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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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起床して、株式市場を見て、今日が休日であると気が付いた。

ネットを通じて「連休」というキーワードを目にしたけど、今週末が巷では3連休だったとは、思い至らなかった。

今日の東京は、最高気温が28度

たしかに暑かった。陽射しが肌に突き刺さるようだった。


夕方になって、陽射しが弱まったのを見計らって、行きつけのスーパーに買い出しに出たんだけども、平日の同時間帯では考えられないくらい、ものすごい客。

入店して今日が休日であると再認識。
休日の買い出しは、いつも意図的に避けているんだけど、今日が休日であることが、すっかりどこかへ飛んでしまっていた。


人が多いときのレジ待ちが、未だに辛い。

レジに並んでいるとき、特にやる事もなく、ただ茫然と前方に視線を固定させてしまう人が多いけど、その後列の視線が僕には痛い・・・ 無言で前方を見て後ろに立たれる状態が、「自分が凝視されている」と感じる「自意識過剰」モードを発動させてしまう。

僕は、後ろの視線を前の人には感じさせまいと、レジ待ちのときに横を向くようにしているんだけど、そうすると自分の後ろの人が視界に入ってしまい、視線がどこかは解らないにしても、コチラ側を向いているのを認識してよけいに視線を感じてしまう。それを会計が済むまで、ずっと感じ続けていることが、まるで拷問のようなのである。。。

店を出ると、なんとも言えない倦怠感に襲われてしまい、家に帰ったときは憔悴しきって寝込んでしまった。しばらくの間、調子が良い日が続いていただけにショックだった。
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辛いなぁ・・・。

死ぬことが許されれば、どんなに楽かと思う。


いっそ止まって欲しいと願う心臓は、

ご主人の意向を無視して

むしろ、多めに動いてしまっている始末。


人間の人生感、いろいろあって

100歳過ぎても、元気に生きていたいと

不老不死でいき続けたいと願う人もいれば、

齢30でも、この生で成すべき業は全うしたと

思う人もいるわけです。


兄弟仲も僕が居るせいでギクシャクだし、

なんか僕が生きてるメリットは、

日常的なプラスマイナスがあるくらいなもんで

長い目でみればゼロに近いし、むしろマイナス。


色んな人に助けられて、想ってもらって

それで今、かろうじて生きてる。

それに応えられることが出来そうもない。。。
遡れば、ここ1ヶ月以上、調子が悪い。

その前は、「言わなくても良いこと」や「言いたくないこと」を口に出してしまったり、つまり自制の効きが悪くて、後に後悔と自己嫌悪の津波がドッと押し寄せる。それの繰り返し。
自制が効かないときは、「ハイテンション」なわけだけど、反省モードになると急激に消沈し、浮き沈みが激しすぎて辛かった。

その後の通院で相談したところ、薬の効きすぎが疑われて、向精神薬が1錠減らされた。

その結果、逆に言葉が出なくなった。でも、言葉が出にくくなったお陰で、滑りすぎた軽口もなくなり、自己嫌悪になる材料は減ったので、前より少し楽にはなった。
でもブログは書けない、メールは書けない、コミュニケーションを上手く取れない、弊害は多い。


最近は塞ぎこんではいるものの、浮いたり沈んだりすることはなくて、低位安定。意欲がない。

ところが動悸だけが酷く、肉体的な疲労がすごい。

したがって、すぐに寝込んでしまうが、動悸のせいもあって眠ることも出来ない。夜は薬が効くようで動悸が治まりかろうじて眠れる。朝が再び極端に弱くなり1時間以上起き上がれない。疲れが取れてなくて、蓄積されていっている感じ。


そんな中、この2週間前後、本来なら嬉しい事なのだが、お金に結びつく仕事の手伝いを数件。

調子が良くない中でのことだったので、失敗も多く、満足の行く仕事ができず、効率よく行動もできず。

半人前にも至らないような仕事ぶりで、お金を貰うことも辛いし、これから先、ちゃんとした仕事が出来るようになるのか?という不安を大きくした。


原因不明の動悸と蓄積する疲労。それでも弱音を吐けず「大丈夫ですよー」と虚勢を張り続けた数週間は一段落。宿題がいくつも残っているけど、ボチボチやっていこう。しばらく休養が必要なようだ。

お昼に、いつもの薬を飲もうとしていたはずが、誤って、夜に飲む睡眠薬のセットを飲んでしまった。頭がまるで回っていないのか、それとも暗に心がそれを欲していたのか・・・自分でも解らない。
でも激しかった動悸から開放されて、久しぶりに穏やかな昼の眠りにつくことができた。

1日が台無しになったけど、ほんとうに疲れきっていたんだと思う。


吐くところがない弱音を、夜、母に電話して聞いてもらった。

言葉が上手に出ないけど、母は一生懸命聞いてくれて、諭されているときは「あーそうか」と感じながら、潜んでいる動悸の原因を紐解いていく作業だ。
一旦は解けたように感じられるものの、恐らく数日もしないうちにまた絡まって、あの動悸が始まってしまうのだろう。
僕は普段、人と会話をする機会がない。

