2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
Twitter
カレンダー
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |
クリックをお恵み下さい
カテゴリー
ブログ内検索
フリーエリア
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

新・原子炉お節介学入門
著:柴田 俊一
いま読んでいる本ですが、結構おもしろいです。
原子炉については、一応10年以上も業界に居たのに、さっぱり解らないというか、「知っておけば仕事のしかたも変わっていたなぁ」と感じさせられる内容です。
著者のである柴田先生は、ご高名を聞いたことがあるような気がしました。写真も見たことがあるような・・・。なにしろ業界にいたのも早4年以上前の話ですから、記憶は怪しいですが。
まだ半分も読み終えていないんです。
ストーリーものならスラスラと流して読めるのですが、このテの本だと、いちいち引っかかってしまって、読み返したり、理解に時間を要したりと、とにかく難読しています。
ただ、原子炉についての専門的なことだけではなく、イメージに浮かんでくる時代背景や、信頼され慕われる彼のイズムがにじみ出ていて、それにとても共感させられます。
僕は年齢の割に(考え方が)古く、それは自他共に認めるところで、深く共感を覚えるところも今の時代にしてみたら「考え方が古い」などと一蹴されてしまう部分もあるでしょう。ただ、それが単に古い、新しいで済まされない、本来とても大切な事なんじゃないかなぁと思わずには居られません。
形あるものは必ず壊れる
これは僕が小さい頃から、母の教育によって教わってきた事です。
この本では、こんなエピソードが挙げられています。
原子炉というのは、とにかく安全というものは最重要視されています。核を扱う設備だからです。
理想的には絶対的な安全…を求められますが、やはりそれは人が為すことなので、万全を考えても絶対はないのです。
あるとき、原子炉で扱う計器にトラブルが生じて原子炉がストップしたときに、ある高名な先生が
「原子炉で使う計器でも、こんな事があるんですね」
と仰って、柴田先生はこう答えたと言います。
「人が作るものに絶対はありません。いくら良い設備でも、それは壊れる確率が異なるだけで、壊れないという事ではない。長く壊れないもので、利用者の安全に対する緊張感が薄くなるくらいなら、適度に故障してくれたほうがマシである」
と同時に、高名な学者先生でも「壊れないものがある」という誤認が生まれていることに対して、非常に問題だと言及しています。
僕はメーカーで、こういった計測器を設計する仕事をしていましたから、このエピソードで言及している大きな誤解が良く理解できます。万能で理想に近いものが電気製品が身の回りにたくさん存在する今の時代、だれもが知らないうちに絶対的な信頼を持つようになりました。メーカーは当然、理想に近づける努力はします。が、至らないのも含めて人間の為せる業なのです。
「壊れないもの」を要求する客に対してのジレンマもありましたが、ついには勤めていた会社が「壊れてもバレないように設計する」と言いだした時に、驚いてひっくり返ったのを懐かしく思い出します。
今となっては「どっちもどっち」という感じです。どちらの側も冷静に、モノに対する信頼性というものを考えてほしいなと願います。
PR
2週間ほど前から、運動不足の解消と筋力強化のため、ソファーに寝そべるときは合わせて10kgのダンベルと戯れることにしている。
このテの事は、たいてい三日坊主の僕だけど、今回はなんとか続いている。
テレビを見ているときは、両腕に持ってエッサホイサ。
本を読むときは、ダンベルを足に括りつけて、仰向けになったり、うつ伏せになったりしながら、足を自転車を漕ぐように動かしてトレーニングしているんだけども、どこの筋肉に刺激がいっているのか全然気にしたことがなくて、トレーニングをしながら、どこの筋肉を使っているのかを手で触りながら確認してみたら、ふくらはぎを全く使えていない事が解った。
