2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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「忘年会をやりましょう」
師匠をお誘いしてから、お互いの都合がうまく合わないままだったんだけど、このたび、ようやく都合を取って戴けて、立川で久しぶりにお話しをすることができた。
毎度、説明を加えているけど、この「師匠」については、僕が一方的にお慕いだけであって、先方と師弟関係が成立しているわけではない。僕はいわば「門前の小僧」という感じである。
フリードリンクの付いたファミリーレストランをセッティングするつもりが、予定していた場所は、予想していたようなお店とは全然違うスタイルのお店だったため、急きょ場所を変更。御歳75歳が間近という師匠と共にマクドナルドに入店。
さすがに休日土曜日の立川は、どこも人、人・・・。窮屈で申し訳なかったけど、とりあえず着席して落ち着くことにした。師匠はとても遠いところにお住まいなので、これから帰路が大変なのだ。話もほどほどに・・・と思っていたんだけど、日常的な話などしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。
何点か、僕のビジネスライフの展望などについても相談に乗って戴いた。師匠は、色々と思うところはあるだろうけど、あまり自論を仰らない。
でもひとつ、「君は放射線の仕事をやりたいの?」とだけ尋ねられ、僕は現実的な回答をした。その時は、思いついたままに私見を述べたけど、今考えてみると、その裏は「方向を変えたほうがいいんじゃないかな」と良いたげだったように感じる。
現実的に考えて、30代半ばにもなる人間を「初心者」で雇い入れてくれるような業界って、いったいどういう業種なんだろう?って思う。アルバイトやパートならあるだろうけども。それくらいに、この歳になっての転職というのは悩ましい。
僕のほうからも、ひとつ悩ましいお願い事をさせてもらい、前向きに考えて戴けるとの事。事が成就する確率は非常に低いが、このチャンスを最後と考えて、フリーエンジニア以外の道というのも考え始めないといけないなと思いつつある。
「(前の)会社に戻ろうという気はないの?」
これは、勤めていた会社の関係者の方々からは、必ずといってよいほど問われる。
そのとき、僕は一貫してこう回答する。
「会社が変わる気がないのなら、ゼロでしょう」
そういうと、相手は「そうか~」というリアクションをするので、僕は今の会社はどうなってるのか良く解らないが、変わろうとしている空気は無いんだろうと察せられて、正直悲しい気持ちになる。
始めのうちは、会社と僕との関係性のみを考え、会社のやり方には非常に否定的な感情を抱いていたけど、今、国政とか経済界とかの在り方を断片的に知っていくうちに、あの会社も、ある意味「被害者」のような立場だなと同情できるところがある。
戦後のように、「みんなで日本を良くしていこう!」という協調性はもはやなく、同じ日本の中で、互いを騙し、欺き、蹴落とす・・・「弱きをくじき、強きにまかれる」というご時世に流されている悲しい現状がある。この理念こそが、まさに騒がれているデフレという悪循環の根幹であると僕は思っている。
このスパイラルを止めるために、どこかが抗わないといけない。
それが例え小さな企業であっても、ポリシーをしっかり持ち、確固とした理念と価値観の上で、決して安請け合いはしない。そういうプライドを持てるような育成ができるかが、僕にとっての大きな魅力の一つ。でも、残念ながらそういう事は前の会社は興味がないらしい。つまりはすでに「敗者の体」を成してしまっているようである。
さすがに、師匠も少し寂しそうだった。
仕事とか、そういう利害関係とは別にして、師弟の縁は大切にしていきたいなと思った。用事がなくても、たまには元気な顔を見せて、江の島までの散歩もお付き合いしてみたいな~と思いました。良い一日だった。
師匠をお誘いしてから、お互いの都合がうまく合わないままだったんだけど、このたび、ようやく都合を取って戴けて、立川で久しぶりにお話しをすることができた。
毎度、説明を加えているけど、この「師匠」については、僕が一方的にお慕いだけであって、先方と師弟関係が成立しているわけではない。僕はいわば「門前の小僧」という感じである。
フリードリンクの付いたファミリーレストランをセッティングするつもりが、予定していた場所は、予想していたようなお店とは全然違うスタイルのお店だったため、急きょ場所を変更。御歳75歳が間近という師匠と共にマクドナルドに入店。
