意しなくてはいけません。
このホテルでは、写真のようなコンセントがあって、日本で標準的に使われているAプラグ、Bプラグ、O2プラグといった形状のものが直接差し込めるものが完備されています。
初めて国外のコンセントを見て、「へー考えられているなー」と思いました。中国では色々な国の電化製品が使われるので、コンセントもこのように多国籍バージョンになっているのです。
ホテルの部屋に備え付けてあったテレビ等も日本の製品(日本のAプラグ)でした。
日本のプラグはスマートで、壁付けタイプでは多くて3連のものなどがありますが、このタイプでは場所をとって大変だろうなーと。でも、タコ足の心配はないかな
なかなかオシャレで快適なホテルでしたが、日本では事故などがあったりして、すっかり見る場所が少なくなった回転式ドアがあり、これが、すこし触っただけでも止まってしまうため大変な不評でした。
朝食はバイキングで、「さすが巨大ホテル」の食堂です。とても広い!
コーヒーくらいは、セルフで好きに飲みたかったですが、変に格式が高すぎて、いちいちお兄さんを呼ばなくてはならないのが面倒でした。
言葉が通じないし。
いま、大変な状況に陥っている日本航空系列のホテルですが、日本語の説明もあるし、日本語ができるスタッフもいるらしいし、安心して宿泊できます。
母とツインルームに宿泊しました。水に注意が必要な中国ですが、ミネラルウォーター(330ml)のサービスがあります。
飲料として使うには、備え付けのポットで煮沸すれば問題ありません。あと、歯磨きくらいでも問題なしです。
ミネラルウォーターは外出時の飲料として大切に使いました。
部屋は19階。
すばらしい夜景 といいたいところですが、北京の街はとても暗いのです。
発展のめざましい中国ですが、インフラの整備が追いついていないのが現状で、使用電力には制限があるそうです。そのため、お店などの照明はとても暗いのです。
逆に、日本の店は必要以上に明るい。ということを思い知らされました。
インターネットも有線・無線と完備されていましたが、独自のVPNを介して接続されます。めっちゃくちゃ遅かったです。
あと、外国に来て一番の心配は電源。
中国では電圧が220Vなので、使用したい電気製品が、その電圧に対応しているかの確認が必要です。対応していない製品は、変圧器を使うことで利用可能になります。
電圧以外に、プラグの形状も注意しなくてはいけません。
このホテルでは、写真のようなコンセントがあって、日本で標準的に使われているAプラグ、Bプラグ、O2プラグといった形状のものが直接差し込めるものが完備されています。
初めて国外のコンセントを見て、「へー考えられているなー」と思いました。中国では色々な国の電化製品が使われるので、コンセントもこのように多国籍バージョンになっているのです。
ホテルの部屋に備え付けてあったテレビ等も日本の製品(日本のAプラグ)でした。
日本のプラグはスマートで、壁付けタイプでは多くて3連のものなどがありますが、このタイプでは場所をとって大変だろうなーと。でも、タコ足の心配はないかな
なかなかオシャレで快適なホテルでしたが、日本では事故などがあったりして、すっかり見る場所が少なくなった回転式ドアがあり、これが、すこし触っただけでも止まってしまうため大変な不評でした。
朝食はバイキングで、「さすが巨大ホテル」の食堂です。とても広い!