それで、ふくらはぎには、どうやったらチカラが入るんだろう・・・とふと疑問になって、自分なりにエイッとチカラを入れてみたものの、ぜんぜん筋肉が硬くならない。それで、「もう(筋肉が)ダメになってるんじゃないか」と益々心配になって、直立状態から段々を膝を曲げてみたら、よかったー! チカラが入ってる。
「おー、つまりスクワットか」
という結論に(やっと)達して、今日からスクワットに切り替えた。
本当は本でも読みながら・・・「ながら運動」のほうが僕は長く続けられそうなんだけど、少しパソコンから離れてテレビでもボーッと見ているときにでも、両手にダンベルを持って腕の運動をしながら、スクワットをするようにしようと思う。
疲れやすさは相変わらずで、なかなか効果が出てこないけど継続は力なりで頑張ってみよう。
そういえば、去年の今頃は、体力系アルバイトをした後、毎日、海で100mほど泳いだりしたので、けっこう体力が付いていたなぁ。
このテの事は、たいてい三日坊主の僕だけど、今回はなんとか続いている。
テレビを見ているときは、両腕に持ってエッサホイサ。
本を読むときは、ダンベルを足に括りつけて、仰向けになったり、うつ伏せになったりしながら、足を自転車を漕ぐように動かしてトレーニングしているんだけども、どこの筋肉に刺激がいっているのか全然気にしたことがなくて、トレーニングをしながら、どこの筋肉を使っているのかを手で触りながら確認してみたら、ふくらはぎを全く使えていない事が解った。
それで、ふくらはぎには、どうやったらチカラが入るんだろう・・・とふと疑問になって、自分なりにエイッとチカラを入れてみたものの、ぜんぜん筋肉が硬くならない。それで、「もう(筋肉が)ダメになってるんじゃないか」と益々心配になって、直立状態から段々を膝を曲げてみたら、よかったー! チカラが入ってる。
「おー、つまりスクワットか」
という結論に(やっと)達して、今日からスクワットに切り替えた。
本当は本でも読みながら・・・「ながら運動」のほうが僕は長く続けられそうなんだけど、少しパソコンから離れてテレビでもボーッと見ているときにでも、両手にダンベルを持って腕の運動をしながら、スクワットをするようにしようと思う。
疲れやすさは相変わらずで、なかなか効果が出てこないけど継続は力なりで頑張ってみよう。
そういえば、去年の今頃は、体力系アルバイトをした後、毎日、海で100mほど泳いだりしたので、けっこう体力が付いていたなぁ。
「疲れたぁ~」
とついつい言ってしまう。
以前は疲れてても口に出すことは無かったんだけどなぁ。
もはや口癖のように、ついついツルリと出てしまう。
同じ病気の人と接点が多いせいか、普通の人とは違う疲労感があることをお互いになだめあってた頃の悪習だ。
ただ、以前は感じなかった事がストレスになっているのも事実で、気が付くと奥歯をグッと噛みしめてしまっている。「あ、いけないっ」と思って力を緩めると、身体全体が緊張していたのがスッと抜ける。これじゃ、余計に疲れるわけだと実感する瞬間。
ついつい疲れを言葉に出してしまうのは、たぶん言いたいからだと思う。それで少しは報われている気がするのかな。それを我慢していくのが良いことなのか、今は奥歯を噛みしめてしまうことが、いずれ無くなっていくのかは全く解らない。
人がたくさん居るところに行くと、(確率的に)「良くないと思うこと」を見受けてしまったり、背広姿を見ると辛くなったり、社会とのギャップを肌で感じたり・・・奥歯を噛みしめるような事ばかり。そういう事に馴れていくのが良いんだろうとは解っていても、結局は金がないと何もできない時代である。
勝ち組はとことん勝ち、負け組はとことん負けるように社会は出来ている。
ハンディを負っても、きちんと自立して頑張っている人は、色んなことを乗り越えていて本当にすごいなぁと思う。僕もそれを乗り越えるために、「疲れた」は封印しないといけないんだな。
とついつい言ってしまう。
以前は疲れてても口に出すことは無かったんだけどなぁ。
もはや口癖のように、ついついツルリと出てしまう。
同じ病気の人と接点が多いせいか、普通の人とは違う疲労感があることをお互いになだめあってた頃の悪習だ。
ただ、以前は感じなかった事がストレスになっているのも事実で、気が付くと奥歯をグッと噛みしめてしまっている。「あ、いけないっ」と思って力を緩めると、身体全体が緊張していたのがスッと抜ける。これじゃ、余計に疲れるわけだと実感する瞬間。