さすがに休日土曜日の立川は、どこも人、人・・・。窮屈で申し訳なかったけど、とりあえず着席して落ち着くことにした。師匠はとても遠いところにお住まいなので、これから帰路が大変なのだ。話もほどほどに・・・と思っていたんだけど、日常的な話などしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。
何点か、僕のビジネスライフの展望などについても相談に乗って戴いた。師匠は、色々と思うところはあるだろうけど、あまり自論を仰らない。
でもひとつ、「君は放射線の仕事をやりたいの?」とだけ尋ねられ、僕は現実的な回答をした。その時は、思いついたままに私見を述べたけど、今考えてみると、その裏は「方向を変えたほうがいいんじゃないかな」と良いたげだったように感じる。
現実的に考えて、30代半ばにもなる人間を「初心者」で雇い入れてくれるような業界って、いったいどういう業種なんだろう?って思う。アルバイトやパートならあるだろうけども。それくらいに、この歳になっての転職というのは悩ましい。
僕のほうからも、ひとつ悩ましいお願い事をさせてもらい、前向きに考えて戴けるとの事。事が成就する確率は非常に低いが、このチャンスを最後と考えて、フリーエンジニア以外の道というのも考え始めないといけないなと思いつつある。
「(前の)会社に戻ろうという気はないの?」
これは、勤めていた会社の関係者の方々からは、必ずといってよいほど問われる。
そのとき、僕は一貫してこう回答する。
「会社が変わる気がないのなら、ゼロでしょう」
そういうと、相手は「そうか~」というリアクションをするので、僕は今の会社はどうなってるのか良く解らないが、変わろうとしている空気は無いんだろうと察せられて、正直悲しい気持ちになる。
始めのうちは、会社と僕との関係性のみを考え、会社のやり方には非常に否定的な感情を抱いていたけど、今、国政とか経済界とかの在り方を断片的に知っていくうちに、あの会社も、ある意味「被害者」のような立場だなと同情できるところがある。
戦後のように、「みんなで日本を良くしていこう!」という協調性はもはやなく、同じ日本の中で、互いを騙し、欺き、蹴落とす・・・「弱きをくじき、強きにまかれる」というご時世に流されている悲しい現状がある。この理念こそが、まさに騒がれているデフレという悪循環の根幹であると僕は思っている。
このスパイラルを止めるために、どこかが抗わないといけない。
それが例え小さな企業であっても、ポリシーをしっかり持ち、確固とした理念と価値観の上で、決して安請け合いはしない。そういうプライドを持てるような育成ができるかが、僕にとっての大きな魅力の一つ。でも、残念ながらそういう事は前の会社は興味がないらしい。つまりはすでに「敗者の体」を成してしまっているようである。
さすがに、師匠も少し寂しそうだった。
仕事とか、そういう利害関係とは別にして、師弟の縁は大切にしていきたいなと思った。用事がなくても、たまには元気な顔を見せて、江の島までの散歩もお付き合いしてみたいな~と思いました。良い一日だった。
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某モニターサイトのアンケート案件の中で、調査の一環として導入を依頼された
検索ワードキャプチャ(プログラム名:PanelApp.exe)
名目は、「検索ワードのみを収集し、その情報をデータサーバーに転送する」というプラグインソフトウェアらしいのだが・・・どうも腑に落ちない。どういう手法なのか勘ぐっていて、活性させるか悩んでいる。
いくつかやり方はあると思うのだが、一番危ない、かつ単純な方法は「キーボードキャプチャ」である。
しかし、これをやられてしまうと、検索ワードはおろか、ID・パスワードまでがキャプチャされてしまう恐れがある。仮にそれが転送されたとしても、相手がそれを悪用しないという前提に立たないと、そう簡単に動作を許せるものではない。
インストール後、このPanelApp.exeが何度かインターネット接続を試みたため、これはブロックした。しかし、これではモニターにならない。さて、どうしたものか・・・。
そうこう悩んでいるうちに、ウィルスサーチャーが「ウィルスだ」と騒ぎ出した。
一応、モニターサイトの中堅クラスの依頼。信用できるものなのかもしれないけど、こう悪材料が多いと、怪しまれても仕方ないよね。僕は導入を見送ることにしました。
検索ワードキャプチャ(プログラム名:PanelApp.exe)
名目は、「検索ワードのみを収集し、その情報をデータサーバーに転送する」というプラグインソフトウェアらしいのだが・・・どうも腑に落ちない。どういう手法なのか勘ぐっていて、活性させるか悩んでいる。
