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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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硫黄島に到着したら、マイクロバスに乗り込んで、まっすぐに会場である摺鉢(すりばち)山のふもとへ。

映画でも象徴的だった擂鉢山は、島の南端に位置し、ほとんどが平地である島の中で一部分だけがボコッと出っ張ったような感じ。島全体の様子を見てもシンボルのような存在です。

そのふもとに 硫黄島戦没者顕彰碑 があり、そこが会場。


今回の慰霊式は例年になく大規模なものだったそうだが、その舞台裏では大変な御苦労があったそうだ。戦勝国のアメリカと戦敗国である日本は真逆の境遇。一方は「祭り」のように大勢で派手に、一方は「参拝(葬式)」と、その接し方にずいぶん隔たりがあったらしい。

現地に着くと、たくさんの人であふれかえっていた。

アメリカからは、本土から飛行機だったり、自動車を数十台積載した大型船などで、大勢の方がこの日のために上陸したそうだ。この島には宿泊施設などもないので、草原にテントを張っている様子も見られた。

参拝者以外に、自衛隊、米海兵隊も大勢いて、かなり賑やかだった。

慰霊碑が見える、少し小高くなったところに、自衛隊と米海兵隊の楽隊が凛と整列。風格がありかっこいいなーと思ったけど、それもそのはず。自衛隊は「陸上自衛隊中央音楽隊」。かたや米軍は「米海兵隊司令官音楽隊」とそこいらの楽隊とは違うらしい。
写真の手前、白い制服が自衛隊で、奥が米海兵隊。

演奏を交互に行うのだけど、自衛隊の演奏はさすが!すばらしかった。米海兵隊は、こういっちゃなんだが・・・あまり上手じゃなかった。


この日は、うれしいことに天気に恵まれたが予想以上に暖かい炎天下となり、その下でずっと整列させられていた彼らは大変だったと思う。米海兵隊の1人が突然、日射病でその場に倒れてしまい、担がれて退出するハプニングがあった。


日本硫黄島協会の会長は、ご高齢で体調不良で急きょ欠席されたため、副会長の西氏(西竹一の実子)が代読。硫黄島問題懇話会の会長、衆議院議員 逢沢一郎氏、遺族代表として衆議院議員 新藤義孝氏(時の人となった栗林中将の孫)、外務副大臣の衆議院議員の武正氏など、早々たる面々が壇上で追悼を述べた。

アメリカも、ルース駐日大使、米海兵隊司令官コンウェイ大将が挨拶を述べた。
英語がまるでダメなので、よくわからなかったが、良いことを言っていた気がする。

その後、献花・献水が行われた。献水というのは、戦地・硫黄島はとにかく水が無く、激戦のなかで兵たちは水に窮していたそうで、彼らが一番喜ぶのは「水」だろうということで行われる。
TVなどでおなじみの安住淳衆議院議員は、ご遺族だそうで、献花に参列された。

写真奥の白髪の老人は、米硫黄島協会の会長さん。その下のボサボサ頭が、安住氏。
その手前のがたいが良いのは、防衛大臣政務官の長嶋衆議院議員かな。


同じ戦地で戦った両国が、こうして合同で戦没者を慰霊することには大変な意義がある。イーストウッドが両国の側面を描きだした2本の映画によって、お互いが命を賭して戦った動機は同じであったことは世界的に、そして戦争を知らない一般市民にも知るところになった。そういう意味でも、「昨日の敵は今日の友」であることを、戦没者の前で誓い合うことがなによりの供養になるのだと感じた。
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