ついつい疲れを言葉に出してしまうのは、たぶん言いたいからだと思う。それで少しは報われている気がするのかな。それを我慢していくのが良いことなのか、今は奥歯を噛みしめてしまうことが、いずれ無くなっていくのかは全く解らない。
人がたくさん居るところに行くと、(確率的に)「良くないと思うこと」を見受けてしまったり、背広姿を見ると辛くなったり、社会とのギャップを肌で感じたり・・・奥歯を噛みしめるような事ばかり。そういう事に馴れていくのが良いんだろうとは解っていても、結局は金がないと何もできない時代である。
勝ち組はとことん勝ち、負け組はとことん負けるように社会は出来ている。
ハンディを負っても、きちんと自立して頑張っている人は、色んなことを乗り越えていて本当にすごいなぁと思う。僕もそれを乗り越えるために、「疲れた」は封印しないといけないんだな。
今日は、僕の数少ないストレス発散である、買い物の日。
タマゴを買いたくて、開店9時の少しまえにスーパーに行ったら大行列
先月リニューアルしてチラシの配布範囲を増やしたのかなぁ。それまではこんな行列になることは無くて、開店時間を1時間くらい過ぎてから、ゆうゆうと買いに出ていたくらいなのに、今はこうして開店前から行列しないと買えない。。。
タマゴを手にとって一安心。
いつものように、店内をくまなく一巡して、ほかに目ぼしいものは無く、タマゴ1パックでレジを通るのはどうかと思い、少し見栄を張って、ビールを1パック購入。
午後に出掛ける用事が急きょ出来て、あわてて次のスーパーに買い出し。バナナとたまねぎ、食パン、そして貧乏の友「もやし」。同じように店内を巡回したら、これも貧乏の友「納豆」がとても安かったので、これも購入。納豆を買うのは久しぶりだ。毎日納豆でも十分生きられると思った時期があったけど、我慢強い僕でも1カ月もすればさすがに飽きた。
納豆は味が濃いから、休み休みがいい。安売りがあったら、またたまに買おうかと思った。
月末の買い物の時から半分くらい減った冷蔵庫の中身が、一杯になった。
残り数個になっていたタマゴストッカーも一杯に。ストッカーに1、2個しかなくなると、とてもひもじい気持ちになるけど、一杯になると、とてもリッチな気分になれる。
タマゴを買いたくて、開店9時の少しまえにスーパーに行ったら大行列

先月リニューアルしてチラシの配布範囲を増やしたのかなぁ。それまではこんな行列になることは無くて、開店時間を1時間くらい過ぎてから、ゆうゆうと買いに出ていたくらいなのに、今はこうして開店前から行列しないと買えない。。。
タマゴを手にとって一安心。
いつものように、店内をくまなく一巡して、ほかに目ぼしいものは無く、タマゴ1パックでレジを通るのはどうかと思い、少し見栄を張って、ビールを1パック購入。
午後に出掛ける用事が急きょ出来て、あわてて次のスーパーに買い出し。バナナとたまねぎ、食パン、そして貧乏の友「もやし」。同じように店内を巡回したら、これも貧乏の友「納豆」がとても安かったので、これも購入。納豆を買うのは久しぶりだ。毎日納豆でも十分生きられると思った時期があったけど、我慢強い僕でも1カ月もすればさすがに飽きた。
納豆は味が濃いから、休み休みがいい。安売りがあったら、またたまに買おうかと思った。
月末の買い物の時から半分くらい減った冷蔵庫の中身が、一杯になった。
残り数個になっていたタマゴストッカーも一杯に。ストッカーに1、2個しかなくなると、とてもひもじい気持ちになるけど、一杯になると、とてもリッチな気分になれる。
僕の名前を姓名判断にかけてみたら・・・
評価:100点満点中・・・100点
名前は完璧なのにねぇ。
街角の占い師に何回か見てもらったことがあるけど、名前に関しては悪い事を言われたためしはない。
親も結構考えたらしい。
天画(家柄): 大吉 誰からも好かれて話し上手で社交上手、穏やかな性格で成功する。
地画(個性): 大吉 まじめな性格で正義感も強く皆に好かれ、地位・財産に恵まれる。
人画(才能): 大吉 誰からも好かれて話し上手で社交上手、穏やかな性格で成功する。
外画(対人): 大吉 まじめな性格で正義感も強く皆に好かれ、地位・財産に恵まれる。
総画(総合): 大吉 環境に恵まれ頭脳明晰、友人にも仕事にも恵まれ、異性にもてる。
ここまで外れていると逆に( ̄ー ̄)ニヤリとしてしまう。
評価:100点満点中・・・100点