いくつかやり方はあると思うのだが、一番危ない、かつ単純な方法は「キーボードキャプチャ」である。
しかし、これをやられてしまうと、検索ワードはおろか、ID・パスワードまでがキャプチャされてしまう恐れがある。仮にそれが転送されたとしても、相手がそれを悪用しないという前提に立たないと、そう簡単に動作を許せるものではない。
インストール後、このPanelApp.exeが何度かインターネット接続を試みたため、これはブロックした。しかし、これではモニターにならない。さて、どうしたものか・・・。
そうこう悩んでいるうちに、ウィルスサーチャーが「ウィルスだ」と騒ぎ出した。
一応、モニターサイトの中堅クラスの依頼。信用できるものなのかもしれないけど、こう悪材料が多いと、怪しまれても仕方ないよね。僕は導入を見送ることにしました。
硫黄島に到着したら、マイクロバスに乗り込んで、まっすぐに会場である摺鉢(すりばち)山のふもとへ。
映画でも象徴的だった擂鉢山は、島の南端に位置し、ほとんどが平地である島の中で一部分だけがボコッと出っ張ったような感じ。島全体の様子を見てもシンボルのような存在です。
そのふもとに 硫黄島戦没者顕彰碑 があり、そこが会場。
今回の慰霊式は例年になく大規模なものだったそうだが、その舞台裏では大変な御苦労があったそうだ。戦勝国のアメリカと戦敗国である日本は真逆の境遇。一方は「祭り」のように大勢で派手に、一方は「参拝(葬式)」と、その接し方にずいぶん隔たりがあったらしい。
現地に着くと、たくさんの人であふれかえっていた。
アメリカからは、本土から飛行機だったり、自動車を数十台積載した大型船などで、大勢の方がこの日のために上陸したそうだ。この島には宿泊施設などもないので、草原にテントを張っている様子も見られた。
参拝者以外に、自衛隊、米海兵隊も大勢いて、かなり賑やかだった。
慰霊碑が見える、少し小高くなったところに、自衛隊と米海兵隊の楽隊が凛と整列。風格がありかっこいいなーと思ったけど、それもそのはず。自衛隊は「陸上自衛隊中央音楽隊」。かたや米軍は「米海兵隊司令官音楽隊」とそこいらの楽隊とは違うらしい。
写真の手前、白い制服が自衛隊で、奥が米海兵隊。
演奏を交互に行うのだけど、自衛隊の演奏はさすが!すばらしかった。米海兵隊は、こういっちゃなんだが・・・あまり上手じゃなかった。
この日は、うれしいことに天気に恵まれたが予想以上に暖かい炎天下となり、その下でずっと整列させられていた彼らは大変だったと思う。米海兵隊の1人が突然、日射病でその場に倒れてしまい、担がれて退出するハプニングがあった。
日本硫黄島協会の会長は、ご高齢で体調不良で急きょ欠席されたため、副会長の西氏(西竹一の実子)が代読。硫黄島問題懇話会の会長、衆議院議員 逢沢一郎氏、遺族代表として衆議院議員 新藤義孝氏(時の人となった栗林中将の孫)、外務副大臣の衆議院議員の武正氏など、早々たる面々が壇上で追悼を述べた。
アメリカも、ルース駐日大使、米海兵隊司令官コンウェイ大将が挨拶を述べた。
英語がまるでダメなので、よくわからなかったが、良いことを言っていた気がする。
その後、献花・献水が行われた。献水というのは、戦地・硫黄島はとにかく水が無く、激戦のなかで兵たちは水に窮していたそうで、彼らが一番喜ぶのは「水」だろうということで行われる。
TVなどでおなじみの安住淳衆議院議員は、ご遺族だそうで、献花に参列された。
写真奥の白髪の老人は、米硫黄島協会の会長さん。その下のボサボサ頭が、安住氏。
その手前のがたいが良いのは、防衛大臣政務官の長嶋衆議院議員かな。
同じ戦地で戦った両国が、こうして合同で戦没者を慰霊することには大変な意義がある。イーストウッドが両国の側面を描きだした2本の映画によって、お互いが命を賭して戦った動機は同じであったことは世界的に、そして戦争を知らない一般市民にも知るところになった。そういう意味でも、「昨日の敵は今日の友」であることを、戦没者の前で誓い合うことがなによりの供養になるのだと感じた。
映画でも象徴的だった擂鉢山は、島の南端に位置し、ほとんどが平地である島の中で一部分だけがボコッと出っ張ったような感じ。島全体の様子を見てもシンボルのような存在です。
そのふもとに 硫黄島戦没者顕彰碑 があり、そこが会場。
今回の慰霊式は例年になく大規模なものだったそうだが、その舞台裏では大変な御苦労があったそうだ。戦勝国のアメリカと戦敗国である日本は真逆の境遇。一方は「祭り」のように大勢で派手に、一方は「参拝(葬式)」と、その接し方にずいぶん隔たりがあったらしい。
現地に着くと、たくさんの人であふれかえっていた。
