2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!			
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ずーっと弦を張ったままだったので、もうダメになってしまっているかも知れないのですが、東京で弾くことはもう無いだろうと思って、弦を緩めて片付けました。
音楽を聴いたり、演奏したり。楽しくて好きだった事は、病気になってから全く手が付かなくなってしまいました。
そういう気力が無くなったという事もあるけど、「楽しむこと」に対しての罪悪感があるのです。自分は仕事もしていないし、社会に対してなにひとつ貢献をしていない。そんな立場で、自分の好きなことをする権利などない思ってしまい、楽しいことも楽しめなくなりました。
うつ病が快復していく過程には、無気力で何も出来なかったところから、まずは自分の好きなこと、楽しめることが出来るようになるという事ですが、僕はいまだにそれが十分にできません。強い罪悪感から、何かに貢献するという事への焦りを生み、「為さねばならぬ」という事で気力を消耗してしまいます。
今年の初めにスキーに行けたのは、そういう意味ではとても大きな一歩でした。
初めて自分が自分自身を許した。「今まで頑張ったね」と労えた瞬間のように感じられました。それから、快復への道をようやく一歩進んだように思います。
先日まで上京していた父と入れ違いで、今度は母が上京してきました。
夕方5時ころから、近所のファミレスで食事をしながら、僕の病気の話、就活の話、通院の話、そして実家での近況の話など、お互いに絶えることのない話題。なんと6時間も居座ってしまいました。
昨年の11月に帰京してから、今まで約5か月ほど在京していますが、考えてみると、うつ病になってからこれだけ長い期間、在京をしたのは初めてかも知れません。それだけ東京と実家を頻繁に行ったり来たりしていました。
5か月間分、いろいろな話ができ、母の元気そうな姿と、僕の元気な姿を見せることができてよかったです。
ファミレスには迷惑をかけました。。。
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