名前は完璧なのにねぇ。
街角の占い師に何回か見てもらったことがあるけど、名前に関しては悪い事を言われたためしはない。
親も結構考えたらしい。
天画(家柄): 大吉 誰からも好かれて話し上手で社交上手、穏やかな性格で成功する。
地画(個性): 大吉 まじめな性格で正義感も強く皆に好かれ、地位・財産に恵まれる。
人画(才能): 大吉 誰からも好かれて話し上手で社交上手、穏やかな性格で成功する。
外画(対人): 大吉 まじめな性格で正義感も強く皆に好かれ、地位・財産に恵まれる。
総画(総合): 大吉 環境に恵まれ頭脳明晰、友人にも仕事にも恵まれ、異性にもてる。
ここまで外れていると逆に( ̄ー ̄)ニヤリとしてしまう。
今週のはじめ、関東には台風が近づいていて、結構な雨が降っていました。
近所の病院はお年寄りの寄り合いになっているので、「この雨足だったら高齢者は外に出られず病院は空いているはず」と思って、健康診断の結果を聞きに病院に行きました。
思った通り、ロビーはガラガラで、受信者のカウントをしている掲示板も、通常なら170前後の数字が出ているところが70番台でした。事務員がロビーをウロウロしていて暇そうでした。
十数年ぶりに中規模な健康診断を受診しましたが、結果は
全く問題なし
さすが、ストレス知らずの生活をしているだけの事はあります。健康そのもの。
ついでに、あまり機会のない内科での問診なので、いま通っているクリニックが通院歴3年ほどになるけど、一度も血液検査をしないという事をセカンドオピニオンのつもりで聞いてみたところ、
「精神科では血液検査をしないところは多いかもしれません」
という答えでした。
初めてセカンドオピニオンしました。疑問に思うことの裏付けが取れるというのは、どんな事でもスッキリさせてくれます。だいぶ出費がかさみ、経済状況を考えれば辛い選択でしたが、やって良かったです。
僕はドナーカードまで作成して、「あるいは大病」ということまで考えて準備万端だったのですが、肩すかしです。両親を安心させてあげることは出来ました。その夜は父と祝杯をあげて、父はヨロヨロになるまで飲みました。
近所の病院はお年寄りの寄り合いになっているので、「この雨足だったら高齢者は外に出られず病院は空いているはず」と思って、健康診断の結果を聞きに病院に行きました。
思った通り、ロビーはガラガラで、受信者のカウントをしている掲示板も、通常なら170前後の数字が出ているところが70番台でした。事務員がロビーをウロウロしていて暇そうでした。
十数年ぶりに中規模な健康診断を受診しましたが、結果は
全く問題なし
さすが、ストレス知らずの生活をしているだけの事はあります。健康そのもの。
ついでに、あまり機会のない内科での問診なので、いま通っているクリニックが通院歴3年ほどになるけど、一度も血液検査をしないという事をセカンドオピニオンのつもりで聞いてみたところ、
「精神科では血液検査をしないところは多いかもしれません」
という答えでした。
初めてセカンドオピニオンしました。疑問に思うことの裏付けが取れるというのは、どんな事でもスッキリさせてくれます。だいぶ出費がかさみ、経済状況を考えれば辛い選択でしたが、やって良かったです。
僕はドナーカードまで作成して、「あるいは大病」ということまで考えて準備万端だったのですが、肩すかしです。両親を安心させてあげることは出来ました。その夜は父と祝杯をあげて、父はヨロヨロになるまで飲みました。
やっていたボランティアの作業を依頼元に返上することになりました。
毎日毎日、「考える事が仕事」のような生活の中で、いろんな考えや思いが交錯しては消える・・・。でもその過程でいつも思っていたのは、今のこの関係の中には、僕の存在が無いほうが問題がシンプルになるところに到達してしまうので、意を決しました。
とは言っても、けっこう未練がましいタイプなので、意を決したもののグズグズと考え込んで、この日を迎えるまで気が重い日が続きました。
打ち合わせが都心のほうで行われることになり、僕は交通費節約のためになるべく徒歩で行くルートで、しかも土地勘のないところを歩くので、時間に余裕を見て、集合の2時間半前に家を出発。