コーヒーくらいは、セルフで好きに飲みたかったですが、変に格式が高すぎて、いちいちお兄さんを呼ばなくてはならないのが面倒でした。
言葉が通じないし。
ひょんな事から、急遽、海外旅行の練習という名目で中国・北京の格安ツアーに行ってまいりました。
私自身は生粋の鎖国論者で「日本は国を閉じないと内政が良くならない」が口癖です。当然の事ながら、他国にも出る気は毛頭なく、生涯「井の中の蛙」で大いに結構!という気構えでしたが、ここのところ、
「他国を知らない事には日本の良し悪しを論じることなど出来ようはずもない。」
と思うようになり、諸外国へ想いを馳せるようになってきました。以前なら誘いがあっても外国へ行くことなど決してあり得ない事でしたが、気持ちの変化と興味が助けになり、今回、初出国ということになりました。
最寄の新幹線の駅までを自家用車で移動。1日300円という都会では考えられない駅前駐車場を借り、新幹線で博多へ。そこから福岡空港まで地下鉄。この地下鉄が、たった2駅で250円。高すぎ。
空港駅についてヤレヤレと思っていたら、国際線ロビーは国内線前から専用バスで更に行ったところにあり、時間に余裕を持って出たはずが集合時間一杯になりヒヤヒヤ。空港ロビーで旅行会社の説明員から丁寧な説明を受けて搭乗手続き。同じツアーの客はなんと56人居るらしく、チェックインカウンターは大行列になっていました。
ゲートは大混雑になる場合もあるので、時間に余裕を持って早く通過しました。そして初めての出国手続き。パスポートに初めてのスタンプがペタリ。
ここから先は初めてづくし。
目の前には巨大な免税店。有名なブランドのテナントが並び、多くの人はそちらに目が行くのだろうけども、私の目を引いたのはタバコ。なんと1カートンが2000円 通常は1カートンは3000円前後なので1000円も安い。旅行のために事前に用意した1カートンは完全に無駄だった。税金の塊みたいなものは、とにかく安い。タバコやお酒、すごくお得に買えるので、コレを目的に出国したいくらいです。
楽しみの一つだったのは、サラリーマン時代に取得した唯一のゴールドカードが使える空港ラウンジだったんだけども、なんとクレジット系のラウンジは国際線にはないらしくガッカリ。航空系ゴールド用のラウンジはありました。国内線のほうには両方ともあるそうです。
「中国東方航空」に乗り込むと、左右3列の6列。ボーイングの中型機。国際線ともなるとジャンボかな?と思っていたので残念。何年ぶりかに乗る飛行機のエコノミークラスは身体の小さい僕にとっても非常に狭かったです。
機内は既に中国語に中国風のBGM。福岡離陸前に、早くも「中国に来たな~」という感覚になりました。
飛行機は離着陸に電子機器の取り扱いやシートベルトをするとか厳重に注意されるものという認識はあったんだけど、なにしろ言葉が解らないもんで、アナウンスがあってもタイミングが解らず、すごい適当でした。シートベルトのサインが出てても機内をウロウロしはじめる人も居れば、写真を撮る人も居たりして。。。(アレ??)
久しぶりの上空は見ていて飽きません。
10年ほど前には、飛行機が怖くて乗ることが出来なかったものですが死の恐怖感が薄れきった今となってはヘイチャラです。「中国の飛行機だから、落ちても仕方ない」と思って身を任せていました。
2時間以上のフライトには機内食が出るというウワサは聞いていましたが、ほんとに出ました
でも、お世辞にも「オイピィー」とは言えません。
メロンが瓜みたいでした。カップに入っているのは水です。
機内では一時入出国のためのEDカードと、今は新型インフルエンザのために厳重になっている検疫に提出する書類を書きました。
乗り継ぎのため、青島(チンタオ)空港で降り、ここで入国手続きをします。検疫のため、予め書いた書類を出したのですが、感じの悪い検疫官が「オマエはコッチ」みたいな感じで別の場所へ誘導されました。一緒に居た母は難なく通過して先で待っていたのですが、なんで僕はアッチなの?って感じです。なぜなら、僕は母の書類を丸写ししているから。。。
わけが解らないまま誘導された場所には、これまた無愛想なオバチャンが居て、さっと検温をして「OK」と言われたので、そのまま出てきました。顔色が悪かったのかな? でも、とりあえず無事通過して、パスポートに2つ目のスタンプ。入国を果たしました。
青島空港で見た景色は、少しかすんでいました。天気のせいもあったかもしれませんが、中国は急激に進んだ成長の反動で、非常に空気が悪いです。空気が淀んでいるような感覚は気のせいではなかったと想います。
