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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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午後、自転車で隣市の伯母宅へ。大掃除の手伝い。
久しぶりの肉体労働、いい汗をかいた~。

物を気持ちよいくらいに、どんどん処分!
カバンもどんどん捨てるぞーと言うので、『ちょーだい』と試しに言ってみたところ、リュックをくれた。大収穫
いつも使っている私のカバン、大きな穴が開いていて、かなりヤバかったの。その場で中身を移して、私のカバンを処分。

17時前に、大きなものの移動設置を終えて、収納の段階になったので、自分に手伝える事が無くなった。近所の従姉の家に寄って、用事を済ませて帰ろうと思って家まで行ってチャイムを押したが反応なし。
・・・2回目は押せなかった。

そのまま帰宅。


最近、とても悩む。
うつ病の人間との接し方。

私が以前にやっていたブログがあって、まだ毎日を鬱々と過ごしていたころの日記が残っている。
その中で
『うつ病が治るという事は、たぶん、うつ病である今の自分を忘れていくということ』
という自分の言葉が残っていた。

今思うと、私の中から当時の辛かった頃の記憶は薄れている。
でも、それを思い出し、共感してあげることが彼女に対して良いことなのか?

回復の途を少しづつだが歩み始めている今の自分は、やはり共感によって支えられたのではなく、同じように辛いながらも『人生』というものを耐えながらも生きている周囲の人間の言葉や情によって支えられてきたものだと・・・そうつくづく思う。

ただ、病気が辛いと言っているうちは、それを理解することなどできないのだ。残念ながら。
これは、経験上、痛いほどわかる。

うつ病の人間は、周りの人間が差し延べる手と情に気づき、自らの意思でその手にすがろうとしない限り、迷宮をさまようのだろう。でも、周りはそれを見守ることしかできないんだよね。
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9時過ぎに起床。
久しぶりに少し早く起きた。あいかわらず目覚ましは聞こえない。
起きてコーヒーを1杯。調子は悪くない。

今日は従姉が病院に行くと言っていた日。
ほんとうにちゃんと行けるのかなぁ~と心配しつつ、明日のオークション4回目の出品準備のため、出品物の紹介文や写真などの整理に精を出す。
14時過ぎあたりで疲れて一休み。

ほどなく、心配していた従姉の近況について伯母からメール。やはり行けなかったと。まぁ予想通り。
ここで愚痴っても始まらないが、従姉は『お姫様』にでもなったつもりだろうか?最近、約束事をすっぽかす。
予定を作って生活している周りの人間は、たまったもんじゃない。

うつ病だから寛容でなくてはいけない部分もあることは、自分も身を持って判っているが、少し人を振り回し過ぎている。本当なら、もう放っておきたいところだが、そうも行かない事情があって色々と難しい。


16時ころに出品を更に増やすべく別宅に移動。マンガ本の整理と写真撮影。
2時間ほど作業をして帰宅し、今回のオークションで落札された分の出荷作業。本を梱包し、コンビニまで持っていった。
これでやっと一段落。


それから急に調子がおかしくなり、横になる。でもソワソワして布団の上でもがく。
結局、起き出すも落ち着かず、ウロウロしたり、声を出してみたり。全然ダメ。
こういうときが たまにある。

今日は眠剤を飲んで、早く寝よう。
疲れた・・・。
調子が出ないなぁ~と横になったり、ボーっとしたり。
あれこれと色々やらなくちゃいけないと思い立って、起き出して、パソコンの前に座る。

でも何から始めて良いのか、何をすれば良いのか考えられなくて、ボーっとその場にたたずんでしまう。
そのうち疲れて横になる。30分くらいで、やっぱり起き出す。

なんだかおかしい。
天気のせいもあるかも。


ぐったり。
何もできなかった。
疲れた。
通院の日。

いやだ。
また、あの医者に逢うと思うと、落ち込む。

今日、自立支援の申請のために、診断書をお願いしてしまった。
これからまた1年、この医者かと思うと、落ち込む。
お先まっくらだ。


"鬱"のとき、寝たきりに近い状態で、16時間くらい横のままというときがある。そういうときは、やれやれと思って起きようとすると、頭痛が始まることが多く、それを医師に告げて、鎮痛剤を処方してもらうようにお願いした。

私:『"鬱"がひどいとき、眠りすぎて頭痛が始まっていると感じているんです。
医:『うーん、睡眠不足から来る頭痛はねー。よく眠ることが大事ですよ。
私:『私の実感としては、横になっている時間がとても長いので、そこそこの時間眠っていると思います。
私:『そろそろ動かないと・・・と思っても頭痛で動けないので、そういうとき鎮痛剤を服用したいんです。
医:『うーん、睡眠不足から来る頭痛はねー。鎮痛剤でどうかしようと思わないほうが良いですよ。
私:『眠っていると思っているんですが。
医:『眠りの質が悪いんでしょう。
私:『16時間横になって、頭痛がしてて動けなくても、じーっとしていろということですか?
医:『鬱の薬を飲んで、良く眠れるようになったら、自然に治るでしょう。
私:『私は、眠っていると思っているんですが・・・16時間も横になってるんですよ?
医:『鎮痛剤は効かないと思いますよ~。


