2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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昨日(7月10日)から引越しの片付けのため、伯母のマンションへ。
一気に作業をすすめて、居間にあったダンボールの半数弱を片付けた。
中身を80サイズ程度の小さい箱に移し変えて、大きいダンボールを潰していく。小さい箱で20個以上を梱包したが、それでもまだ半分に満たない量。
でも、大きな箱が明らかに視界から減っていく様子が、『片付いていってるな~』という実感をともなって、気持ちがいい。この調子で、どんどん片付けていこうと思う。
小さい箱は、今日伯母夫婦が30箱ほど別宅へ移送した。私は梱包に専念。
1箱10kg程度の重さ、もう70歳近い伯母夫婦、無理しないでと言ったのだが『無理しないと片付かない』と。
みんな、無理をしている。
僕も、不眠や倦怠感で精神的な不調は出ていたものの、とうとう昨夜あたりから本格的な喘息の発作がおきはじめた。
息が苦しいので、大きな荷物を運んだりといった運動が、かなりしんどい。
だいたい、寝る前から朝にかけて発作がひどくなり、昼には少し楽になる。それで、病院に行かずに騙し騙しやってきたけど、このまま放っておくと、これからの作業に差し支えるので、今朝、マンションの近所の内科に掛かってきた。
吸入を5分ほど。痰もキレるようになって、かなり楽になった。
それから吸入器を処方してもらい、精神的にも安心感が。これでまた頑張れそう。
夕方に荷物移送に便乗して送ってもらい、今度は精神科へ。
一日に2つの病院にいくなんて、初めてじゃないかなぁ~。
また明日、作業の続きです。
一気に作業をすすめて、居間にあったダンボールの半数弱を片付けた。
中身を80サイズ程度の小さい箱に移し変えて、大きいダンボールを潰していく。小さい箱で20個以上を梱包したが、それでもまだ半分に満たない量。
でも、大きな箱が明らかに視界から減っていく様子が、『片付いていってるな~』という実感をともなって、気持ちがいい。この調子で、どんどん片付けていこうと思う。
小さい箱は、今日伯母夫婦が30箱ほど別宅へ移送した。私は梱包に専念。
1箱10kg程度の重さ、もう70歳近い伯母夫婦、無理しないでと言ったのだが『無理しないと片付かない』と。
みんな、無理をしている。
僕も、不眠や倦怠感で精神的な不調は出ていたものの、とうとう昨夜あたりから本格的な喘息の発作がおきはじめた。
息が苦しいので、大きな荷物を運んだりといった運動が、かなりしんどい。
だいたい、寝る前から朝にかけて発作がひどくなり、昼には少し楽になる。それで、病院に行かずに騙し騙しやってきたけど、このまま放っておくと、これからの作業に差し支えるので、今朝、マンションの近所の内科に掛かってきた。
吸入を5分ほど。痰もキレるようになって、かなり楽になった。
それから吸入器を処方してもらい、精神的にも安心感が。これでまた頑張れそう。
夕方に荷物移送に便乗して送ってもらい、今度は精神科へ。
一日に2つの病院にいくなんて、初めてじゃないかなぁ~。
また明日、作業の続きです。
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昨夜は、2時前に就寝。1日おいたせいか導入薬の効きが良く、すぐに眠ったみたい。
しかし、朝5時半に目が覚めてしまった。
眠い・・・。
昨夜、伯母に"戦線離脱"の申し出をする。
お節介の虫が、結果僕にストレスを与え毎夜グチらせている。そして、そのお節介が相手に対しても負担を与えることになりかねないと思ったため、ここで身を引くことにした。
そのメールを昨夜のうちに打ったので、溜飲が下がった思いがしている。
少々慌しいが、来週には帰省をしようかという予定にした。
今朝、出品中のパソコンに質問が1件。
やったーと思ったのも束の間、質問は英語・・・。
怪しい・・・。
詐欺の匂いがする。
でも、手順さえ間違わず、入金を確認できさえすれば、結果オーライなわけだから、とりあえず乗っかってみることにした。どうなることやら。