最終目的地は北京ですが、福岡からここ青島(チンタオ)までが国際線。青島から北京までは国内線での移動になります。
ここで、中国国内線の基準による手荷物検査を通ることになるのですが、問題が発生しました。
日本国内では、ライターの機内持ち込みが1つまで許されていて、出国の際はセーフでした。ところが、中国国内ではライターの持ち込みはダメで、取り上げられてしまいました。せっかく新しいライターを選んで持ってきたのに・・・。こんなことだったら、古いのを持ってくればよかったです。
空港で一服したいときは、どうすればいいんでしょう? 疑問です。
日本と中国は時差が1時間。中国が1時間遅れになります。北京到着は現地時間で18時。
青島で手続きを終えていたので、北京は降りるだけでした。到着ロビーを出ると、現地のガイドさんの任さんが待っていて56人の集合を待ちました。北京は緯度が北海道あたりになるので、けっこう寒かったです。
そこからバス2台で中華料理屋で食事。大勢の日本語と中国語が行き交う中で僕の頭がパニックを起こしてしまって、あまり食事が食べられませんでした。でも後日感想を聞いたところ、なかなか美味しい料理屋だったらしいです。
空港から北京市内、そして市内からホテルまでは、けっこう離れていたようでバスで長く移動しました。ガイドの任さんの流暢な日本語によるガイドで飽きることはなかったけど、ひっきりなしにクラクションが鳴り捲っている中国の交通事情にはヒヤヒヤものでした。ホテル到着は23時。疲れた、明日は早起きです。
コンタクトレンズを10数時間も装着していたのは久しぶりです。目が取れそうでした。
私自身は生粋の鎖国論者で「日本は国を閉じないと内政が良くならない」が口癖です。当然の事ながら、他国にも出る気は毛頭なく、生涯「井の中の蛙」で大いに結構!という気構えでしたが、ここのところ、
「他国を知らない事には日本の良し悪しを論じることなど出来ようはずもない。」
と思うようになり、諸外国へ想いを馳せるようになってきました。以前なら誘いがあっても外国へ行くことなど決してあり得ない事でしたが、気持ちの変化と興味が助けになり、今回、初出国ということになりました。
最寄の新幹線の駅までを自家用車で移動。1日300円という都会では考えられない駅前駐車場を借り、新幹線で博多へ。そこから福岡空港まで地下鉄。この地下鉄が、たった2駅で250円。高すぎ。
空港駅についてヤレヤレと思っていたら、国際線ロビーは国内線前から専用バスで更に行ったところにあり、時間に余裕を持って出たはずが集合時間一杯になりヒヤヒヤ。空港ロビーで旅行会社の説明員から丁寧な説明を受けて搭乗手続き。同じツアーの客はなんと56人居るらしく、チェックインカウンターは大行列になっていました。
ゲートは大混雑になる場合もあるので、時間に余裕を持って早く通過しました。そして初めての出国手続き。パスポートに初めてのスタンプがペタリ。
ここから先は初めてづくし。
目の前には巨大な免税店。有名なブランドのテナントが並び、多くの人はそちらに目が行くのだろうけども、私の目を引いたのはタバコ。なんと1カートンが2000円 通常は1カートンは3000円前後なので1000円も安い。旅行のために事前に用意した1カートンは完全に無駄だった。税金の塊みたいなものは、とにかく安い。タバコやお酒、すごくお得に買えるので、コレを目的に出国したいくらいです。
楽しみの一つだったのは、サラリーマン時代に取得した唯一のゴールドカードが使える空港ラウンジだったんだけども、なんとクレジット系のラウンジは国際線にはないらしくガッカリ。航空系ゴールド用のラウンジはありました。国内線のほうには両方ともあるそうです。
「中国東方航空」に乗り込むと、左右3列の6列。ボーイングの中型機。国際線ともなるとジャンボかな?と思っていたので残念。何年ぶりかに乗る飛行機のエコノミークラスは身体の小さい僕にとっても非常に狭かったです。
機内は既に中国語に中国風のBGM。福岡離陸前に、早くも「中国に来たな~」という感覚になりました。
飛行機は離着陸に電子機器の取り扱いやシートベルトをするとか厳重に注意されるものという認識はあったんだけど、なにしろ言葉が解らないもんで、アナウンスがあってもタイミングが解らず、すごい適当でした。シートベルトのサインが出てても機内をウロウロしはじめる人も居れば、写真を撮る人も居たりして。。。(アレ??)
