2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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「忘年会をやりましょう」
師匠をお誘いしてから、お互いの都合がうまく合わないままだったんだけど、このたび、ようやく都合を取って戴けて、立川で久しぶりにお話しをすることができた。
毎度、説明を加えているけど、この「師匠」については、僕が一方的にお慕いだけであって、先方と師弟関係が成立しているわけではない。僕はいわば「門前の小僧」という感じである。
フリードリンクの付いたファミリーレストランをセッティングするつもりが、予定していた場所は、予想していたようなお店とは全然違うスタイルのお店だったため、急きょ場所を変更。御歳75歳が間近という師匠と共にマクドナルドに入店。
さすがに休日土曜日の立川は、どこも人、人・・・。窮屈で申し訳なかったけど、とりあえず着席して落ち着くことにした。師匠はとても遠いところにお住まいなので、これから帰路が大変なのだ。話もほどほどに・・・と思っていたんだけど、日常的な話などしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。
何点か、僕のビジネスライフの展望などについても相談に乗って戴いた。師匠は、色々と思うところはあるだろうけど、あまり自論を仰らない。
でもひとつ、「君は放射線の仕事をやりたいの?」とだけ尋ねられ、僕は現実的な回答をした。その時は、思いついたままに私見を述べたけど、今考えてみると、その裏は「方向を変えたほうがいいんじゃないかな」と良いたげだったように感じる。
現実的に考えて、30代半ばにもなる人間を「初心者」で雇い入れてくれるような業界って、いったいどういう業種なんだろう?って思う。アルバイトやパートならあるだろうけども。それくらいに、この歳になっての転職というのは悩ましい。
僕のほうからも、ひとつ悩ましいお願い事をさせてもらい、前向きに考えて戴けるとの事。事が成就する確率は非常に低いが、このチャンスを最後と考えて、フリーエンジニア以外の道というのも考え始めないといけないなと思いつつある。
「(前の)会社に戻ろうという気はないの?」
これは、勤めていた会社の関係者の方々からは、必ずといってよいほど問われる。
そのとき、僕は一貫してこう回答する。
「会社が変わる気がないのなら、ゼロでしょう」
そういうと、相手は「そうか~」というリアクションをするので、僕は今の会社はどうなってるのか良く解らないが、変わろうとしている空気は無いんだろうと察せられて、正直悲しい気持ちになる。
始めのうちは、会社と僕との関係性のみを考え、会社のやり方には非常に否定的な感情を抱いていたけど、今、国政とか経済界とかの在り方を断片的に知っていくうちに、あの会社も、ある意味「被害者」のような立場だなと同情できるところがある。
戦後のように、「みんなで日本を良くしていこう!」という協調性はもはやなく、同じ日本の中で、互いを騙し、欺き、蹴落とす・・・「弱きをくじき、強きにまかれる」というご時世に流されている悲しい現状がある。この理念こそが、まさに騒がれているデフレという悪循環の根幹であると僕は思っている。
このスパイラルを止めるために、どこかが抗わないといけない。
それが例え小さな企業であっても、ポリシーをしっかり持ち、確固とした理念と価値観の上で、決して安請け合いはしない。そういうプライドを持てるような育成ができるかが、僕にとっての大きな魅力の一つ。でも、残念ながらそういう事は前の会社は興味がないらしい。つまりはすでに「敗者の体」を成してしまっているようである。
さすがに、師匠も少し寂しそうだった。
仕事とか、そういう利害関係とは別にして、師弟の縁は大切にしていきたいなと思った。用事がなくても、たまには元気な顔を見せて、江の島までの散歩もお付き合いしてみたいな~と思いました。良い一日だった。
師匠をお誘いしてから、お互いの都合がうまく合わないままだったんだけど、このたび、ようやく都合を取って戴けて、立川で久しぶりにお話しをすることができた。
毎度、説明を加えているけど、この「師匠」については、僕が一方的にお慕いだけであって、先方と師弟関係が成立しているわけではない。僕はいわば「門前の小僧」という感じである。
フリードリンクの付いたファミリーレストランをセッティングするつもりが、予定していた場所は、予想していたようなお店とは全然違うスタイルのお店だったため、急きょ場所を変更。御歳75歳が間近という師匠と共にマクドナルドに入店。
さすがに休日土曜日の立川は、どこも人、人・・・。窮屈で申し訳なかったけど、とりあえず着席して落ち着くことにした。師匠はとても遠いところにお住まいなので、これから帰路が大変なのだ。話もほどほどに・・・と思っていたんだけど、日常的な話などしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまった。
何点か、僕のビジネスライフの展望などについても相談に乗って戴いた。師匠は、色々と思うところはあるだろうけど、あまり自論を仰らない。
でもひとつ、「君は放射線の仕事をやりたいの?」とだけ尋ねられ、僕は現実的な回答をした。その時は、思いついたままに私見を述べたけど、今考えてみると、その裏は「方向を変えたほうがいいんじゃないかな」と良いたげだったように感じる。
現実的に考えて、30代半ばにもなる人間を「初心者」で雇い入れてくれるような業界って、いったいどういう業種なんだろう?って思う。アルバイトやパートならあるだろうけども。それくらいに、この歳になっての転職というのは悩ましい。
僕のほうからも、ひとつ悩ましいお願い事をさせてもらい、前向きに考えて戴けるとの事。事が成就する確率は非常に低いが、このチャンスを最後と考えて、フリーエンジニア以外の道というのも考え始めないといけないなと思いつつある。
「(前の)会社に戻ろうという気はないの?」
これは、勤めていた会社の関係者の方々からは、必ずといってよいほど問われる。
そのとき、僕は一貫してこう回答する。
「会社が変わる気がないのなら、ゼロでしょう」
そういうと、相手は「そうか~」というリアクションをするので、僕は今の会社はどうなってるのか良く解らないが、変わろうとしている空気は無いんだろうと察せられて、正直悲しい気持ちになる。
始めのうちは、会社と僕との関係性のみを考え、会社のやり方には非常に否定的な感情を抱いていたけど、今、国政とか経済界とかの在り方を断片的に知っていくうちに、あの会社も、ある意味「被害者」のような立場だなと同情できるところがある。
戦後のように、「みんなで日本を良くしていこう!」という協調性はもはやなく、同じ日本の中で、互いを騙し、欺き、蹴落とす・・・「弱きをくじき、強きにまかれる」というご時世に流されている悲しい現状がある。この理念こそが、まさに騒がれているデフレという悪循環の根幹であると僕は思っている。
このスパイラルを止めるために、どこかが抗わないといけない。
それが例え小さな企業であっても、ポリシーをしっかり持ち、確固とした理念と価値観の上で、決して安請け合いはしない。そういうプライドを持てるような育成ができるかが、僕にとっての大きな魅力の一つ。でも、残念ながらそういう事は前の会社は興味がないらしい。つまりはすでに「敗者の体」を成してしまっているようである。
さすがに、師匠も少し寂しそうだった。
仕事とか、そういう利害関係とは別にして、師弟の縁は大切にしていきたいなと思った。用事がなくても、たまには元気な顔を見せて、江の島までの散歩もお付き合いしてみたいな~と思いました。良い一日だった。
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