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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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アダルトチルドレンというのは病気ではなくて、一種の個性。最近、その字の通りに「子供のような大人」とか「大人になりきれない(なりたくない)人」という意味で一部のメディアや報道番組などで使われたことから、そのような認識が通例になりがちだけど、それは間違い。
誤認が進んでしまったため、本来のアダルトチルドレンを今はアダルトサバイバーと区別して呼ぶらしい。

で、なんで急にアダルトチルドレン(以下、ACと略す)の話かと言うと、彼女と長く会えない間、どうして彼女が簡単に「鬱状態」に陥ってしまうのか?という事を僕なりに調べていった結果、辿り着いたのが、このACなのである。ACというのは、先にも言ったように病気ではなくて個性。ただ、理性では支配できない様々な感情という部分において、一般的な人のようにフラットではなく、極端に重視していたり、過敏に反応してしまったりという傾向が強く、一般社会の常識と自身の感情とのギャップで生き苦しくなってしまう。
(興味のある方は、リンク先のwikipedia参照)

その結果、鬱を誘引してしまうのは容易に想像ができる。

以前からの彼女との会話の中で、過去の事など記憶を辿ると、彼女はこれに符合する点が非常に多く、これが彼女の辛さの根本なのだろうと察してはいるのだが、思いもよらぬ事に、なんと僕自身も符合する点が多かったのである。


これは困った事になったと頭を抱えています。。。


親の愛情が足りないまま育った子供はアダルトチルドレンになってしまうというのが通説で、僕はそういう意味ではそう感じたことは一度もない。ただ、自分の人格を形成したのに一番大きな影響を持っているのは、恐らく幼いころから親しんだ三国志を始めとした歴史的文献の数々のように思う。
義理と人情を最重要視し忠義を全うしたいという願望。江戸時代に「御恩奉公」という制度があったけど、人間関係もかくあるべきというのが僕の「美学」そのもの。ただ、この忠誠心というのは、今の時代では(シチュエーションによっては)「しがみつき」とも解釈される。「武士たるもの二君に仕えず」と言って、お役御免ともなれば、それを恥として切腹して果てるという個性は、今の時代は「狂人の発想」以外の何ものでもないという事です。

そういう個性が確立してしまっている僕自身は、自分のどこが客観的に「異常」であるかは、なかなか見抜くのが難しいが、たまたま昨夜チャットをしていたら、似たような経験を持った人から(痛いところを)ズバズバと突かれ、自分でもハッと気付かされる部分があり、これを日記に記しておこうと思った。


会社に勤めていた時も、今の彼女に対してもそうだけど、自分の中で確立してしまった「生きる美学」は、恩義を重んじて最大限の忠節をつくして全うして果てること。でも、そこらで野たれ死ぬ事も許されないし、一人一人の尊厳が重要視される現代では、このような生き方は到底成立しない。そこが僕の苦しさの根本なのかなと思った。

こういう苦しさを内面に秘める人は、とても孤独だ。理解者の絶対数が少ないためである。だから同じような性質を持つ彼女と惹かれあってしまったのだと思う。でも生き苦しくても、生きて行かなければ行かないのが現代だ。


うつ病が良くなってきたかと思えば、また新たな強敵が現れてしまいました。
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アー。今日は通院の日。1か月半ぶり。
イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだぁ~~~

クリニックまで徒歩で行こうかと思っていたんだけど、ついチャットに夢中になってしまって時間をやり過ごしてしまったのでチャリンコで行ってきた。ずいぶん早くについてしまったけど、予約時間前に呼ばれた。最近、あのクリニック空いてるのよね~ぜんぜん待たされない。一時期はずいぶん繁盛してたけど・・・お客(患者)さんの多くが快復したと考えるよりは、あのヤブに愛想を尽かして転院した人が多いと考えたほうが論理が立つ。

月に一回くらい、ひどい動悸で起きるも寝るもできない状態になるという話をしてきたところ、もう4年弱も服用しつづけているトレドミンという薬がSNRIという種別の薬で、ノルアドレナリンが多くなると動悸がするとか。

しめた!減薬のチャンスだ。・・・と思ったのが勇み足。
減薬処方をしてくれそうにない主治医だったので、自分で「薬離れ」をしようと少しずつ自己流で減薬をしてきていたため、自分が最近どんな処方をされているかが適当になっていて、

「朝、夜2錠ずつですよね?」

と言ったら、「いや、今1日3錠で処方してますけど、4錠のんでるんですか?薬余分にあるんですか?」というヤバい展開に・・・。あーしまった! 墓穴を掘った。

というわけで、4錠は飲み過ぎかもしれないから3錠にしましょうという話で落着。でも、実は今は1日2錠しか飲んでないという現実は医者には秘密。でもどうやら、ノルアドレナリンが出るようになってきていてSNRIのお世話にならなくても良くなってきていると考えれば、医学的にも快方に向かっているという事になりそう。
通院も2週に1回だったものが、今日から4週に1回という事で定着しそうな感じです。
いつものように朝起きたところまではいつも通り。
ところが、今日はそこからプッツリと記憶がない。

またお昼前まで横になってしまったようなんだけど、いつも以上の頭が混沌としていて全身の力が抜けている。特にヒザに力が入らなくて、普通に歩こうと思ってもカクッとなって転びそうになる。頭でなんとか動こうと指令を出しても身体はついてこない。


ここ1年では最悪の体調だ。


どうしても東京に戻ってからの「生活の資金繰り」で考えが行き詰ってしまい、絶望感から抜けられない。最後の秘産である「個人年金」を取り崩したとしても、もって1年くらい。それでも1000万近い借金が残り、もはや就職なしでは生活保護、最悪は自己破産しかない。