・・・話が噛みあってない。
自分の『眠りすぎている』という実感を話しているのに、詳しい経緯を聞くことも無くそれを『睡眠不足』と真逆に決め付ける。まったく論理的じゃない。

そしてお決まりの

医:『じゃあ、薬はこれで宜しいですか?
私:『・・・それは私にはわかりません。

あのさ。患者の状況を聞いて、処方を決めるのはあんたでしょ?
とオレは言いたい。


こんな、いいかげんな医者だけど、患者はたくさんいる。
それが、どうも納得がいかなくて・・・。ひょっとしたら、医師は自分のときだけ、いいかげんにやってるんじゃないか?と考え出した。

考えても見ると、患者が座る椅子があって、これが肘掛けが付いたゆったり目の椅子なんだけど、これに片肘を付いて斜に構えてる姿勢が、横柄な態度に見えるのかな・・・と思い出した。

これは、自分では横柄に振舞っているつもりはなくて、習性なんです。
電車などでもそうなのですが、隅っこに着席して、尚、なるべく隅に行きたくて、その方向に身をよじって入れる感じで座ってしまいます。とにかく隅に行きたい習性があるらしい。
肘掛けのついた椅子だと、隅に身をよじると片肘が肘掛けに乗ってしまい、しかも身をよじっているので身体が斜めになる。

これが横柄に見えるのではないかと・・・。


とにかく、病院に行くたびに悩まされることが多くて、病院に行って落ち込むことが多くなってきた。
やはり、今の関係では良くないなと思う。
 今日は昼過ぎから荷物運びの手伝いをすることになっていたので、朝8時ころに一旦床に就いた。
11時過ぎに起床。

起きたら絶不調。
完全にうつ状態で、やる気が起きず、頭がボーっとして霞がかかったよう。
メール・ブログなど、文章がダメ。考えられない。
先日の漏水事故の件で、下の階の人から報告の手紙が入っていたのだが、それも返事を書くことができない。

そんな状態で約束の時間が近づいてきて、しかたなく自分を奮い立たせる。
まぁ、頭つかう手伝いではないし・・・なんとかなるだろうと、とりあえず無理やり家を出た。


気になることがあって、バスに乗り込む前に電話で事前確認。
土壇場で、出発を見送って自宅待機することに。
無理に奮った緊張がキレてしまい、家に帰るなり倒れてしまった。

16時過ぎに電話が掛かってきて、目が覚めた。『今日のお手伝いは中止』とのこと。
依然として、頭がボーっとしていて回復できてない。


規則正しい時間で生活することの重要さを痛感。
うつ病で仕事もせずに休養していると、『どうせ明日は何もないし・・・』と平気で夜更かしをしてしまったりするが、これが良くない。たいした事じゃないよ うにも感じるが、陽が出ているときに起き、陽が沈んだら休むという動物的な本能に逆らわないように、自然に生活を営むことがわりと重要なんだと思う。

うつ病になると、病気を盾にして自分を甘やかしてしまう。
もちろん、症状がひどいときは、それが必要悪であると思うが、ある程度回復してきたら、甘やかしすぎてはいけないという自覚がある。
周りの人の目には、うつ病の人を『怠けている』とか『甘えている』と言う。それに関わる人が『甘やかしている』という風に
映るかもしれない。それが必要なときもあるということに理解を示してあげる事も大切だけど、そこに居心地のよさを感じて過剰に甘えてしまう(甘やかしてしまう)と、それはやはり『甘え』以外のなにものでもなくなってしまうと思う。

私は、今は『甘えようとする自分を制する』という時期にあるんだと肝に銘じていきたい。
『なぜ仕事しないの?』
と知人は言う。

『なぜ仕事しないの?』
と医者は言う。


理解してない。
理解されたくもない。
理解できるはずもない。


私は 『死のうと思うことを止めた』 だけ。
でも、それは『生きたい』という意思とは違う。

今でも、生きたくない。
願わくば、なにもしたくない。


だから、仕事をしないといけないと思わない。
いずれ訪れる最期の時までの時間を、潰しているだけなのだから。
そのために必要なお金なんて無いんだから。
 
病院に行ってきました。
今は3週間おきに1回の通院です。

担当医は、もう顔も見たくない感じです。
今日はカルテに目を通しもしないで『どうですか?』と聞かれて、もううんざりです。

懸命に眠気をこらえているような顔で、めんどくさそーなオーラがビシビシ出ています。
こちらも、到底、心を割って話す気持ちにはなれないのですが、より効果的な処方を期待して、調子が悪かったときの症状などを話します。

が、結局処方は変わりません。
なんだか、馬の耳に念仏って感じです。


来月から長期で帰省を計画していることを話したら、ダメと言われました。
薬が21日分しか出せないとか。
『でも、以前は27日分、処方してもらったことがありますよ?』
とこちらが言わされる始末。

うんざりだ・・・。


あの医者に逢うことがなければ、薬を飲まなくても多少は調子が良いようにさえ感じられます。
もちろん、帰省は断行しますが、今後の通院は 少し真剣に考える段階に来ているような気がします。

悪い患者の例として『ドクターショッピング』なんて言葉がありますが、私にはそういうつもりはなくて・・・ただあの医者はヤブだと。そう私の直感が言っているのです。 
救える命
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