久しぶりの上空は見ていて飽きません。
10年ほど前には、飛行機が怖くて乗ることが出来なかったものですが死の恐怖感が薄れきった今となってはヘイチャラです。「中国の飛行機だから、落ちても仕方ない」と思って身を任せていました。
2時間以上のフライトには機内食が出るというウワサは聞いていましたが、ほんとに出ました
でも、お世辞にも「オイピィー」とは言えません。
メロンが瓜みたいでした。カップに入っているのは水です。
機内では一時入出国のためのEDカードと、今は新型インフルエンザのために厳重になっている検疫に提出する書類を書きました。
乗り継ぎのため、青島(チンタオ)空港で降り、ここで入国手続きをします。検疫のため、予め書いた書類を出したのですが、感じの悪い検疫官が「オマエはコッチ」みたいな感じで別の場所へ誘導されました。一緒に居た母は難なく通過して先で待っていたのですが、なんで僕はアッチなの?って感じです。なぜなら、僕は母の書類を丸写ししているから。。。
わけが解らないまま誘導された場所には、これまた無愛想なオバチャンが居て、さっと検温をして「OK」と言われたので、そのまま出てきました。顔色が悪かったのかな? でも、とりあえず無事通過して、パスポートに2つ目のスタンプ。入国を果たしました。
青島空港で見た景色は、少しかすんでいました。天気のせいもあったかもしれませんが、中国は急激に進んだ成長の反動で、非常に空気が悪いです。空気が淀んでいるような感覚は気のせいではなかったと想います。
最終目的地は北京ですが、福岡からここ青島(チンタオ)までが国際線。青島から北京までは国内線での移動になります。
ここで、中国国内線の基準による手荷物検査を通ることになるのですが、問題が発生しました。
日本国内では、ライターの機内持ち込みが1つまで許されていて、出国の際はセーフでした。ところが、中国国内ではライターの持ち込みはダメで、取り上げられてしまいました。せっかく新しいライターを選んで持ってきたのに・・・。こんなことだったら、古いのを持ってくればよかったです。
空港で一服したいときは、どうすればいいんでしょう? 疑問です。
日本と中国は時差が1時間。中国が1時間遅れになります。北京到着は現地時間で18時。
青島で手続きを終えていたので、北京は降りるだけでした。到着ロビーを出ると、現地のガイドさんの任さんが待っていて56人の集合を待ちました。北京は緯度が北海道あたりになるので、けっこう寒かったです。
そこからバス2台で中華料理屋で食事。大勢の日本語と中国語が行き交う中で僕の頭がパニックを起こしてしまって、あまり食事が食べられませんでした。でも後日感想を聞いたところ、なかなか美味しい料理屋だったらしいです。
空港から北京市内、そして市内からホテルまでは、けっこう離れていたようでバスで長く移動しました。ガイドの任さんの流暢な日本語によるガイドで飽きることはなかったけど、ひっきりなしにクラクションが鳴り捲っている中国の交通事情にはヒヤヒヤものでした。ホテル到着は23時。疲れた、明日は早起きです。
コンタクトレンズを10数時間も装着していたのは久しぶりです。目が取れそうでした。
どうしても行ってみたくて、原子力発電所誘致で揺れる上関町へ行ってきました。
目的地は、祝島。
上関町の島の先までを県道で行き、四代(しだい)という場所で船に乗り継いで島へ渡ります。
自宅から50kmほどの距離で、少し余裕を見て出発。
途中、上関町から祝島までを一望できる、眺めの良い場所で寄り道。
この辺は原発の給水口(予定地)
祝島
ところが、この寄り道が思わぬ大誤算で、朝昼夕の1日3便しかない船の時間に間に合わなくなり、祝島は断念。とりあえず、いけるところまで行ってみようという事で、四代を目指して車を走らせました。