会話って、日常的で一番効率の良い「経験」だったり

「訓練」だったりすると思う。

その機会がないっていうのは、人間をどんどんダメにしていく。

それも加速的に。


コミュニケーション力はいうまでもないけど

刺激がなく、考える事も少なくなる。

使わない脳はやがて言葉や文字、文脈の構成を忘れ

思うような表現が出来なくなって、苦しむ。


自分が思ったこと、感じたことが喉の奥でつっかえてる感じ

うまく出すことができなくて、ずーっと心の中でモヤモヤしていて気持ちが悪い。

たまに会話をする機会があったりすると、緩急が上手くコントロールできなかったり

表現が雑になったり、誤解を生むような言い方をしてしまったり

意図しないことを反射的に言ってしまったり・・・。


日ごろ、喉につかえているものが「ゲー」と出てしまう時もある。


それが原因で自己嫌悪にもなるけど、

それ以上に致命的なのは、

せっかく得ていた「人の信頼」というものを損ない、

裏切ることにもなる。


ダメになったと自覚できる部分は、

また練習できれば良いと思うけど、

もう40歳も近い人間に、そこまで寛大なのは、病院くらいしかないだろうなぁ。
「正直に生きる」

病気で社会離脱をして、また復帰しようかという事を考え始めたときに

結局、行き着く先は、こういう事なんじゃないかと思ったのが、正直に生きるという事。


爽快のように聞こえるが、それは時にはバカを見させられ

時には疎まれる。

はっきりいって、利得のない生き方だ。

でも、自分の心を裏切った結果が、うつ病だったのだと感じるのだ。


正直に生きるのは難しい・・・と良く言われる。

ところが、本当はさほど難しくないが、「人がどう思うか」という事を考えると、とたんに難しくなる。

それがパンドラの箱であろうが、地雷であろうが

物事に対して建設的で、かつ論理的であれば、それは誰かが言わなきゃならん事だと思う。

でも、日本人の美学なのか、そういう事を「言うや良し」としない。


気がつけば、僕の周りから、また人が遠ざかっていっている感じがします。
最近は夕食時に軽く焼酎を飲み、良い気分になったところで、睡眠薬を飲んで横になってしまう。早ければ報道ステーションを観ずに21時ごろに床へ行ってしまう。


しかし、時間が早すぎるのか眠れない。


時計は見ないようにしているんだけど、尽きることなく考え事をしたり、届くあてもない手紙を心の中で何通も書く。そうこうしているうちに、喉が渇いてくるので、1度起きて喉を潤しがてら、睡眠薬を飲み直すといった具合です。


眠りに付けないとはいっても、目は瞑っているので多少疲れは取れるようで、朝はおおむね30分ほど早くなりました。以前の設定になっている目覚ましよりは早く目が覚め、鳴るのを待っているか、動ける時は先に起きてタイマーを止めます。

7時台に起きられると、使える時間が増えて嬉しいなぁ~と思うことが多々あります。日課のお小遣い作業をし終えても、まだ株式市場は動いてなかったり…。そんな時は、9時開店のスーパーのチラシを見て、良いものがあればスグに出かけます。


早起きの挑戦は、過去に何度もやっていますが、なかなか定着できません。今回は早寝が功を奏しているようなので、上手くいきそうな気がします。今、ウチでは夜は電気を点けないようにしているので、陽が暮れると、やれることが無くなってしまいます。それがいいのかもしれません。

でも、薬が効いてないような感じがするのが、不安要素ではあります。
大切な人の命日でした。

典型的な「昔堅気」で、義理に厚く、情にもろく、誠実にそれでいて実直。

でも頑固者で難しいところもありました。


そんな彼は、病気になって傷心帰省した僕を暖かく迎え入れて、「一緒に遊ぼうよ」と誘ってくれました。

桜がきれいな公園に。海がきれいな島に。得意な運転で僕の心を癒してくれました。


「もう、ダメかもしれない」

と母から連絡があった翌日、朝早い新幹線で帰省したとき、彼の息はまだありましたが話すことはできない状態でした。何度も何度も名前を呼んだけど「もう楽にしてあげたい」と思わされるような苦しそうな感じでした。


医者から「もって10日」と宣告されました。でも、そのわずか3時間後に、彼は誰も居ない個室で一人で逝ってしまいました。

自己中な考え方かもしれませんが、今でも彼は「僕の到着を待っていてくれた」と思わずに居られないのです。僕が病室に着いて、「逢うべき人にはおおかた会ったな」と思った彼は、安堵して逝ったのだと。

僕のことを、そんな風に想っていてくれた人が居たという事と、そんな彼の義理堅さを鑑にして、彼の誠実を僕の誠実としたいと思わせてくれた、大切な人の最期の訓えを忘れずに行きたいと思います。
救える命
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