西武新宿から代々木までを歩く道と、目印になるような店やランドマークをメモして出ました。新宿近郊までは土地勘があるので、わりとスンナリ。時間があまったら、集合場所のロビーで本でも読んでいようと思っていたんだけど、その本を忘れてきてしまい、「たしか右手にマクドナルドがあったな」と思いだして、仕方なくコーヒータイムで時間をつぶしました。
都会は予想していたより辛い。人が多くて、平日の昼間ということもあって、仕事着やスーツ姿の人と行き違う。「自分はイイ歳して何をしているんだろう?」とたびたび思わされる。マクドナルドの中も、ちょうどお昼時ということもあり、首から社員証を下げた人が忙しく昼食を採っている様子を見て、「自分はなんて優雅な時間を過ごしているんだろう」と思っても、それが決して優越感にならない。ただただ、無念。
入店してマクドナルドは、会場にだいぶ近いと思っていたので、時間の15分ほど前に店を出て、目印を探して歩く。ところが、歩けど歩けどそれが見当たらない。「あれれ(思ったより)遠いぞ?」と不安になりながらも歩いて行くと・・・また右手にマクドナルドが。
「しまった!入店するマクドナルドを勘違いした!」
と瞬時に気付き、サーッと血の気が引いた。
ただ、この先は見知らぬ領域なので、変に急いで迷子になっても走り損なので、もう腹をくくって歩き、目標の高速道路が見えたので、あとは道なりに行って無事会場に到着しました。
3~4kg程度の荷物を背負って、ひたすら歩いたので汗びっしょりになって、結構良い運動になった。
会場はレストラン。
先にメンバーのみなさんは昼食を一緒にして既に集合されていた。久しぶりにメンバーの方々と顔を合わせ、元気そうな様子を見ることができた。促されるままに着席をして一息ついたら汗がドーッと出てきた。この日は気温はそれほどでもなかったので、電車もお店も空調がさほど動いてなかった。でも湿度がすごかった。
着席するなりオーダーを取りに店員さんが来て、メニューを置いていった。こちらは水で十分、場所代は先にみなさんがランチを食べているので、それで良いだろう・・・。「いりません」と言ったけど、「一応、ここはレストランですから」と促されて、仕方なくメニューを開いた。
アイスコーヒー 330円
フラッとした。
僕は毎日、数杯のコーヒーを飲むけど、1カ月で400円である・・・。とても飲もうという気にならなかったけど・・・仕方ないのでそれをオーダーした。「常識知らず」と思われただろうなぁ。常識は知っているから食事もしたいし気軽にコーヒーくらいは頼みたい。でもそれが出来ない現実もある。
他愛もない事だったけど、普通じゃないんだ・・・と感じるには十分な出来事で、僕にとっては残酷で拷問のようなひとときだった。
ほどなく打ち合わせが始まったけど、もう疲れ果てていた。
ある程度、完成度のある書類を作ってあったのが助けになった。どのような段取りでやったのかを良く覚えていない。自分が辞めるにあたって良く考えて貰いたい事を2、3話した。
「業務はやるけど、責任は持ちません」
「業務はやらないけど、責任は持つよ」
「(業務に使う)ソフトもらっても、置き場所ないんだけど・・・」
なんてやりとりが目の前で展開されて、肝心な事が伝わっていない状況が寂しかった。でも、自分のやれることはやったという充足感はあった。「もうこれで良い、僕はよくやったよ」と思うようにした。
今までのお手伝いに対して、大変な謝礼を戴いてしまった。
一度はお断りしたけど、「もう決めたことだから、気持ちとして受け取ってください」と言われたので、ありがたく戴くことにした。
本当に不思議に思うのは、「労働力をお金にしよう」と思いたって考えてもまったくうまくいかないのに、「お金は戴かない」と好意だけでやることが、なぜかお金になって戻ってくる。お金って本当に不思議だ。
これでメインでやっていたボランティアもひとつケジメが付いた。
療養生活の期間の半分以上携わってきて、いろいろな事をたくさん教わった。この先の事は解らないけど、「ここまではやれて良かった」と改めて思うし、自分も胸を張って自慢できる活動でした。
毎日毎日、「考える事が仕事」のような生活の中で、いろんな考えや思いが交錯しては消える・・・。でもその過程でいつも思っていたのは、今のこの関係の中には、僕の存在が無いほうが問題がシンプルになるところに到達してしまうので、意を決しました。
とは言っても、けっこう未練がましいタイプなので、意を決したもののグズグズと考え込んで、この日を迎えるまで気が重い日が続きました。
