2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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たまーにだけど・・・
『うつ病 社会復帰』の検索ワードで、このブログに訪れる人が居る。
きっと、今まさに病気と将来の不安に駆られていて、安心の得られるヒントを探してさまよっているんだろうなぁ~と思う。残念ながら、このブログにはその答えはない。
僕だって、まだ社会復帰してないし。
ちょっと気が向いたので社会復帰の話。
僕は"うつ病"で、社会戦争を戦線離脱。また、この戦場に戻れるのかなぁ~って夢を見ている一人。
確証はないけど、同じ"うつ病"の人たちの中でも、僕は復帰が遅れているほうだと思う。
復帰までのプロセスは、色々とあるだろうと思うけど、『働きたい』と思って復帰する人よりも、『働かなくちゃいけない』と環境に迫られて復帰を果たす人のほうが多いのではないか。
実際、通院先の医師も『生活のために働かないと、仕方ないでしょう?』という言い方をする。
要は、復帰する気力が十分かどうかに関わらず、『金が無いなら働くしかない』という事を、病気の数少ない理解者でもあるはずの医師から言われれば、そうするしかないと思う人が多いという事。
まぁ、現実そういう事なんだけど。
ただ、『希死願望』のある人間に対して、そういうアシストの仕方はどうかなぁとは思う。所詮、医師といえども病気の辛さを知るわけでもなく、まして"うつ病"患者の増加で儲かって仕方のない状況では、『働けずに貧乏している』心境に同情できるはずもない。
僕の復帰が遅いのは、
●独身だったこと
●貯金がたくさんあったこと
●浪費癖がなかったこと
●家族(両親)が理解者となってくれたこと
●収入が無いなりに生活レベルを調整できたこと
●手に職(技術者)があったこと
というラッキーな要素に加えて、
●慎重であること
●理屈っぽいこと
●勇気がないこと
●劣等感が強いこと
●同じ過ちを恐れること
●技術者であることにしがみついていること
という性格的な要素が大きいと思う。
"うつ病"で休養期間を得られたときに、何に最もメリットを感じたかというと、『環境を変えるチャンスができた』ことだと思う。"うつ病"は、『環境不調』・・・つまり、自分と環境の相性が悪いという事なんだと思っているから。
病気と診断された頃、『何がそうさせたのか?』という事を自問自答する。
わかりやすい答え(というか極端)を求めて、人や事の善悪に思考がいく。
まずは、劣等感やコンプレックスが強いため、自然に『自分が悪い』という結論に到達してしまい、自分を責め続け、果ては自分を殺めたい衝動に駆られる。しかし、それに満足してくると、こんどは自分があまりにも惨めになり、守ってやりたくなる。結果として、自分の周囲・・・つまり個人、会社、環境などを責め、そして恐怖心を抱くようになる。
どちらが正しい、間違ってるというところに到達してしまうと、『変わらなくてはいけないのは、相手?自分?』という自問自答になる。こんなこと、自己解決しようたって無理ってもんだ。
自分が戒めたほうが良いと思うところは、戒めればいい。でも、無理に変わろうとする必要はないと思う。
世の中は、事の善悪だけみたいにシンプルには出来ていない。とても複雑だし、わりと適当だ。
等身大の自分が納得できる、そして受け入れてくれる環境。それを求めるということが"うつ病"の人に与えられる休養期間で、もっとも意味のある『薬』ではないだろうか。
凝り性な人、適当な人、それぞれに合った職場や社会環境ってきっとあると思う。
『相性が悪いところに、しがみつこうとしない』で、色々な環境に触れてみるのは悪いことじゃない。
家族や家庭環境の問題で"うつ"になってしまった人は、どう立ち直れというのか・・・。簡単に変えられる環境じゃないし。病気の治癒の度合いを『社会復帰』で量れる人は・・・僕も含めてまだ幸せなほうだと思う。
自殺を考えてしまった人も居るだろうけど、そこから抜け出した人が前へ一歩踏み出したときに『社会復帰』の像を夢見る。でも焦らずゆっくり行こう。一度、救った自分の命なんだから大切に行こうぜ、なぁ。
これは、僕自身へのメッセージ・・・。
『うつ病 社会復帰』の検索ワードで、このブログに訪れる人が居る。