アメリカからは、本土から飛行機だったり、自動車を数十台積載した大型船などで、大勢の方がこの日のために上陸したそうだ。この島には宿泊施設などもないので、草原にテントを張っている様子も見られた。
参拝者以外に、自衛隊、米海兵隊も大勢いて、かなり賑やかだった。
慰霊碑が見える、少し小高くなったところに、自衛隊と米海兵隊の楽隊が凛と整列。風格がありかっこいいなーと思ったけど、それもそのはず。自衛隊は「陸上自衛隊中央音楽隊」。かたや米軍は「米海兵隊司令官音楽隊」とそこいらの楽隊とは違うらしい。
写真の手前、白い制服が自衛隊で、奥が米海兵隊。
演奏を交互に行うのだけど、自衛隊の演奏はさすが!すばらしかった。米海兵隊は、こういっちゃなんだが・・・あまり上手じゃなかった。
この日は、うれしいことに天気に恵まれたが予想以上に暖かい炎天下となり、その下でずっと整列させられていた彼らは大変だったと思う。米海兵隊の1人が突然、日射病でその場に倒れてしまい、担がれて退出するハプニングがあった。
日本硫黄島協会の会長は、ご高齢で体調不良で急きょ欠席されたため、副会長の西氏(西竹一の実子)が代読。硫黄島問題懇話会の会長、衆議院議員 逢沢一郎氏、遺族代表として衆議院議員 新藤義孝氏(時の人となった栗林中将の孫)、外務副大臣の衆議院議員の武正氏など、早々たる面々が壇上で追悼を述べた。
アメリカも、ルース駐日大使、米海兵隊司令官コンウェイ大将が挨拶を述べた。
英語がまるでダメなので、よくわからなかったが、良いことを言っていた気がする。
その後、献花・献水が行われた。献水というのは、戦地・硫黄島はとにかく水が無く、激戦のなかで兵たちは水に窮していたそうで、彼らが一番喜ぶのは「水」だろうということで行われる。
TVなどでおなじみの安住淳衆議院議員は、ご遺族だそうで、献花に参列された。
写真奥の白髪の老人は、米硫黄島協会の会長さん。その下のボサボサ頭が、安住氏。
その手前のがたいが良いのは、防衛大臣政務官の長嶋衆議院議員かな。
同じ戦地で戦った両国が、こうして合同で戦没者を慰霊することには大変な意義がある。イーストウッドが両国の側面を描きだした2本の映画によって、お互いが命を賭して戦った動機は同じであったことは世界的に、そして戦争を知らない一般市民にも知るところになった。そういう意味でも、「昨日の敵は今日の友」であることを、戦没者の前で誓い合うことがなによりの供養になるのだと感じた。
「よく眠れたかい?」
開口一番、母に尋ねられたが、200%の皮肉だ。
となりに居た「怪獣」の正体は母。
朝、4時半。無情にも鳴ったモーニングコールを消したのは僕だ。
それから半時ほど金縛りになっていたが、5時になると、なにやら外が騒がしくなってきた。
そういえば、昨日のホテルから、「朝食は特別に5時から始めております」という説明があったっけ。
参加者の多くは、高齢者もしくは、スゲー高齢者だ。さすがに朝が早い。
「メシはまだかい?」
と言わんばかりの勢いだ。
まだ若い母(?)と僕は、ノロノロ、グズグズとして、遅れること3~40分、部屋を出てモーニングコーヒーにありついた。
このブログでは私生活事情を、赤裸々につづっているが、毎朝飲むモーニングコーヒーは、通称「出がらし珈琲」である。かろうじて色がついているが、砂糖水を飲んでいるような感じなので、ふたたび睡魔に襲われるという、珈琲の風上にもおけない珈琲。
さすがに一流ホテルのモーニングコーヒーは、「これぞ珈琲! これが、かふぃーってもんだ」という、目がパキッと覚めるような珈琲だった。やっぱりウマい珈琲はウマい。
朝6時半にロビーに集合して、2便に分かれて空港へ。
とはいっても、ホテルは羽田第二、空港は、いまお騒がせのJALのある羽田第一。これをバスに乗っていこうというのだから、ますますリッチな話。
でも、普通に歩ける団体なら、そういう事なんだけども、お年寄りが大勢で、既に不自由な方もいらっしゃる今回のツアーは、やはり特別は配慮が必要なのだ。そういう意味でみると、このツアーは、ほんとうに色々な気配りと配慮が感じられる。
そんなわけで、空港に着くのも、
「おいおい、早すぎるだろー」
というくらいに時間に余裕。
余裕は大事。
ほれ、このとおり、飛行機に不慣れな母は、金属探知機に探知され、その後、検査官に身ぐるみ剥がされるんじゃないかという勢いで攻撃を受けている。
このように、逐一手際が悪いのが、ザ高齢者。
硫黄島は、定期便がなく、今回は慰霊祭のために硫黄島協会がチャーターしたもの。
電光掲示板には、どのように表示されるのかな?と関心があったけど、そういうのは一切なし。シークレットではないんだろうけど、シークレットな感じ。
政治家などの要人たちは、一般参加者が搭乗した後に、ひっそりと前列の、ゆったりシートに入った様子。それまでどこに隠れてた? VIPラウンジか。
