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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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お手伝いが一段落。

こんなに長い時間、Microsoft Wordとニラメッコをしたのは…仕事をしていたころ以来だと思う。

この数日間、意識して Twitter する必要もなく、だいぶ声を出して会話が出来た。でも、電話がニガテというか不慣れなせいで、思ったより声量を出していたみたい。

おかげで、喉がガラガラで痛い。
相手もさぞウルさかったろうと思う。

携帯電話は、耳と口の長さに対して寸足らずなので、どうも勝手が悪い。


忙しいには忙しかったけど、それ以上に忙しかったのはアタマの中だった。


疲労すると鬱になり

鬱になると、彼女の事を思い出す。

彼女の事を思い出すと、どんどん鬱になる。

そのうち、手伝い仕事が動き出す。

アタマを起動して仕事をする。


思考が正回転、逆回転を交互に繰り返し、心は激しく揺れた。

それだけに、だいぶ余計に疲労したんだなぁ。


以前はワープロやってるのが数日続くなんていうのは当たり前に出来たことなのに、今の状態じゃあ、1件仕事を終えたら仕事辞めなきゃダメって感じだ。


でも、ひとつ、やり遂げたなぁという達成感はあるので、それは良かった。

ある時間、一生懸命ただひたすらに打ち込むことが出来たし、集中できた。なにより、関係者の方々が喜んでくれたのが嬉しい。
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数日前から、頼まれ仕事をやっています。

久しぶりに、パソコンの前に根を下ろす覚悟で挑まなくてはならない感じの仕事です。

朝から夕方まで・・・普通のサラリーマン並みにやったかな?

「あー、疲れた・・・」

と思わずTwitter。

起こしたワープロ原稿を修正するんで、送ってくれという話になって・・・原稿サイズを見たら、なんと12MB。

こりゃ、無理だとアタマを抱えた。。。

畳みこんで半分くらいになったので、さて、これで・・・と思ったら、また一つ。

僕が使っているMicrosoft Officeと、納品先のOfficeのバージョンが違う。

イヤーな予感がしたんだけど、下位互換形式で保存をしてみたら・・・


「下位バージョンで対応していない形式があります」


ギャー


ギャー


わーん


グチャグチャだ。。。


気を失いそうになった。

しかし、意地で気力を振り絞って、突貫工事。なんとか形にして、メール送信。


ともかく今日はこれで店仕舞いだ。

現在、8時38分。

早いけど、寝ようと思う。


今晩は「和」。

久しぶりに、こんなマニュアル通りの和食を食べた。

味噌汁を作ろうと思ったら具材がなくて・・・最近ダイコンが安いから買っておけばよかったなぁ。

インスタントの味噌汁でよかったんだ。忘れてた。


なるべくを戴くようにしたいです。
来月、硫黄島の慰霊祭に参列するため、祖母の遺骨を預かることになりました。

そんなわけで、祖母も来たくはなかったとは思うけど、我がゴミ屋敷へ来ることになりました。

リビングの片づけはひと山を越えた状態だったので、惨状を見せることにはならず良かった。

まだ道半ばの片づけの中で、唯一、整然としたパソコンデスクの上で、僕の生活を見守って貰うことにしました。


約1週間のお泊りです。


いま、こうしてブログを書いている隣に祖母が居ると思うと、とても不思議な気分です。
祖母の愛に包まれているような安堵感、不思議な安らぎがあります。

それは、すでに僕が睡眠薬でボーッとしている錯覚かもしれませんが・・・。


僕が病を得て、初めて実家を訪れたころ、祖母は年相応に元気でした。
ですが年相応に衰えてもおり、「心配しはじめると収拾がつかない」という母の判断で、僕の病の事は本人には伏せてありました。

でも、本来ならウィークデーで働いているはずの若者が、何カ月も居座っている事に、年老いた祖母も祖母なりに「何か」を感じたのだと思います。

その後、僕は東京に戻ったのですが、祖母から一通の手紙が届きました。
目が良くみえず、筆を持つ手もおぼつかない、まるで3歳児が書いたような大きな字で、手紙いっぱいにメッセージが書き込まれていました。

さほど長い文章ではありませんでしたが、祖母の「愛情」という名の手紙でした。


死のうと考え続けてきた僕にとって、その手紙は辛く、切なく・・・でも、それ以上に不自由な身体で懸命に書いて、おそらく母に反対されたであろう手紙を出してくれた、その愛情が心に響き、涙が止まらなかった事を思い出します。


祖母はそういう人でした。


祖母を我が家に招いたのは初めての事です。
亡くなってもなお、僕の心をどこかで支え、見守ってくれ、こうして傍に来てくれた事に感謝!