上関町に入ると、新しい建物や舗装が行き届いた道路。原発誘致の助成を受けている象徴的な景色が目に入るようになります。突端に行くと港の集落が現れました。四代(しだい)です。
東は海、西は山で、狭い場所に住宅がひしめきあっていました。行き交う人は全て老人。
でも皆、気のよさそうな方々で、風土が作る人格というものを思わせます。
山を少し登ると、廃校がありました。この四代にはもう子供がいないそうです。
狭い狭い学校の校庭には、「創立100周年記念」の碑があり、深い歴史のあった学校だったのに時代に廃れてしまった寂しさを感じさせられます。
港から少し離れれば、すぐに登り坂で、住宅も坂に建っている状態です。暮らすには大変な苦労があると思うけど、それでも集落を棄てない住民がいるのは、それだけ深い愛着が背景にあるものだと感じます。
進んでいく過疎化を止めるカンフル剤として、原発の誘致は果たして彼らが望む選択だったのでしょうか? 四代から1山を越えたところに原発誘致予定地があります。
目的地は、祝島。
上関町の島の先までを県道で行き、四代(しだい)という場所で船に乗り継いで島へ渡ります。
自宅から50kmほどの距離で、少し余裕を見て出発。
途中、上関町から祝島までを一望できる、眺めの良い場所で寄り道。
この辺は原発の給水口(予定地)
祝島
ところが、この寄り道が思わぬ大誤算で、朝昼夕の1日3便しかない船の時間に間に合わなくなり、祝島は断念。とりあえず、いけるところまで行ってみようという事で、四代を目指して車を走らせました。
上関町に入ると、新しい建物や舗装が行き届いた道路。原発誘致の助成を受けている象徴的な景色が目に入るようになります。突端に行くと港の集落が現れました。四代(しだい)です。
東は海、西は山で、狭い場所に住宅がひしめきあっていました。行き交う人は全て老人。
でも皆、気のよさそうな方々で、風土が作る人格というものを思わせます。
山を少し登ると、廃校がありました。この四代にはもう子供がいないそうです。
狭い狭い学校の校庭には、「創立100周年記念」の碑があり、深い歴史のあった学校だったのに時代に廃れてしまった寂しさを感じさせられます。
港から少し離れれば、すぐに登り坂で、住宅も坂に建っている状態です。暮らすには大変な苦労があると思うけど、それでも集落を棄てない住民がいるのは、それだけ深い愛着が背景にあるものだと感じます。
進んでいく過疎化を止めるカンフル剤として、原発の誘致は果たして彼らが望む選択だったのでしょうか? 四代から1山を越えたところに原発誘致予定地があります。
今日、10月26日は「原子力の日」
「1963年に茨城県東海村の日本原子力研究所で、動力炉による日本で初めての原子力発電に成功した日」との事。
日頃ニュースが少なくて、どんな町があるか・・・と極めて知名度の低い山口県だけど、「上関(かみのせき)」や「祝島」という地名については、すっかり有名になったのではないでしょうか。山口県(熊毛郡)上関町は、いま、中国電力の原子力発電所(2基)の誘致をめぐり問題になっています。
現在、中国電力が誘致の許可をとりつけ、準備工事の作業に入っていますが、反対派の体を張った抗議活動に難航している状況です。
僕は、仕事で原子力に携わったこともあって、非常に関心を持って成り行きを見守っています。
中国電力のリリースを見るかぎりでは、極めて誠実に調査を行っているように見えます。これまでの長い経緯を見ていくと、反対派が備える外堀(理屈)は、理論的かつ政治的に一つ一つ確実に埋められてしまいました。こうなると最後は感情論に突入してしまい、こうなっては理屈vs感情の平行線。男と女のチワ喧嘩のようなものです。