きっと、今まさに病気と将来の不安に駆られていて、安心の得られるヒントを探してさまよっているんだろうなぁ~と思う。残念ながら、このブログにはその答えはない。
僕だって、まだ社会復帰してないし。
ちょっと気が向いたので社会復帰の話。
僕は"うつ病"で、社会戦争を戦線離脱。また、この戦場に戻れるのかなぁ~って夢を見ている一人。
確証はないけど、同じ"うつ病"の人たちの中でも、僕は復帰が遅れているほうだと思う。
復帰までのプロセスは、色々とあるだろうと思うけど、『働きたい』と思って復帰する人よりも、『働かなくちゃいけない』と環境に迫られて復帰を果たす人のほうが多いのではないか。
実際、通院先の医師も『生活のために働かないと、仕方ないでしょう?』という言い方をする。
要は、復帰する気力が十分かどうかに関わらず、『金が無いなら働くしかない』という事を、病気の数少ない理解者でもあるはずの医師から言われれば、そうするしかないと思う人が多いという事。
まぁ、現実そういう事なんだけど。
ただ、『希死願望』のある人間に対して、そういうアシストの仕方はどうかなぁとは思う。所詮、医師といえども病気の辛さを知るわけでもなく、まして"うつ病"患者の増加で儲かって仕方のない状況では、『働けずに貧乏している』心境に同情できるはずもない。
僕の復帰が遅いのは、
●独身だったこと
●貯金がたくさんあったこと
●浪費癖がなかったこと
●家族(両親)が理解者となってくれたこと
●収入が無いなりに生活レベルを調整できたこと
●手に職(技術者)があったこと
というラッキーな要素に加えて、
●慎重であること
●理屈っぽいこと
●勇気がないこと
●劣等感が強いこと
●同じ過ちを恐れること
●技術者であることにしがみついていること
という性格的な要素が大きいと思う。
"うつ病"で休養期間を得られたときに、何に最もメリットを感じたかというと、『環境を変えるチャンスができた』ことだと思う。"うつ病"は、『環境不調』・・・つまり、自分と環境の相性が悪いという事なんだと思っているから。
病気と診断された頃、『何がそうさせたのか?』という事を自問自答する。
わかりやすい答え(というか極端)を求めて、人や事の善悪に思考がいく。
まずは、劣等感やコンプレックスが強いため、自然に『自分が悪い』という結論に到達してしまい、自分を責め続け、果ては自分を殺めたい衝動に駆られる。しかし、それに満足してくると、こんどは自分があまりにも惨めになり、守ってやりたくなる。結果として、自分の周囲・・・つまり個人、会社、環境などを責め、そして恐怖心を抱くようになる。
どちらが正しい、間違ってるというところに到達してしまうと、『変わらなくてはいけないのは、相手?自分?』という自問自答になる。こんなこと、自己解決しようたって無理ってもんだ。
自分が戒めたほうが良いと思うところは、戒めればいい。でも、無理に変わろうとする必要はないと思う。
世の中は、事の善悪だけみたいにシンプルには出来ていない。とても複雑だし、わりと適当だ。
等身大の自分が納得できる、そして受け入れてくれる環境。それを求めるということが"うつ病"の人に与えられる休養期間で、もっとも意味のある『薬』ではないだろうか。
凝り性な人、適当な人、それぞれに合った職場や社会環境ってきっとあると思う。
『相性が悪いところに、しがみつこうとしない』で、色々な環境に触れてみるのは悪いことじゃない。
家族や家庭環境の問題で"うつ"になってしまった人は、どう立ち直れというのか・・・。簡単に変えられる環境じゃないし。病気の治癒の度合いを『社会復帰』で量れる人は・・・僕も含めてまだ幸せなほうだと思う。
自殺を考えてしまった人も居るだろうけど、そこから抜け出した人が前へ一歩踏み出したときに『社会復帰』の像を夢見る。でも焦らずゆっくり行こう。一度、救った自分の命なんだから大切に行こうぜ、なぁ。
これは、僕自身へのメッセージ・・・。
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朝は8時半過ぎに起床。
天気が良かったので、すぐにでも引越しの荷造りの手伝いをしに出ようかと思ったが、昼過ぎに出ることにして午前中は休むことにした。
しかし、時間が経つにつれて、どーも調子が悪化していく。
とうとう11時ころにダウンした。起きたのは14時過ぎ。
まだ、行こうと思えば行けると思い、気力を高めようと努力したけど、刻々と時間だけが過ぎていき、とうとう諦める。
