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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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30歳のニートを抱えたらいくら必要か?(ゲンダイネット)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_neat__20080329_3/story/29gendainet05018413/

僕は、発病して失業をして丸3年。
さしたる収入もないが、幸いなことに仕事が多忙を極めていたために使えずにいた預貯金や、手持ちの物品を売ったりして、なんとか自立して生計を立てている。近しい人たちの経済援助をまったく受けていないわけではないけれど、僕はかろうじて「ニート」という段階には行っていないと思われる。

ニートやら、引き籠りやら、今の僕に限りなくふさわしい「俗称」があって、僕自身も「そうなのかなぁ」と思う時期があったけど、本当はどちらでもなく、やはり「療養生活」なのだと思う。
一般的なニートらの多くは、自分の好きなことをやって親のスネをかじっていたりするわけでしょう?未成年ならいざしらず、成人してそんなの「言語道断」だと感じる。

「働かざるもの、喰うべからず」

である。
僕は、「働いていない」という事に強い罪悪感、危機感があって、楽しむことができない。罪悪感があるから、楽しむ権利はないと思っているわけ。なにもしたくない・・・でもなにかしないといけないという焦燥感だけがある。だから、客観的に見て「引き籠り」に見えても、実態は微妙に違うんだよね。


療養生活は、やはり誰かの助勢なり配慮なりが無いと成立しない。しかし、当人が「やるべき事」「目指すところ」に、もがき苦しみながらも、なんとか進もうとする意識があり、周囲はあくまでそれを助けるという一線を超えてしまうと、それは単なる「甘やかし」にしかならない。いつしか、病気を治すはずが、ニートや引き籠りになってしまう事もあり得る話。
僕は「働かざるもの、喰うべからず」の意識をしっかりと持ち続けていたから、道徳的の線路を外れることなく居ることができたのだと思う。

療養生活の中で、周囲の大きな配慮にあまえ、いつしかまるで自分が「悲劇のヒーロー(ヒロイン)」にでもなったかのような錯覚を覚える人も少なくないと思う。こうなってしまうのは、当人自身の責任はもちろん大きいが、それに接する周囲の人間にも責任がある。
療養生活とはいえ、自立していない生活というものが、いかに特殊で、異常なことであるかという意識は、当人も周囲も持ち続けて、きちんとコミュニケーションをとりながら歩んでいかないといけない…とそう思うんだよね。
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