打ち合わせが都心のほうで行われることになり、僕は交通費節約のためになるべく徒歩で行くルートで、しかも土地勘のないところを歩くので、時間に余裕を見て、集合の2時間半前に家を出発。
西武新宿から代々木までを歩く道と、目印になるような店やランドマークをメモして出ました。新宿近郊までは土地勘があるので、わりとスンナリ。時間があまったら、集合場所のロビーで本でも読んでいようと思っていたんだけど、その本を忘れてきてしまい、「たしか右手にマクドナルドがあったな」と思いだして、仕方なくコーヒータイムで時間をつぶしました。
都会は予想していたより辛い。人が多くて、平日の昼間ということもあって、仕事着やスーツ姿の人と行き違う。「自分はイイ歳して何をしているんだろう?」とたびたび思わされる。マクドナルドの中も、ちょうどお昼時ということもあり、首から社員証を下げた人が忙しく昼食を採っている様子を見て、「自分はなんて優雅な時間を過ごしているんだろう」と思っても、それが決して優越感にならない。ただただ、無念。
入店してマクドナルドは、会場にだいぶ近いと思っていたので、時間の15分ほど前に店を出て、目印を探して歩く。ところが、歩けど歩けどそれが見当たらない。「あれれ(思ったより)遠いぞ?」と不安になりながらも歩いて行くと・・・また右手にマクドナルドが。
「しまった!入店するマクドナルドを勘違いした!」
と瞬時に気付き、サーッと血の気が引いた。
ただ、この先は見知らぬ領域なので、変に急いで迷子になっても走り損なので、もう腹をくくって歩き、目標の高速道路が見えたので、あとは道なりに行って無事会場に到着しました。
3~4kg程度の荷物を背負って、ひたすら歩いたので汗びっしょりになって、結構良い運動になった。
会場はレストラン。
先にメンバーのみなさんは昼食を一緒にして既に集合されていた。久しぶりにメンバーの方々と顔を合わせ、元気そうな様子を見ることができた。促されるままに着席をして一息ついたら汗がドーッと出てきた。この日は気温はそれほどでもなかったので、電車もお店も空調がさほど動いてなかった。でも湿度がすごかった。
着席するなりオーダーを取りに店員さんが来て、メニューを置いていった。こちらは水で十分、場所代は先にみなさんがランチを食べているので、それで良いだろう・・・。「いりません」と言ったけど、「一応、ここはレストランですから」と促されて、仕方なくメニューを開いた。
アイスコーヒー 330円
フラッとした。
僕は毎日、数杯のコーヒーを飲むけど、1カ月で400円である・・・。とても飲もうという気にならなかったけど・・・仕方ないのでそれをオーダーした。「常識知らず」と思われただろうなぁ。常識は知っているから食事もしたいし気軽にコーヒーくらいは頼みたい。でもそれが出来ない現実もある。
他愛もない事だったけど、普通じゃないんだ・・・と感じるには十分な出来事で、僕にとっては残酷で拷問のようなひとときだった。
ほどなく打ち合わせが始まったけど、もう疲れ果てていた。
ある程度、完成度のある書類を作ってあったのが助けになった。どのような段取りでやったのかを良く覚えていない。自分が辞めるにあたって良く考えて貰いたい事を2、3話した。
「業務はやるけど、責任は持ちません」
「業務はやらないけど、責任は持つよ」
「(業務に使う)ソフトもらっても、置き場所ないんだけど・・・」
なんてやりとりが目の前で展開されて、肝心な事が伝わっていない状況が寂しかった。でも、自分のやれることはやったという充足感はあった。「もうこれで良い、僕はよくやったよ」と思うようにした。
今までのお手伝いに対して、大変な謝礼を戴いてしまった。
一度はお断りしたけど、「もう決めたことだから、気持ちとして受け取ってください」と言われたので、ありがたく戴くことにした。
本当に不思議に思うのは、「労働力をお金にしよう」と思いたって考えてもまったくうまくいかないのに、「お金は戴かない」と好意だけでやることが、なぜかお金になって戻ってくる。お金って本当に不思議だ。
これでメインでやっていたボランティアもひとつケジメが付いた。
療養生活の期間の半分以上携わってきて、いろいろな事をたくさん教わった。この先の事は解らないけど、「ここまではやれて良かった」と改めて思うし、自分も胸を張って自慢できる活動でした。