一般参加者と会話しろってんだ。お高くとまりやがって。
なんて事は、僕ほどの「じぇんとるまん」になると露ほども思わない。
硫黄島は、東京都小笠原列島の中で、南端に位置するところで、予定飛行時間は2時間。
残念ながら窓際席ではなかったので、海を行く様子はぜんぜん解らなかった。というか眠かったから寝た。しかし、隣のおばちゃんが、人が良いのか、いろんなところと会話はずませちゃってウルサくて・・・。
搭乗前に
「行きも帰りも同じ座席になります」
と聞いて、「そりゃ、楽でいいわ」 なんて思ったけど、気持ちは早くも席替えプリーズだ。
眼下に硫黄島が見えたとき、そのおばちゃん押しのけて、やっとパチリと1枚。
硫黄島に上陸しました。
青々として、やはり南国という感じがしますが、これは人の手が入って整備されたところだけなんです。
このカットでは戦地の面影がないですが、雑然とした風景と人気(ひとけ)の無く軍人だけが居るという状景が、「何かあったんだな」という事を感じさせます。
開口一番、母に尋ねられたが、200%の皮肉だ。
となりに居た「怪獣」の正体は母。
朝、4時半。無情にも鳴ったモーニングコールを消したのは僕だ。
それから半時ほど金縛りになっていたが、5時になると、なにやら外が騒がしくなってきた。
そういえば、昨日のホテルから、「朝食は特別に5時から始めております」という説明があったっけ。
参加者の多くは、高齢者もしくは、スゲー高齢者だ。さすがに朝が早い。
「メシはまだかい?」
と言わんばかりの勢いだ。
まだ若い母(?)と僕は、ノロノロ、グズグズとして、遅れること3~40分、部屋を出てモーニングコーヒーにありついた。
このブログでは私生活事情を、赤裸々につづっているが、毎朝飲むモーニングコーヒーは、通称「出がらし珈琲」である。かろうじて色がついているが、砂糖水を飲んでいるような感じなので、ふたたび睡魔に襲われるという、珈琲の風上にもおけない珈琲。
さすがに一流ホテルのモーニングコーヒーは、「これぞ珈琲! これが、かふぃーってもんだ」という、目がパキッと覚めるような珈琲だった。やっぱりウマい珈琲はウマい。
朝6時半にロビーに集合して、2便に分かれて空港へ。
とはいっても、ホテルは羽田第二、空港は、いまお騒がせのJALのある羽田第一。これをバスに乗っていこうというのだから、ますますリッチな話。
でも、普通に歩ける団体なら、そういう事なんだけども、お年寄りが大勢で、既に不自由な方もいらっしゃる今回のツアーは、やはり特別は配慮が必要なのだ。そういう意味でみると、このツアーは、ほんとうに色々な気配りと配慮が感じられる。
そんなわけで、空港に着くのも、
「おいおい、早すぎるだろー」
というくらいに時間に余裕。
余裕は大事。
ほれ、このとおり、飛行機に不慣れな母は、金属探知機に探知され、その後、検査官に身ぐるみ剥がされるんじゃないかという勢いで攻撃を受けている。
このように、逐一手際が悪いのが、ザ高齢者。
硫黄島は、定期便がなく、今回は慰霊祭のために硫黄島協会がチャーターしたもの。
電光掲示板には、どのように表示されるのかな?と関心があったけど、そういうのは一切なし。シークレットではないんだろうけど、シークレットな感じ。
政治家などの要人たちは、一般参加者が搭乗した後に、ひっそりと前列の、ゆったりシートに入った様子。それまでどこに隠れてた? VIPラウンジか。
一般参加者と会話しろってんだ。お高くとまりやがって。
なんて事は、僕ほどの「じぇんとるまん」になると露ほども思わない。
硫黄島は、東京都小笠原列島の中で、南端に位置するところで、予定飛行時間は2時間。
残念ながら窓際席ではなかったので、海を行く様子はぜんぜん解らなかった。というか眠かったから寝た。しかし、隣のおばちゃんが、人が良いのか、いろんなところと会話はずませちゃってウルサくて・・・。
搭乗前に
「行きも帰りも同じ座席になります」
と聞いて、「そりゃ、楽でいいわ」 なんて思ったけど、気持ちは早くも席替えプリーズだ。
眼下に硫黄島が見えたとき、そのおばちゃん押しのけて、やっとパチリと1枚。
硫黄島に上陸しました。
青々として、やはり南国という感じがしますが、これは人の手が入って整備されたところだけなんです。
このカットでは戦地の面影がないですが、雑然とした風景と人気(ひとけ)の無く軍人だけが居るという状景が、「何かあったんだな」という事を感じさせます。
慰霊祭出席のため、硫黄島への渡航を明日に控えて、参列者一同が羽田ターミナルビルの最上階に集まって「結団式」が開かれました。