18時に再びダウン。起きたのは20時過ぎ。
抗鬱薬を服薬して、21時過ぎに外に食事をしに出る。
帰りに買い物をしにいくつもりで、買い物袋も持って出ていたのだが、店の間近まで行ったものの、どういうわけかアタマが重くなり、引き返して帰宅した。
精神的にとても不安定。
夜中0時を過ぎたあたりから、ようやくアタマが冴えてくるが、ブログのようなダラダラした文章がせいぜいで、メールのようなキッチリした文章は未だ書くことができない。
思考が従姉の事と、「元気に百歳」クラブの事の2つに大きく支配されて、とても疲弊している。
前者は、まったく理不尽との闘いだし、後者は金銭の授受があるようになってから非常にやりづらくなったし、協力したらお金の話になりそうで、あまり積極的に協力したくなくなった。
私は、何事にも一生懸命に、情熱を持って取り組んでしまう。もっと楽な気持ちで・・・思うのだけど、不器用なんだろうね。それができない。相手がそれを求めていない、受け入れられないと感じたとき、私の行動も言動も相手にとっては単なる『要らぬ親切』だし、自分も虚しいだけ。
今、現実 とても生きづらい。
どちらも年内には清算して、楽になりたいと思う。
天気が良かったので、すぐにでも引越しの荷造りの手伝いをしに出ようかと思ったが、昼過ぎに出ることにして午前中は休むことにした。
しかし、時間が経つにつれて、どーも調子が悪化していく。
とうとう11時ころにダウンした。起きたのは14時過ぎ。
まだ、行こうと思えば行けると思い、気力を高めようと努力したけど、刻々と時間だけが過ぎていき、とうとう諦める。
18時に再びダウン。起きたのは20時過ぎ。
抗鬱薬を服薬して、21時過ぎに外に食事をしに出る。
帰りに買い物をしにいくつもりで、買い物袋も持って出ていたのだが、店の間近まで行ったものの、どういうわけかアタマが重くなり、引き返して帰宅した。
精神的にとても不安定。
夜中0時を過ぎたあたりから、ようやくアタマが冴えてくるが、ブログのようなダラダラした文章がせいぜいで、メールのようなキッチリした文章は未だ書くことができない。
思考が従姉の事と、「元気に百歳」クラブの事の2つに大きく支配されて、とても疲弊している。
前者は、まったく理不尽との闘いだし、後者は金銭の授受があるようになってから非常にやりづらくなったし、協力したらお金の話になりそうで、あまり積極的に協力したくなくなった。
私は、何事にも一生懸命に、情熱を持って取り組んでしまう。もっと楽な気持ちで・・・思うのだけど、不器用なんだろうね。それができない。相手がそれを求めていない、受け入れられないと感じたとき、私の行動も言動も相手にとっては単なる『要らぬ親切』だし、自分も虚しいだけ。
今、現実 とても生きづらい。
どちらも年内には清算して、楽になりたいと思う。
一昨日の夜に徹夜して、昨日は往復4時間の小旅行。疲れで動けず。
正午前にようやく目が覚め、起床した。
上京している父に昼ごはんを誘われ実家へ。夕方から新宿行くぞと言われて、断れず適当に返事をしてしまう。
帰宅してからも、ひたすら眠り、気がつけば15時過ぎ。約束の時間が近いけど、どうにも気が乗らない。
とりあえずシャワーを浴びて、身支度は整えておき、ギリギリまでボーっとする。
父とバス停で待ち合わせ。雨が降られそうな天気だったが、手荷物を持つ気になれず、無謀にも手ぶらで出発。
相手は、両親が娘のように可愛がっている縁があって、付き合いが深い。それに同席させて貰ったというわけ。彼女は精神科医で、私がうつ病を発症する前後に非常にお世話になった恩人でもある。
とにかく明朗快活な方で、話を聞いているだけでも元気を貰える。
日中、鬱々と過ごしていたが、お陰で晴れてきた。
私の近況なども話を聞いてもらったんだけど、他の人と比べると、とても自分は過剰なほど神経質だと悟る。
まぁ、判っていた事だけれど。
なんというか、『自分の気が回る範囲では、最大限に神経を使わないと』という生き方をする。
だから、その人に言わせれば『疲れるでしょ?』・・・と。
たしかに疲れるけど、そうしないといけないと、自分で思い込んでいる。
でも・・・案外、テキトーでも良いのかな?と思ったりもする。
「元気に百歳」クラブから振り込まれてしまった"謝礼金"をどうするか・・・毎日悶々と考えてしまっていたが、ありがたく頂戴することにした。
『断るのは、好意を踏みにじる行為だ』と、父にたしなめられる。至極ごもっともだ。
