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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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悲願だった上関町祝島に行ってきました。
中国電力の原子力発電所の上関建設を巡って、島民の9割が反対を表明して、誘致が決定し建設認可が下りた今でも依然として果敢に反対運動を行なっています。

原子力に携わった経験がある者として、どうしても祝島島民の目を感じてみたかったのです。

この企画は1ヶ月ほど前に決行したのですが、客船に乗り遅れて断念。今日はリベンジでした。今回は予定を変えて、柳井港から定期便に乗って海路を行くことにしました。

1日に3便しかない定期便。前に八島へ行く小さな船を見かけたのを覚えていたので、「それくらいの大きさかな」と思っていたら、定員150人ほどの思ったより立派な高速船がやってきたので驚きました。
エンジンの始動音が聞こえたと思ったら、すごいスピードで陸を離れていきます。前回は乗り過ごした船を陸路で追いかけたのですが、船の速さを知っていたら、そんな無駄な苦労はしなかったかも知れません。

上関町への航路の途中、大星山に設置された風車がゆったりと回る様子を見ることができました。前日まで、雨降りの天気でしたが、この日は一転の快晴 空気が澄んで視界は最高でした。海上から見る陸は、海岸沿いからの車窓からとはまた違った趣があり、同行した母と一緒にはしゃぎながらの船旅でした。

柳井港を出航して祝島までは、4つの港を経由します。前回、陸路では最果てとなった四代(シダイ)にも立ち寄りました。記憶に新しい四代の町並みは1ヶ月前と変わりはなく、不思議と懐かしさが込み上げてきます。

四代を離れると、上関町のある長島(ナガシマ)を迂回して祝島へ向かいます。四代から一山を超えたところにある原子力発電所の建設予定地との対面が近づいてきた・・・と気持ちが高ぶります。

ほどなく、埋め立て予定地に設置されるブイが目に入りました。つい先日、このブイの設置を巡って電力と島民をはじめとする反対派が対立し、設置の阻害をしていたものの、電力側が阻害活動を避け、異なるルートから1つブイを設置したというニュースが報道され、反対派との対立が過熱していました。

難航しているかと思われていたブイの設置ですが、1つ2つ・・・と数えてみるとザッと10個近くがすでに設置されていました。そして、その奥に見える陸には、緑の中に不自然に拓かれた土地、いくつかの重機。反対を押し切って進められる原子力発電所の予定地がついに眼前に現れました。

視線を西に向けると、目指す祝島と、その集落が見えます。こんなに近いんだ・・・。好奇心で一杯だった気持ちが、一瞬で複雑に。

まもなく上陸を果たした祝島。
やさしい人柄に早くも触れ、島の風土を感じさせられます。島の情報が少なくて、上陸後の事はまったくプランなし。唯一、県道が通っていることは解っていたのと、数日前にNHKで祝島の農家の話を見たのを頼りに、自転車を借りて一路西へ。観光地図を頼りに走ること20分・・・なんと行き止まり!
途中から堤防の上を走っているような感じで危なかった。あれは道ではなかったらしい。あわてて引き返し、母の勘を頼りに脇道に入りました。

舗装はされているものの、延々と続く上り坂だったので、途中で自転車を乗り捨ててハイキング。立派な石垣、人の手の入っているミカン畑、そして高台から一望できる景色。「すばらしいところだねー」と情景を愉しんでいるうちに、怪しい道に迷い込んで、また引き返す。
ふと、無人と思われる家の脇に看板が打ち棄ててあるのを見つけて、「もしかして・・・」と更にわき道に入ったら、


いたーーー

すごい人懐っこいコブタちゃん達、11匹。
遠くに居たのに、ものすごい勢いで突進してきて、目の前で整列!かわいかったー。
でも、その後、周りに張り巡らされているのが通電されている電線だと知って、テレビで見た和やかな情景は吹き飛び、ムショウに悲しくなった。

実は・・・祝島レポートはこれだけなんです。
もともと予定としては昼の第二便で帰る予定だったのですが、まだまだたくさん見るところがありそうなので、腹ごしらえをして夕方の3便で帰ることにしようと、母と話していたのですが、町に戻ると既に定期便が出航しようかとして待っていました。島の方に「ご飯を食べられるところはどこですか?」と尋ねたら、「そんなのないよ、弁当があるかもしれないけど・・・」と言われてビックリ!
こりゃいかん、と借りた自転車を返却して慌てて船に飛び乗ったのでした。。。

祝島からは見たくなくても、原発は見えるところにあります。望まぬことが常に目の前で起きているという現実は、あまりにも酷だと感じました。島民のせめてもの抵抗は、原発側からでも見えるような大きな字で書かれた「原発反対」の文字で、これが島民の叫びです。

どうして、ココじゃなくちゃいけなかったのか? と感じました。同じような問題は、沖縄の嘉手納でも起ころうとしています。国としての政策と決断は重いですが、少数派や反対派にも誠意を尽くして接するべきです。推進派には見えない部分をキチンと意見として取り入れていくべきだと思います。

それともう一つは、上関町の中心からは原発は見えず、祝島からは見える・・・この環境の差は大きいなと思いました。推進をする町民の多くは原発の見えないところに住んでいるので、何も起きない限りは無いも同じです。ですが、祝島の人たちは違います。ずっと原発を見続けなくてはいけないのです。。。
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