当日渡された資料には、参加者一覧と現地の地図があり、ご遺族の方には戦没者の「所属部隊」が記されていました。所属部隊が玉砕(壊滅)した場所は、地図上の番号と照合できるような配慮がされていました。
この時点では土地勘もない場所だし、当日はどのような行動となるのかが解らなかったので、どのように役に立つものかは解りませんでしたが・・・。
戦後65年となる今年は、例年になく大規模な慰霊祭になるという説明がありました。
「65年」という数字は、一見キリが良い数字のようにも思えないですが、戦争の生還者は90歳を超え、その子供も高齢となっており、次に開催されるときは、生きておられたにしても決して快適とはいえない強行スケジュールの小旅行に耐えることが難しいという思惑があるようです。
慰霊祭は日米共催の合同慰霊祭というものです。
アメリカは戦勝国ですから、「お祭り騒ぎ」で、船で飛行機で、大勢の人が参加されるということでした。
2年前に行われた合同慰霊祭は、大変に不順な天候だったので、参加した伯父は、とうとう外に出ることも叶わなかったらしいのですが、今年は・・・幸いなことに晴れの予報。一番の心配だったので、まずはよかったよかった。
参列者は
アメリカからは日本でも有名なルース米駐日大使。米海兵隊司令官。
日本からも有名人が数名。
2、3年前に、クリントイーストウッドの映画や、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「散るぞ悲しき」(梯久美子著)などで空前の「硫黄島ブーム」となって、一躍「時の人」となった、栗林忠道陸軍中将の孫にあたる新藤義孝衆議院議員。
映画でも中心的人物として描かれたメダリストの西竹一(バロン西)中佐のお子さんにあたる方は、日本硫黄島協会の副会長でいらっしゃいます。 それから外務副大臣の武正公一衆議院議員、防衛大臣政務官の長嶋昭久衆議院議員。 TVでおなじみの安住淳衆議院議員もなんとご遺族だそうで、参列されました。
そして、硫黄島ブームの火付け役となった作家、梯久美子氏。と豪華な顔ぶれです。
参加者の中に、おひとりだけ生還者がご出席なさいました。御歳91歳。
硫黄島からの生還者ではなく、隣島の父島で通信使をされていた方で、硫黄島から本土への通信連絡の中継をしていたとの事でした。硫黄島で戦没した同士たちとは縁が深く、未だ訪れた事がない硫黄島を参拝したいと参加されたそうです。
翌日は、朝4時半に強制的にモーニングコールが鳴るという、ありがた迷惑なサービス付き。
結団式終了後、羽田第二ターミナルビルへ移動。初めての「ビッグバード」です。もっとフィーバー(?)した場所なのかと思ったら、そうでもありません。
夜は、不思議な縁のある梯久美子さんと食事をしました。お酒はけっこうイケるらしいのですが、翌日が翌日なので・・・ほどほどに飲みながら、空前の「硫黄島ブーム」のバックヤードの話など聞かせて貰いました。
僕のような落ちこぼれが、受賞歴を持つような凄い作家さんと、席を並べて酒を飲んでいるなんてね。「人の縁」は、ほんとに解りません。
祖母と、そして硫黄島に眠る祖父のお引き合わせに違いないと思います。
その夜は、翌朝の事を考えると睡眠薬の服薬は寝過ごす可能性あり、酒をしこたま飲んだ、隣からは怪獣が居るかのようなイビキ。起きるでも眠るでもなく夜を明かしました。
明日はいよいよ硫黄島上陸です。
当日渡された資料には、参加者一覧と現地の地図があり、ご遺族の方には戦没者の「所属部隊」が記されていました。所属部隊が玉砕(壊滅)した場所は、地図上の番号と照合できるような配慮がされていました。
この時点では土地勘もない場所だし、当日はどのような行動となるのかが解らなかったので、どのように役に立つものかは解りませんでしたが・・・。
戦後65年となる今年は、例年になく大規模な慰霊祭になるという説明がありました。
「65年」という数字は、一見キリが良い数字のようにも思えないですが、戦争の生還者は90歳を超え、その子供も高齢となっており、次に開催されるときは、生きておられたにしても決して快適とはいえない強行スケジュールの小旅行に耐えることが難しいという思惑があるようです。
慰霊祭は日米共催の合同慰霊祭というものです。
アメリカは戦勝国ですから、「お祭り騒ぎ」で、船で飛行機で、大勢の人が参加されるということでした。
2年前に行われた合同慰霊祭は、大変に不順な天候だったので、参加した伯父は、とうとう外に出ることも叶わなかったらしいのですが、今年は・・・幸いなことに晴れの予報。一番の心配だったので、まずはよかったよかった。
参列者は
アメリカからは日本でも有名なルース米駐日大使。米海兵隊司令官。
日本からも有名人が数名。