でも、相手のやり方にも問題があった。お互い様だということだ。
十人十色の人間関係。
みんな"お互い様"で生きている。
正午前にようやく目が覚め、起床した。
上京している父に昼ごはんを誘われ実家へ。夕方から新宿行くぞと言われて、断れず適当に返事をしてしまう。
帰宅してからも、ひたすら眠り、気がつけば15時過ぎ。約束の時間が近いけど、どうにも気が乗らない。
とりあえずシャワーを浴びて、身支度は整えておき、ギリギリまでボーっとする。
父とバス停で待ち合わせ。雨が降られそうな天気だったが、手荷物を持つ気になれず、無謀にも手ぶらで出発。
相手は、両親が娘のように可愛がっている縁があって、付き合いが深い。それに同席させて貰ったというわけ。彼女は精神科医で、私がうつ病を発症する前後に非常にお世話になった恩人でもある。
とにかく明朗快活な方で、話を聞いているだけでも元気を貰える。
日中、鬱々と過ごしていたが、お陰で晴れてきた。
私の近況なども話を聞いてもらったんだけど、他の人と比べると、とても自分は過剰なほど神経質だと悟る。
まぁ、判っていた事だけれど。
なんというか、『自分の気が回る範囲では、最大限に神経を使わないと』という生き方をする。
だから、その人に言わせれば『疲れるでしょ?』・・・と。
たしかに疲れるけど、そうしないといけないと、自分で思い込んでいる。
でも・・・案外、テキトーでも良いのかな?と思ったりもする。
「元気に百歳」クラブから振り込まれてしまった"謝礼金"をどうするか・・・毎日悶々と考えてしまっていたが、ありがたく頂戴することにした。
『断るのは、好意を踏みにじる行為だ』と、父にたしなめられる。至極ごもっともだ。
でも、相手のやり方にも問題があった。お互い様だということだ。
十人十色の人間関係。
みんな"お互い様"で生きている。
朝、8時半に起床するも、依然として不調。
1時間くらい、株のザラバをボーっと見ながら過ごしたが、どうもダルくて、やはり横になる。
その後、夕方あたりまで、記憶がない。
最近、手足が"かさぶた"だらけ。
どういうわけか、血がでるまで掻きむしってしまう・・・絆創膏だらけ。
ストレスだろうか。
クラブから、ホームページ立ち上げの現金謝礼を送金したというメールが流れてきた。
断固として拒否するつもりだったが、なんとどこから流出したのか、私の口座に振込みされたようだ。
・・・これをやられては、返金するにできない。
必要経費は戴きたいが、労力は奉仕するというのが、私のボランティアポリシーだ。
一応、成功という結果報酬として…と納得できる部分もあるが、どうしても自分のポリシーに合わず釈然としない。
だから、どうしても断りたかったのだが。まさか口座振込みという"飛び道具"を使われるとわ。
っていうか、これだけ個人情報が騒がれているのに、個人情報保護もへったくれもない世界だな。
オレはもちろんクラブに口座番号など教えていない。
やはり世代の違いだろうか。情報の扱いが適当すぎる。
また悩みが増えた。私の平穏が遠のく・・・。
1時間くらい、株のザラバをボーっと見ながら過ごしたが、どうもダルくて、やはり横になる。
その後、夕方あたりまで、記憶がない。
最近、手足が"かさぶた"だらけ。
どういうわけか、血がでるまで掻きむしってしまう・・・絆創膏だらけ。
ストレスだろうか。
クラブから、ホームページ立ち上げの現金謝礼を送金したというメールが流れてきた。
断固として拒否するつもりだったが、なんとどこから流出したのか、私の口座に振込みされたようだ。
・・・これをやられては、返金するにできない。
必要経費は戴きたいが、労力は奉仕するというのが、私のボランティアポリシーだ。
一応、成功という結果報酬として…と納得できる部分もあるが、どうしても自分のポリシーに合わず釈然としない。
だから、どうしても断りたかったのだが。まさか口座振込みという"飛び道具"を使われるとわ。
っていうか、これだけ個人情報が騒がれているのに、個人情報保護もへったくれもない世界だな。
オレはもちろんクラブに口座番号など教えていない。
やはり世代の違いだろうか。情報の扱いが適当すぎる。
また悩みが増えた。私の平穏が遠のく・・・。
うつ病と診断され、通院が始まってからずーっと釈然としないでいる。
うつ病って何なのさ!?ってこと。
うつ病っていうのは、他の病気と違って、物性的な確証がないまま・・・つまり検査も所見もなく、問診のみで診断される。患っている自分が言うのも何だが、とても不思議な病気なのである。