原子力発電の誘致は、たいへんなリスクがあります。それは事故などの問題ではなく、我々の世代では解決が難しい、放射性廃棄物の問題です。原子力発電は、今の電気を得るために、子や孫、その先の世代にまで、毒性の消えない廃棄物を遺すことになるのです。
原子力発電の誘致は、その大変なリスクを背負ってまで、やるべきことなのかどうか? そのリスクを超える大義があるのか? という事に熟考に熟考を重ねた上でやるべきです。大義があるなら、きちんと国策として国民に理解を得るよう国が働きかけるべきです。1民間企業の意向で創ってしまえるほど原子力発電は軽いものではないと言いたい。
国民や企業にも大きな問題があると思います。
今は「エコ」とか「省エネ」とかいう言葉が、まるでブームのように行き交っています。でも、どうエコなのか?どう省エネなのか? 考えた人ってどれほどいるのかな。
乱立する自販機、24時間営業のスーパーやコンビニ。24時間止まらない工場。街頭の大型テレビ、眠らない町・・・。
太陽と共に暮らすことに認識を深めれば、電気は今ほど必要ではなくなるはずです。それを国民一人一人がきちんと考える。そして企業は利益ばかりに走らず、一定のモラルと節度を持ちそれを侵さない理念を持ってほしいと思います。
僕は原子力発電には反対です。
「1963年に茨城県東海村の日本原子力研究所で、動力炉による日本で初めての原子力発電に成功した日」との事。
日頃ニュースが少なくて、どんな町があるか・・・と極めて知名度の低い山口県だけど、「上関(かみのせき)」や「祝島」という地名については、すっかり有名になったのではないでしょうか。山口県(熊毛郡)上関町は、いま、中国電力の原子力発電所(2基)の誘致をめぐり問題になっています。
現在、中国電力が誘致の許可をとりつけ、準備工事の作業に入っていますが、反対派の体を張った抗議活動に難航している状況です。
僕は、仕事で原子力に携わったこともあって、非常に関心を持って成り行きを見守っています。
中国電力のリリースを見るかぎりでは、極めて誠実に調査を行っているように見えます。これまでの長い経緯を見ていくと、反対派が備える外堀(理屈)は、理論的かつ政治的に一つ一つ確実に埋められてしまいました。こうなると最後は感情論に突入してしまい、こうなっては理屈vs感情の平行線。男と女のチワ喧嘩のようなものです。
原子力発電の誘致は、たいへんなリスクがあります。それは事故などの問題ではなく、我々の世代では解決が難しい、放射性廃棄物の問題です。原子力発電は、今の電気を得るために、子や孫、その先の世代にまで、毒性の消えない廃棄物を遺すことになるのです。
原子力発電の誘致は、その大変なリスクを背負ってまで、やるべきことなのかどうか? そのリスクを超える大義があるのか? という事に熟考に熟考を重ねた上でやるべきです。大義があるなら、きちんと国策として国民に理解を得るよう国が働きかけるべきです。1民間企業の意向で創ってしまえるほど原子力発電は軽いものではないと言いたい。
国民や企業にも大きな問題があると思います。
今は「エコ」とか「省エネ」とかいう言葉が、まるでブームのように行き交っています。でも、どうエコなのか?どう省エネなのか? 考えた人ってどれほどいるのかな。
乱立する自販機、24時間営業のスーパーやコンビニ。24時間止まらない工場。街頭の大型テレビ、眠らない町・・・。
太陽と共に暮らすことに認識を深めれば、電気は今ほど必要ではなくなるはずです。それを国民一人一人がきちんと考える。そして企業は利益ばかりに走らず、一定のモラルと節度を持ちそれを侵さない理念を持ってほしいと思います。
僕は原子力発電には反対です。