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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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2009年も間もなく終わろうとしています。
12月31日の大晦日、岩国では雪が舞い、寒い風が吹き荒れています。
明日には我が家に身内が一同に集います。両親は来客と料理の支度に大忙しです。

「年越し派遣村」
絶望的とも思える社会現象で年を明けた2009年。奇しくもその年に「天下分け目の関ヶ原」を彷彿とさせる大イベントが国民の手に委ねられることになります。8月の衆議院選挙です。
国民は、この悪夢とも思える状況の転換を、新しい政権に委ねる判決を出しました。実に308議席という歴史的大勝劇は、国民ひとりひとりの願いの結晶であるといえるでしょう。それだけ国民は、世の中を憂い、良くなってほしいと願っているんだと感じました。

華麗なる新政権の誕生に、多くの国民は「革命の足音」を聞いているのかも知れません。しばらくは暖かく見守る、そう思っていても、それが許されないほど「日本丸」は末期的な症状を呈していました。そして追い打ちをかけるように、日本航空やデフレーション突入など・・・。この難局を乗り越えるために、国民は何をすべきなのか?



僕は療養生活5年目という節目に、漠然と「何かに挑戦する」という事を考えていました。それは同時に、すっかりバカになってしまった「頭の方位磁針」の方向修正をすることに繋げていきたいという期待があっての事です。

春、35歳の誕生日を迎えようとする直前に、そのキッカケが舞いこんできました。

34歳以下ならキャンペーン対象

35歳間近の34歳としては、思わずウズウズしてしまうような売り文句のそれは、自動車の教習所でした。こんな年齢まで免許を持っていないのはイマドキ珍しいですが、僕は自動車をはじめとしてアブラで動く機械には全く興味がないばかりか、むしろ嫌いだったのが理由です。
ところが、ここ数年間、岩国での生活に馴染んでいくうちに、自動車なしで買い物もできない苦労、そんな場所で万一、病人が出てしまった場合の必要性。そしてなにより、エンジンで動く草刈り機を、この手でアブラまみれになってメンテナンスするようになって、少しずつ抵抗感が無くなってきたのが助けになりました。

口座を分けて大切に預かっていた母からの生活援助金を使うのは今だ!と思い立って、駆け込み入所をしました。1カ月の集中通学で、めでたく一度のミスもなく免許発行となりました。
毎回違う教官が助手席に座りましたが、「ちゃんと運転できてるから、ほら自信もって!」と毎回のように励まされたことを昨日の事のように思い出します。5年前の「ある事」だけがキッカケだったはずなのに、あらゆる事に自信が持てなくなっている自分に気付かされました。でも、失墜の原因があらゆる事に波及したように、一つ一つの小さな自信の積み重ねが、喪失した自信を取り戻す種となることを信じます。

免許をとって間もなく、山口・大分・愛媛の瀬戸内縦横断ドライブツアーを敢行。それから、自分の視野が一気に拓けたような気がします。病気を発症したと思われる懐かしい仕事場へも赴いて、気持ちに一つのケジメがついた感じがしました。
少し足をのばして、上関原発問題で揺れている上関町、四代、祝島へも行くことができ、ついには人生初の海外旅行も経験することになりました。異なる地域でも、異文化でも、それに触れることは大変な刺激でした。特に異文化・中国での交流は、時代を知り、中国文化を知ることで、逆に日本に興味を持つようになりました。

日本の良さは何、良くないのは何。
比較対象があると、より鮮明になって解りやすくなる。こういう事はより多くの人に感じて貰いたいなぁと思った。


今年の夏は「総選挙近し」という機運だったので、東京の自宅に滞在して過ごしました。このとき、彼女が病気をこじらせて初めて「休職」にまで追い込まれてしまいそのケアに心を裂きました。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と励ましながら、少しでも食事をするようにして心配なときは一緒に居たりして。たぶん、彼女にしてみたら邪魔だったろうと思うけど、それが僕の彼女に対する愛情だから・・・。僕が両親に助けられたように、心のぬくもりを注ぐことしか僕にはできない。それ以前に「邪魔だからいなくなって」ってなるのかな。バカみたいな事をするのも、一緒に手料理を食べようと思うのも、彼女が幸せを感じ、ニコリと笑っていてほしいと思うから。いつか、彼女に伝わればいいなって信じる。


11月、辞めた会社の九州支部を訪れて、元同僚の方々をお会いできた。新しい社屋は広々していて仕事がしやすそう。活気が感じられなかったのは、人数が少ないせいかもしれない。
組織表は、僕が知らない名前がたくさんあって、もう僕の知るあの会社じゃないんだなーと思う反面、僕が命を断とうとまで追い詰められることになった責任のある人間は、躍進を遂げていた。

僕が病気になり、自殺を考え、仕事を続けられない身になった事が、まるで無かった事であったかのように・・・。

つらかった。


できれば会社の後輩たちと、一緒に協力して仕事ができればいいな・・・なんて楽観的な展望を持っていたけど、この事実は、会社が僕を否定し、存在をも否定しようという意思表示であると受け取った。元同僚は「もうこの会社とは関わらないほうがいい」とアドバイスをくれた。


振り返ってみると、どこに向かっているかは未だ定まらないような感じもするけど、「何か」を得るために行動ができるようになってきたような気がして嬉しい。来年は何かの実りがあるといいなと思う。


今年1年、たくさんの方々にお世話になりました。
皆様、良い新年をお迎え下さい。
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