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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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気力が出ない。何もしていないのに、ひどい疲れだ。

お腹は減るけど食欲がない。
食事を見るとウッとなり、食べた後に戻ってくることもある。
今の一日の中で、この食事の時間が最大の苦痛だ。

今ほど気力減退をしていない頃でも、「働かざるもの喰うべからず」の戒めがあって、食べるという事に罪悪感があった。今は「食べる事は生きること」という思いが、自分の希死願望に反応して、自己矛盾の思考ループに陥ってしまう。

はじめは、食卓にたくさんの食事が並んで、それだけでも辛かったが、最近は母が察したのか、だいぶ量を減らしてくれている感じ。でも食べたくない気持ちは同じ。

食卓にならぶ、牛も豚も鶏。きっと彼らの中には生きる喜びを感じていたのも居ただろう。それを殺めて、生きたくないと考える人間が生きるためにそれを食す・・・この不条理が僕にとってはたまらなく辛い。

両親はテレビを観ながら食事をする。このテレビも僕にとってはかなりキツい。
でも、別室で一人で食べるのも変だし我慢をしてその場に居るけど、顔面が引き攣ったり、目元や口元が痙攣してきたりするので、顔を洗うように、何回もゴシゴシやって筋肉を弛緩させる。


祖母が亡くなる前の事を思い出す。
元気がない祖母は食事ができずに衰弱していってしまい、少しでも食べて貰おうと周りはずいぶん苦労をした。でも今にして思うと、食事ができなかったわけではなく、暗に食べることを拒んでいたように感じることがある。おそらく、祖母はあの段階で、死を望んだのではないかという事が妙に共感できるのだ。


今、僕が率直に感じるのは、「万物の命を犠牲にしてまで、生きることに執着はないし、その資格もない」
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