今となって思い返すと、うつ病というのは、当人を含めて周囲の多くの人間が、『この人は休養が必要なんですよ』ということを納得しやすくするために、便宜上作られた病名なのではないかと思う。
2年以上も前になるけど、私は某社に10年間勤めていた。
責任職でこそなかったが、オールラウンダー(どのような種の仕事でもこなす)だった為、私にしかできない仕事や効率の観点から社内では年々、私個人に依存するような仕事の密度が高くなり、そういう意味では責任が大きかった。
私は、常に先の事を考えてから行動する超堅実派。
この頃から、『自分が居なくなったら、どうなるのだろうか?』という事を日頃考えるようになった。
上司には常に問題提起したが、柔和に避わされ続けていく一方で、私の仕事に対する責任も増え続けていく現実があった。変わらない現実の先に、明るい未来は想像できなかった。
『自分はどんなことがあっても倒れることも退くこともできない』
と強く念じて、自分を鼓舞し続けた。
しかし、さすがに疲れが出始めたのか、少し弱気になったときに 『私は、いつ休めるのだろう?』 という事をふと考えた。そのときに導かれた結論が、
『死ぬか、大きな病気でもして入院すれば、みんなが納得してくれるよな~』
という事だった。だれも納得して貰えない状況での責任放棄はできなかった。自分は自分でも判らない"自分の限界"に挑むしかなかったのだ。
今から2年半前の2004年12月。
自分でも何が起きたかわからない。
いつもと同じ朝を迎えたはずが、身体がビクとも動かない。動こうとしなくなった。
翌月、2005年1月。うつ病との診断が出る。
同年3月に病気退職。
私は、やっと、自分も周りも『病気なら仕方が無い』という納得を得られる環境で、休養の時間を手に入れることができたんだ。
うつ病って何なのさ!?ってこと。
うつ病っていうのは、他の病気と違って、物性的な確証がないまま・・・つまり検査も所見もなく、問診のみで診断される。患っている自分が言うのも何だが、とても不思議な病気なのである。
今となって思い返すと、うつ病というのは、当人を含めて周囲の多くの人間が、『この人は休養が必要なんですよ』ということを納得しやすくするために、便宜上作られた病名なのではないかと思う。
2年以上も前になるけど、私は某社に10年間勤めていた。
責任職でこそなかったが、オールラウンダー(どのような種の仕事でもこなす)だった為、私にしかできない仕事や効率の観点から社内では年々、私個人に依存するような仕事の密度が高くなり、そういう意味では責任が大きかった。
私は、常に先の事を考えてから行動する超堅実派。
この頃から、『自分が居なくなったら、どうなるのだろうか?』という事を日頃考えるようになった。
上司には常に問題提起したが、柔和に避わされ続けていく一方で、私の仕事に対する責任も増え続けていく現実があった。変わらない現実の先に、明るい未来は想像できなかった。
『自分はどんなことがあっても倒れることも退くこともできない』
と強く念じて、自分を鼓舞し続けた。
しかし、さすがに疲れが出始めたのか、少し弱気になったときに 『私は、いつ休めるのだろう?』 という事をふと考えた。そのときに導かれた結論が、
『死ぬか、大きな病気でもして入院すれば、みんなが納得してくれるよな~』
という事だった。だれも納得して貰えない状況での責任放棄はできなかった。自分は自分でも判らない"自分の限界"に挑むしかなかったのだ。
今から2年半前の2004年12月。
自分でも何が起きたかわからない。
いつもと同じ朝を迎えたはずが、身体がビクとも動かない。動こうとしなくなった。
翌月、2005年1月。うつ病との診断が出る。
同年3月に病気退職。
私は、やっと、自分も周りも『病気なら仕方が無い』という納得を得られる環境で、休養の時間を手に入れることができたんだ。
先日、昼間に動けず寝たきり状態の反動で、夜眠れず、一夜にして昼夜逆転。
もう良くある典型的なパターンだ。
このパターン自体にはさすがに慣れた。適当にしてれば数日で戻る。
でも、仕事していたらどーなるんだろうと毎度考えて恐ろしくなる。
アルバイトだって同じ。
ひょっとしたら、一生ちゃんとした仕事に就けないんじゃないかな・・・って思う。
"自由業"という就業形態以外に、自分の身体でやれる仕事ってあるんだろうか?