帰省直前までは、再就職の気力を持ち直しつつあったのに、この長引く鬱が気力を加速的に減退させて、すべての解決の糸口となる「社会復帰」への道を妨害する。病み上がりであるのと、長期ブランクというハンディキャップに加え、昨今の経済不況という追い打ちで、最悪のケースばかりが頭をよぎる。しかしそれは、今の現状と遠ざかる「社会復帰」の実感によって、日に日にリアリティを帯びてきて、それが恐怖となって生きる力を削いで行く。

「死」という選択肢から一度は解放された自分だったけど、ここに来て再びその悪い病気が再燃してきていて辛い。絶対に生きなくちゃいけないと思いながら、最悪家を無くしても食べて行けなければ結局待つのは餓死。悪いケースならどちらに転んでも親不孝だが、せめて苦しまずに逝きたいとか・・・そんな事を毎日考える。

午前中、死人のようになっていた間に、両親の知人から僕宛てに用事を授かったようで、「午後になれば動けるだろう」という母の心算で、この用事を(僕の知らぬところで)快諾していた。ところが約束の時間になっても体調は一向に良くならない。ただ、御近所の義理もあれば、僕も直接相談に乗っていた事もあり、むげには出来ない一心から、無理を押して、なんとか行こうと奮ったが、母が「私が勝手に取り付けた約束だから悪かった。キャンセルしてもいいよ」という一言に甘んじた。

本人の知らぬところで約束が進んだのは普通はイカンと思うけど、僕は多忙でもなければ時間がないわけでもなかった。齢66を過ぎる両親は朝から精力的に活動しているのに、傍らで僕は何もできず、動けずに居る。普通に出来るはずの事ができないのは、両親には考えが及ばないのは当然のことだし、すべては僕が悪いのだと自分を責め、期待にすら応えられない自分がこの上なく情けなくなった。

とにかく自分にとっては悪材料が2重3重に重なり、精神的にも最悪だ。3年前に発症した当時に似たようなプレッシャーが許容を超え始めている。帰省中の行動目標も到底進まず、好調だった今年1年を棒に振ってしまったような虚しさ。自分なりに挑戦と努力をやってきたことの儚さは、生きる希望を失墜させ「死」の魅力に誘われる。

死ねたらどんなに楽だろう。。。
明日、帰省。今日は病院に行って1ヵ月分の薬を処方してもらうなどして、旅支度にとりかかる。
明日も朝から所用などあったり、あまり焦って出立することのないように、なるべく今日のうちにと思って色々とやった。

また1ヵ月、遠く離れることになる彼女には・・・メールでラブレターを送った。
僕の気持ちはきっと伝わらないだろうな・・・って思いながら書いたラブレター。辛くて涙が溢れた。。。


彼女に本当の幸せを考えてほしい。。。そんな涙のラブレター。。。
今日の夜行バスで東京に帰ります。

午前中は宅配便で自宅に送る荷造りをし、気がつけばお昼。
そうめんを食べて、いつものように数時間のお昼寝をしました。

3年前から何度も帰省を繰り返し、その度に東京へ戻るというこの日を経てきたのですが、今回の帰省は自分にとって大きな心境の変化があったように思います。
夕方にはこの地を離れなければならない事がとても切なく涙が溢れて止まりませんでした。その時、何を思いそうなったのかは数日前の事なのに良く思い出せませんが、今度の帰京には今までにない覚悟と、立ちはだかる大きな障壁への不安や恐怖。

そして、両親と数か月という長い時間を共に過ごし、自然と共に暮らしていくという事が、僕の今の年齢では非常に困難であるということ。社会に復帰し、自立した生活を取り戻さなくてはならないという現実に直面せざるを得ないのが、つまり東京に戻るという事。
帰省して親孝行をできる機会と現実の両立の難しさを考えたとき、もうこの場所には戻ってこれないかもしれない・・・という絶望感が涙を誘ったように感じます。

今回の帰省は、過去とは違って、目的意識を持ち、できる範囲ですが行動を伴ったという意味で自分にとっては合格点でした。生活や経済的な自立にはほど遠いところではあったけど、僕なりにもがき、病気に抗って前に進もうとする姿を見て、今までの僕とは違う何かを感じ取り、両親は喜んでくれたのではないかなぁ~と思います。
完全に鬱。超悲観モードです

言葉は出てこない。
悪いことばかり考えてしまう。
頭は痛い、おまけに腰も痛い。

せっかくの貴重なお休みなのに、疲れます。。。


お手伝いしているホームページの手直しをやっとこ仕上げたものの、関係者に連絡する気力もなくダウン。


夜、彼女とチャットでお話をして、かなりショックを受けてしまった。。。
前に付き合っていたときに上手に出来なかったコミュニケーションを大切にと思ってしていた事が却ってアダになってしまっている現実。週末だけ会うのも疲れるんだって。僕が疲れさせているんだって。。。

それって、根本的にダメなんじゃないの?
絶望的なんじゃないの?って思うんだけど


まぁ、彼女は常々言いたかった事が言えてスッキリしたようで、聞くべき事も聞いたので、それはそれで良かったけど。
うつ病を発症してからの長の年月、僕を気遣い、支えてくれた全ての方々への感謝。


尊敬し、敬愛する両親。

遠く住まいする両親に代わり、いつも傍で僕を気遣い続けてくれた伯母夫婦。

感謝の気持ちと「生の尊さ」を教えてくれた、祖母、そして西兄ちゃん。

陰ながら、行く末を案じ続けてくれていた弟たち。


こんなに元気になれたのは、みんなのお陰です。
ありがとう。
救える命
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