しばらく、晩酌につきあってね、おばあちゃん!
今日は金曜日ですが「日曜大工」

そう、僕はエブリサンデーなので、巷の暦は関係ないのです。

勤労者のみなさんには、本当に申し訳ない話です。。。


ちょっとした台がほしくて。

幅、高さなどの条件に一番近いものを店で探してと思っていて、形からすると・・・すのこかなって当たりをつけていました。

この話は、すこし脇に置きます。


昨日は急に伯母からヘルプの依頼がありました。

エブリサンデー、ぶるじょわな僕は、当然お迎えが付きます。
(・・・わざわざ来て戴きました)

その車中で、「いや~ちょっとした棚を探したいんで、ニトリに寄り道できませんか?」という話をしたら、「作っちゃえばいいのに」と言われた瞬間、昔の事や田舎暮らしの事とかがフッと頭をよぎり、「あーそうかっ!」となるのに時間は掛かりませんでした。


材料は廃材でも十分だし、なにも、その形に意味のあるもの購入して、無理に代用することを考えなくてもいいなと。


もともと僕は、なにかを作るという仕事も業もあるのに、どうしてその発想にいかなかったのかなと思います。幸い、伯母の家では、伯父が日曜大工に精の出る人なので、作るという発想が難しくなかったのでしょう。

別の用件で伯母のお宅へ行ったのですが、別の作業をしている間に、「これは使えるんじゃない?」と色々と材料を探して下さって、伯父の大工道具までお借りして・・・お宝をかばんいっぱいにして帰宅しました。


それで開けて今日です。

さっそく近所の公園にいって、ベンチに一式を揃えて工作開始です。

久しぶりに味わう木工細工は、かなり楽しかったです。ノコギリを引く手に力がなく、筋力が衰えたなぁという事もしみじみ感じながらも、次第に思うように出来上がっていく形に感無量でした。

できあがった棚は、どこで購入できるものより、自分が求めていたものに一番近いものになりました。僕は電気のことばかりやっていましたが、モノづくりの醍醐味とか楽しさ、感動というものは、素材がなんであれ共通のことだなぁと思います。


最近は、町の美化やリサイクルの事もあって、そこいらに廃材が棄てられているという光景を見なくなりましたが、すこし目を凝らして、棄てられたものの有効利用を考えるようにすると、散歩が少し楽しいものになるかなと思いました。


モノづくりって最高!
朝おきたら、キレイに積っていたので、思わずパチリ

路面は積雪がなかったみたいなので、あまり積りやすい雪ではなかったみたいです。

どうりで昨夜は冷えたはずだぁ~。湯たんぽ用意してて良かった。


10時頃から急に天気が回復して、なんと暖かい陽射しが。

午後には、今朝の雪が、まるで夢であったかのように消失してしまいました。


しもやけの話。

初めは右手の2本の指だけだったのが、いまや右手全体、そして左手にも少し。

だんだんひどくなっていきます。

寝ている間、手袋をしている効果があって、朝は腫れが少し引いて「直ってきた」と喜ぶのですが、水に接すると、あっという間に悪化して、その繰り返しです。

何十年と家事を務めている母をはじめとして、家事を担っている多くの方々は、誰かのために、しもやけの悪化をおして洗濯・炊事にと勤しんだんだとうなーと思うと、本当に感謝すべきだなと、つくづく思う。
家計簿の整理は、着々、淡々と進んでいます。

じゃっかん、目がチカチカします。


家計簿をつけはじめて5年になります。

失業してから付けはじめました。

たばこ代は、5年間の通算で、だいたい・・・25万円くらいと思われます。




タイシタコトナイネ
救える命
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