2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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慰霊祭出席のため、硫黄島への渡航を明日に控えて、参列者一同が羽田ターミナルビルの最上階に集まって「結団式」が開かれました。
当日渡された資料には、参加者一覧と現地の地図があり、ご遺族の方には戦没者の「所属部隊」が記されていました。所属部隊が玉砕(壊滅)した場所は、地図上の番号と照合できるような配慮がされていました。
この時点では土地勘もない場所だし、当日はどのような行動となるのかが解らなかったので、どのように役に立つものかは解りませんでしたが・・・。
戦後65年となる今年は、例年になく大規模な慰霊祭になるという説明がありました。
「65年」という数字は、一見キリが良い数字のようにも思えないですが、戦争の生還者は90歳を超え、その子供も高齢となっており、次に開催されるときは、生きておられたにしても決して快適とはいえない強行スケジュールの小旅行に耐えることが難しいという思惑があるようです。
慰霊祭は日米共催の合同慰霊祭というものです。
アメリカは戦勝国ですから、「お祭り騒ぎ」で、船で飛行機で、大勢の人が参加されるということでした。
2年前に行われた合同慰霊祭は、大変に不順な天候だったので、参加した伯父は、とうとう外に出ることも叶わなかったらしいのですが、今年は・・・幸いなことに晴れの予報。一番の心配だったので、まずはよかったよかった。
参列者は
アメリカからは日本でも有名なルース米駐日大使。米海兵隊司令官。
日本からも有名人が数名。
2、3年前に、クリントイーストウッドの映画や、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「散るぞ悲しき」(梯久美子著)などで空前の「硫黄島ブーム」となって、一躍「時の人」となった、栗林忠道陸軍中将の孫にあたる新藤義孝衆議院議員。
映画でも中心的人物として描かれたメダリストの西竹一(バロン西)中佐のお子さんにあたる方は、日本硫黄島協会の副会長でいらっしゃいます。 それから外務副大臣の武正公一衆議院議員、防衛大臣政務官の長嶋昭久衆議院議員。 TVでおなじみの安住淳衆議院議員もなんとご遺族だそうで、参列されました。
そして、硫黄島ブームの火付け役となった作家、梯久美子氏。と豪華な顔ぶれです。
参加者の中に、おひとりだけ生還者がご出席なさいました。御歳91歳。
硫黄島からの生還者ではなく、隣島の父島で通信使をされていた方で、硫黄島から本土への通信連絡の中継をしていたとの事でした。硫黄島で戦没した同士たちとは縁が深く、未だ訪れた事がない硫黄島を参拝したいと参加されたそうです。
翌日は、朝4時半に強制的にモーニングコールが鳴るという、ありがた迷惑なサービス付き。
結団式終了後、羽田第二ターミナルビルへ移動。初めての「ビッグバード」です。もっとフィーバー(?)した場所なのかと思ったら、そうでもありません。
夜は、不思議な縁のある梯久美子さんと食事をしました。お酒はけっこうイケるらしいのですが、翌日が翌日なので・・・ほどほどに飲みながら、空前の「硫黄島ブーム」のバックヤードの話など聞かせて貰いました。
僕のような落ちこぼれが、受賞歴を持つような凄い作家さんと、席を並べて酒を飲んでいるなんてね。「人の縁」は、ほんとに解りません。
祖母と、そして硫黄島に眠る祖父のお引き合わせに違いないと思います。
その夜は、翌朝の事を考えると睡眠薬の服薬は寝過ごす可能性あり、酒をしこたま飲んだ、隣からは怪獣が居るかのようなイビキ。起きるでも眠るでもなく夜を明かしました。
明日はいよいよ硫黄島上陸です。
当日渡された資料には、参加者一覧と現地の地図があり、ご遺族の方には戦没者の「所属部隊」が記されていました。所属部隊が玉砕(壊滅)した場所は、地図上の番号と照合できるような配慮がされていました。
この時点では土地勘もない場所だし、当日はどのような行動となるのかが解らなかったので、どのように役に立つものかは解りませんでしたが・・・。
戦後65年となる今年は、例年になく大規模な慰霊祭になるという説明がありました。
「65年」という数字は、一見キリが良い数字のようにも思えないですが、戦争の生還者は90歳を超え、その子供も高齢となっており、次に開催されるときは、生きておられたにしても決して快適とはいえない強行スケジュールの小旅行に耐えることが難しいという思惑があるようです。
慰霊祭は日米共催の合同慰霊祭というものです。
アメリカは戦勝国ですから、「お祭り騒ぎ」で、船で飛行機で、大勢の人が参加されるということでした。
2年前に行われた合同慰霊祭は、大変に不順な天候だったので、参加した伯父は、とうとう外に出ることも叶わなかったらしいのですが、今年は・・・幸いなことに晴れの予報。一番の心配だったので、まずはよかったよかった。
参列者は
アメリカからは日本でも有名なルース米駐日大使。米海兵隊司令官。
日本からも有名人が数名。
2、3年前に、クリントイーストウッドの映画や、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「散るぞ悲しき」(梯久美子著)などで空前の「硫黄島ブーム」となって、一躍「時の人」となった、栗林忠道陸軍中将の孫にあたる新藤義孝衆議院議員。
映画でも中心的人物として描かれたメダリストの西竹一(バロン西)中佐のお子さんにあたる方は、日本硫黄島協会の副会長でいらっしゃいます。 それから外務副大臣の武正公一衆議院議員、防衛大臣政務官の長嶋昭久衆議院議員。 TVでおなじみの安住淳衆議院議員もなんとご遺族だそうで、参列されました。
そして、硫黄島ブームの火付け役となった作家、梯久美子氏。と豪華な顔ぶれです。
参加者の中に、おひとりだけ生還者がご出席なさいました。御歳91歳。
硫黄島からの生還者ではなく、隣島の父島で通信使をされていた方で、硫黄島から本土への通信連絡の中継をしていたとの事でした。硫黄島で戦没した同士たちとは縁が深く、未だ訪れた事がない硫黄島を参拝したいと参加されたそうです。
翌日は、朝4時半に強制的にモーニングコールが鳴るという、ありがた迷惑なサービス付き。
結団式終了後、羽田第二ターミナルビルへ移動。初めての「ビッグバード」です。もっとフィーバー(?)した場所なのかと思ったら、そうでもありません。
夜は、不思議な縁のある梯久美子さんと食事をしました。お酒はけっこうイケるらしいのですが、翌日が翌日なので・・・ほどほどに飲みながら、空前の「硫黄島ブーム」のバックヤードの話など聞かせて貰いました。
僕のような落ちこぼれが、受賞歴を持つような凄い作家さんと、席を並べて酒を飲んでいるなんてね。「人の縁」は、ほんとに解りません。
祖母と、そして硫黄島に眠る祖父のお引き合わせに違いないと思います。
その夜は、翌朝の事を考えると睡眠薬の服薬は寝過ごす可能性あり、酒をしこたま飲んだ、隣からは怪獣が居るかのようなイビキ。起きるでも眠るでもなく夜を明かしました。
明日はいよいよ硫黄島上陸です。
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