昨日、昼間にできなかった作業を夜通しやって、そのうち夜が明けて気が付けば朝の7時。
幸い予定もなかったので、観念して睡眠導入薬を飲み横になる。
10時過ぎに目が覚めて、このまま寝ていると逆転が進むと思い、フラフラしながら起床。
ボーっとしたまま数時間過ごす。
昼過ぎに、伯母からお手伝いの要請が入ったので、このままボーっとしていてはいけないと思い行くことにする。
珍しく梅雨らしいシトシト雨が降っていたので、一緒に食事がてら迎えに来てもらい、そのまま田無へ。
伯母宅は、先日から末娘の受け入れ準備のために大改造中。
まさに佳境・・・という感じでゴッタ返しているが、『こんなに広かったっけ?』と思うほどスッキリしつつある。
大きなテレビを廃棄し、別のテレビの配線を手伝う。
伯母は昨日に風邪を引いてしまったようで、ダウン。伯母の風邪は長引くから心配だ。
やることも無くなったので、『従姉の様子を見て帰る』と言って席を立つと、『送る』と伯母が起きてきた。
何度も断ったけど頑固なんだ。その上、私は断り下手。結局送ってもらう羽目になった。
従姉のところでパソコンの面倒を少し見て、不要なマンガを預かって帰宅した。
そんな作業をしながら、先日、伯母宅から引き取ってきたプリンターの調子が悪いのでNECのサービスセンターに問い合わせ。サービスセンターに修理の見積もりを依頼したところ、まず始めに取り次いだ人には全然話が通じない。どうやら専門担当に回して貰えなかったらしい。
まどろっこしい会話は、結局、出張サポートへ引継ぎということに。サポートにありがちなたらいまわし現象だ。
出張サポートから折り返し電話がはいり、『出張費で8000円、診断費で3500円かかります』と内訳を切り出される。
『その前に見積もりは?』と聞くと、見積もりをするために、それだけ払えとか。
おいおい、まってくれよ、NECさんよ。
見積もりに1万円強掛かって、修理は更に別料金ってか。
私も多少は、電気製品には詳しいよ。なんとなく3万円くらいの部品を変えりゃ直るきがしてるよ。
見積もりに来てもらって、結局この部品買わされた日にゃ、原価超えるじゃんか。
っていうか、天下のNECが、見積もりに金とるかなぁ~・・・。
NECはサポート最悪です
というわけで、約16000枚の”クラブだより"を印刷したNECのプリンターは、残念なことに廃棄する方向です。
頑張ってくれたから愛着もあるのに・・・
プリンターに限らず、人さえも『消耗品』扱いのこの世の中。
なにか間違えてると、将来を憂うばかりです。
もう良くある典型的なパターンだ。
このパターン自体にはさすがに慣れた。適当にしてれば数日で戻る。
でも、仕事していたらどーなるんだろうと毎度考えて恐ろしくなる。
アルバイトだって同じ。
ひょっとしたら、一生ちゃんとした仕事に就けないんじゃないかな・・・って思う。
"自由業"という就業形態以外に、自分の身体でやれる仕事ってあるんだろうか?