2、3年前に、クリントイーストウッドの映画や、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「散るぞ悲しき」(梯久美子著)などで空前の「硫黄島ブーム」となって、一躍「時の人」となった、栗林忠道陸軍中将の孫にあたる新藤義孝衆議院議員。
映画でも中心的人物として描かれたメダリストの西竹一(バロン西)中佐のお子さんにあたる方は、日本硫黄島協会の副会長でいらっしゃいます。 それから外務副大臣の武正公一衆議院議員、防衛大臣政務官の長嶋昭久衆議院議員。 TVでおなじみの安住淳衆議院議員もなんとご遺族だそうで、参列されました。
そして、硫黄島ブームの火付け役となった作家、梯久美子氏。と豪華な顔ぶれです。
参加者の中に、おひとりだけ生還者がご出席なさいました。御歳91歳。
硫黄島からの生還者ではなく、隣島の父島で通信使をされていた方で、硫黄島から本土への通信連絡の中継をしていたとの事でした。硫黄島で戦没した同士たちとは縁が深く、未だ訪れた事がない硫黄島を参拝したいと参加されたそうです。
翌日は、朝4時半に強制的にモーニングコールが鳴るという、ありがた迷惑なサービス付き。
結団式終了後、羽田第二ターミナルビルへ移動。初めての「ビッグバード」です。もっとフィーバー(?)した場所なのかと思ったら、そうでもありません。
夜は、不思議な縁のある梯久美子さんと食事をしました。お酒はけっこうイケるらしいのですが、翌日が翌日なので・・・ほどほどに飲みながら、空前の「硫黄島ブーム」のバックヤードの話など聞かせて貰いました。
僕のような落ちこぼれが、受賞歴を持つような凄い作家さんと、席を並べて酒を飲んでいるなんてね。「人の縁」は、ほんとに解りません。
祖母と、そして硫黄島に眠る祖父のお引き合わせに違いないと思います。
その夜は、翌朝の事を考えると睡眠薬の服薬は寝過ごす可能性あり、酒をしこたま飲んだ、隣からは怪獣が居るかのようなイビキ。起きるでも眠るでもなく夜を明かしました。
明日はいよいよ硫黄島上陸です。
なんか冷えるなぁ・・・と思ったら、外は雨です。
昨夜、タバコを切らして、今朝は起きてから我慢できるところまで我慢。
11:30に散歩がてら家を出て、1km離れたコンビニへ行って一服。
ずいぶん歩いて出たので、ついでに新しく出来たサンドラッグとダイソーを視察に行こうとさらに600m歩いた。
新しいサンドラッグに入店してシステムを確認。5の倍数の日はポイント3倍。
今日はチラシ出ていたのかな?値段はまぁまぁ安い気がする。これはチラシは要チェックだなと思った。
2階はダイソー。
水栓のパッキンが悪くなっているので探しているんだけど無かった。実家、山口のほうには普通に置いてあるんだけどな。。。地域制が出ていて、それもまた楽しい。
ボールペンと名前ペンを購入。このダイソーは電子マネーやカードが使えないのが不満。
ずいぶん遠出をした。
お陰で帰路は1.3km。帰宅は1時前になった。4km弱歩いたのかな。万歩計をつけて出ればよかったかなって思った。
いよいよ明日は硫黄島へ行くために、前日移動です。
祖母には申し訳ないけど、早目にカバンの中に入って貰いました。留守番してもらう事になったら、それこそ大変!
日本の南の果て、硫黄島はさすがに暖かいらしいけど、残念ながら雨の予報。
祖父が眠る硫黄島の風に、祖母を乗せてあげられると良いなって思う。でも、もう2人は天国でとっくに再会しているのかな。
一応、慰霊祭ということなので、喪服とまではいかないまでもスーツのようです。
3年ぶりのスーツです。変なところに穴があいてたりしたらどうしようって感じです。
昨夜、タバコを切らして、今朝は起きてから我慢できるところまで我慢。
11:30に散歩がてら家を出て、1km離れたコンビニへ行って一服。
ずいぶん歩いて出たので、ついでに新しく出来たサンドラッグとダイソーを視察に行こうとさらに600m歩いた。
新しいサンドラッグに入店してシステムを確認。5の倍数の日はポイント3倍。
今日はチラシ出ていたのかな?値段はまぁまぁ安い気がする。これはチラシは要チェックだなと思った。
2階はダイソー。
水栓のパッキンが悪くなっているので探しているんだけど無かった。実家、山口のほうには普通に置いてあるんだけどな。。。地域制が出ていて、それもまた楽しい。
ボールペンと名前ペンを購入。このダイソーは電子マネーやカードが使えないのが不満。
ずいぶん遠出をした。
お陰で帰路は1.3km。帰宅は1時前になった。4km弱歩いたのかな。万歩計をつけて出ればよかったかなって思った。
いよいよ明日は硫黄島へ行くために、前日移動です。
祖母には申し訳ないけど、早目にカバンの中に入って貰いました。留守番してもらう事になったら、それこそ大変!
日本の南の果て、硫黄島はさすがに暖かいらしいけど、残念ながら雨の予報。
祖父が眠る硫黄島の風に、祖母を乗せてあげられると良いなって思う。でも、もう2人は天国でとっくに再会しているのかな。
一応、慰霊祭ということなので、喪服とまではいかないまでもスーツのようです。
3年ぶりのスーツです。変なところに穴があいてたりしたらどうしようって感じです。
先月は28日が「イオンお客様感謝デー」
僕の手作りメモ帳には、この日のために購入するものがリストされています。この日を外してしまうと、次は20日後。
心配だったのは体調よりも天気。
予報通り、午前中は雨。こりゃまずいなぁと思っていたら、昼を過ぎたころにウソのように陽射しが出てきて
「いまこそ好機!」
とばかりに出動。
いつも行くマックスバリュは、自宅から5kmほど離れたところ。自転車で約15分を疾走します。
この日は日曜日だったこともあって、店内はかなり賑わっており「レジが混んでおりまーす」とアナウンスが流れていました。
日頃の運動不足がたたって、到着するとヘロヘロの状態。買い物用のバギーに寄りかかるように巡回開始。
と入店して間もなく、計画外の事が発生。
・・・でも、それは「無かった事」にして、とりあえずは買い物リスト通りのものをカゴに入れて行き、店内を一周。元の場所に戻ってきた。
その場でしばしウロウロ。悩む・・・悩む・・・。
そして、
・・・・買ってしまった・・・。
この予定外の買い物に、大幅な計画変更。
近所でも数円差で購入できそうなものを優先的に返却!
それでも、総重量15kg超。前カゴに、そしてリュックに背負って、5kmの帰路をなんとか帰った。
ヘトヘト。
ちなみに、悩ませたこの米のお値段、2450円!
この5年、ブレンド米かタイ米だったから、こしひかりなんて、すごいリッチ。
やっぱりおいしいかなー、楽しみです。
それと大収穫がスポーツドリンクの粉末。
3割引の大量陳列。5リットル分のものが220円。1リットル当たり約44円だ。
これは思わぬ収穫だった。
レギュラーコーヒーも、キャンペーン中で1割増量中だったし。
いい買い物だったんじゃないかなー。気分がいいですが、ちょっとまとまったお金が出たので、ガクッと来た。
でも、その前に、臨時収入があったので助かりました。
僕の手作りメモ帳には、この日のために購入するものがリストされています。この日を外してしまうと、次は20日後。
心配だったのは体調よりも天気。
予報通り、午前中は雨。こりゃまずいなぁと思っていたら、昼を過ぎたころにウソのように陽射しが出てきて
「いまこそ好機!」
とばかりに出動。
いつも行くマックスバリュは、自宅から5kmほど離れたところ。自転車で約15分を疾走します。
この日は日曜日だったこともあって、店内はかなり賑わっており「レジが混んでおりまーす」とアナウンスが流れていました。
日頃の運動不足がたたって、到着するとヘロヘロの状態。買い物用のバギーに寄りかかるように巡回開始。
と入店して間もなく、計画外の事が発生。
・・・でも、それは「無かった事」にして、とりあえずは買い物リスト通りのものをカゴに入れて行き、店内を一周。元の場所に戻ってきた。
その場でしばしウロウロ。悩む・・・悩む・・・。
そして、
・・・・買ってしまった・・・。
この予定外の買い物に、大幅な計画変更。
近所でも数円差で購入できそうなものを優先的に返却!
それでも、総重量15kg超。前カゴに、そしてリュックに背負って、5kmの帰路をなんとか帰った。
ヘトヘト。
ちなみに、悩ませたこの米のお値段、2450円!
この5年、ブレンド米かタイ米だったから、こしひかりなんて、すごいリッチ。
やっぱりおいしいかなー、楽しみです。
それと大収穫がスポーツドリンクの粉末。
3割引の大量陳列。5リットル分のものが220円。1リットル当たり約44円だ。
これは思わぬ収穫だった。
レギュラーコーヒーも、キャンペーン中で1割増量中だったし。
いい買い物だったんじゃないかなー。気分がいいですが、ちょっとまとまったお金が出たので、ガクッと来た。
でも、その前に、臨時収入があったので助かりました。