昨日、昼間にできなかった作業を夜通しやって、そのうち夜が明けて気が付けば朝の7時。
幸い予定もなかったので、観念して睡眠導入薬を飲み横になる。
10時過ぎに目が覚めて、このまま寝ていると逆転が進むと思い、フラフラしながら起床。
ボーっとしたまま数時間過ごす。
昼過ぎに、伯母からお手伝いの要請が入ったので、このままボーっとしていてはいけないと思い行くことにする。
珍しく梅雨らしいシトシト雨が降っていたので、一緒に食事がてら迎えに来てもらい、そのまま田無へ。
伯母宅は、先日から末娘の受け入れ準備のために大改造中。
まさに佳境・・・という感じでゴッタ返しているが、『こんなに広かったっけ?』と思うほどスッキリしつつある。
大きなテレビを廃棄し、別のテレビの配線を手伝う。
伯母は昨日に風邪を引いてしまったようで、ダウン。伯母の風邪は長引くから心配だ。
やることも無くなったので、『従姉の様子を見て帰る』と言って席を立つと、『送る』と伯母が起きてきた。
何度も断ったけど頑固なんだ。その上、私は断り下手。結局送ってもらう羽目になった。
従姉のところでパソコンの面倒を少し見て、不要なマンガを預かって帰宅した。
そんな作業をしながら、先日、伯母宅から引き取ってきたプリンターの調子が悪いのでNECのサービスセンターに問い合わせ。サービスセンターに修理の見積もりを依頼したところ、まず始めに取り次いだ人には全然話が通じない。どうやら専門担当に回して貰えなかったらしい。
まどろっこしい会話は、結局、出張サポートへ引継ぎということに。サポートにありがちなたらいまわし現象だ。
出張サポートから折り返し電話がはいり、『出張費で8000円、診断費で3500円かかります』と内訳を切り出される。
『その前に見積もりは?』と聞くと、見積もりをするために、それだけ払えとか。
おいおい、まってくれよ、NECさんよ。
見積もりに1万円強掛かって、修理は更に別料金ってか。
私も多少は、電気製品には詳しいよ。なんとなく3万円くらいの部品を変えりゃ直るきがしてるよ。
見積もりに来てもらって、結局この部品買わされた日にゃ、原価超えるじゃんか。
っていうか、天下のNECが、見積もりに金とるかなぁ~・・・。
NECはサポート最悪です
というわけで、約16000枚の”クラブだより"を印刷したNECのプリンターは、残念なことに廃棄する方向です。
頑張ってくれたから愛着もあるのに・・・
プリンターに限らず、人さえも『消耗品』扱いのこの世の中。
なにか間違えてると、将来を憂うばかりです。
11時前に目が覚めた。久しぶりに大寝坊をした。
起き上がると、なんだか様子がおかしい。また頭痛だ。
先日、医者にも言ったのだが、鬱から来る頭痛は抗鬱薬で治まるはずだとか。
ためしに飲んでみるものの、一向に改善しない。
鎮痛薬は飲まないほうが良いと言われたのを思い、ひたすら耐える。疲れてしまい、数時間後にまた横になる。16時過ぎくらいまで何もできず。寝たきり状態。
19:30に約束があったため、鎮痛薬を飲むか悩むが、やはり我慢する。
先方の都合で20時にお宅訪問。修理したパソコンを届け、セットアップ。
22時過ぎまで掛かったが、仕事は無事に終り、ありがたく工賃を頂く。アイスもご馳走になった。
労働収入がない日常があたりまえだったのに、今週2件も仕事を戴いた。
まだ、お助け仕事みたいなものなのでアルバイト程度の賃金だが、とてもありがたい事です。
大きな失敗もしていないし、先方にも喜んで戴けているので、とても充実しているし楽しいです。
皆さん、ありがとう。
心から感謝。
起き上がると、なんだか様子がおかしい。また頭痛だ。
先日、医者にも言ったのだが、鬱から来る頭痛は抗鬱薬で治まるはずだとか。
ためしに飲んでみるものの、一向に改善しない。
鎮痛薬は飲まないほうが良いと言われたのを思い、ひたすら耐える。疲れてしまい、数時間後にまた横になる。16時過ぎくらいまで何もできず。寝たきり状態。
19:30に約束があったため、鎮痛薬を飲むか悩むが、やはり我慢する。
先方の都合で20時にお宅訪問。修理したパソコンを届け、セットアップ。
22時過ぎまで掛かったが、仕事は無事に終り、ありがたく工賃を頂く。アイスもご馳走になった。
労働収入がない日常があたりまえだったのに、今週2件も仕事を戴いた。
まだ、お助け仕事みたいなものなのでアルバイト程度の賃金だが、とてもありがたい事です。
大きな失敗もしていないし、先方にも喜んで戴けているので、とても充実しているし楽しいです。
皆さん、ありがとう。
心から感謝。