しかし、朝5時半に目が覚めてしまった。
眠い・・・。
昨夜、伯母に"戦線離脱"の申し出をする。
お節介の虫が、結果僕にストレスを与え毎夜グチらせている。そして、そのお節介が相手に対しても負担を与えることになりかねないと思ったため、ここで身を引くことにした。
そのメールを昨夜のうちに打ったので、溜飲が下がった思いがしている。
少々慌しいが、来週には帰省をしようかという予定にした。
今朝、出品中のパソコンに質問が1件。
やったーと思ったのも束の間、質問は英語・・・。
怪しい・・・。
詐欺の匂いがする。
でも、手順さえ間違わず、入金を確認できさえすれば、結果オーライなわけだから、とりあえず乗っかってみることにした。どうなることやら。
眠れない。
異常に早く目が覚める。
目が覚めても身体が動かない。
日中の肉体労働と、精神疲労による睡眠障害のオンパレードで、どうにも調子が悪い日が続く。
でも、なんとか身体を動かすようにしている。
7月末まで引越しの片付けを手伝う予定だったものを、一身上の都合で大幅に変更。
来週くらいで、手を引かせてもらう『戦線離脱』宣言をして一夜明けた。
伯母から返事があり、了解をもらった。
先方は女系一家で男手が足りないし、御本尊もなかなか戦力に数えにくい状況。
老夫婦への負担が過大であることは、僕も十分わかっていて、最後までお手伝いするつもりだった。
ところが、従姉や伯母夫婦に対して情が深いあまり、一生懸命になりすぎて空回りしてしまう事や、為にと思えばこその行動、言動も、相手にとっては『余計なお世話』なのでは?と思いはじめてから、日常のストレスが日増しに増えていった現実があった。
気が付けば、タバコの本数は激増。体力が減退して喘息の発作。
手足は血が出るほどに掻き毟ってしまい、血だらけの"かさぶた"だらけ。
おまけに睡眠障害。
自分の中で、一歩一歩限界に近づいている実感と不安があった。
7月末までの、あと20日あまりの日にちは、この日常を繰り返すと思うと『永遠』とも思えるほど、長く過酷だった。
僕は、持たないと思った。これは、先日のブログでも弱気を晒している。
そこで、この永遠とも思える日程を短縮しようと思った。最大2週間。
動かない身体も、『あと2週間…』と念じれば、重いながらも動くようになり、しんどい仕事も、孤独な作業も、理不尽と思える言動も、『あと2週間…』と念じることで、耐えられる。
期限を切ったことで楽になった分、頑張れる。
誰もが『まだ1ヶ月ある』と思って、止まりかけていた時間も、薄れ掛けていた危機感も、僕の戦線離脱宣言を機に少し時計が回りだした。
『あと2週間…』で、解放される。
昨夜は、明け方まで寝付くことができず。
外が明るくなったころに、ようやく寝付いたが、8時のアラームに起こされる。
9時半くらいまだグウタラして起床した。
片付けの続き。
絵画2点をエアパッキンで梱包。作業スペースを作ったから出来たこと。
ようやく、箱が山積になっているところに手が届くようになり、箱を開梱していく。
どれも、本、本、本・・・。
置き場所もないのに、これを取っておくって・・・もう常識を超えている考えで理解不能。
恐らく一生読まないであろう事は、周囲の誰もが思っていることなのに。
午後から雨という話だったが、そういう気配さえ感じさせない晴天。
しかし、万一にも降られると困るので、13時前に退散し帰宅する。
昨夜の寝不足もあって、帰宅後、洗濯機を仕掛けてダウン。
19時過ぎまで起きられなかった。
外が明るくなったころに、ようやく寝付いたが、8時のアラームに起こされる。
9時半くらいまだグウタラして起床した。
片付けの続き。
絵画2点をエアパッキンで梱包。作業スペースを作ったから出来たこと。
ようやく、箱が山積になっているところに手が届くようになり、箱を開梱していく。
どれも、本、本、本・・・。
置き場所もないのに、これを取っておくって・・・もう常識を超えている考えで理解不能。
恐らく一生読まないであろう事は、周囲の誰もが思っていることなのに。
午後から雨という話だったが、そういう気配さえ感じさせない晴天。
しかし、万一にも降られると困るので、13時前に退散し帰宅する。
昨夜の寝不足もあって、帰宅後、洗濯機を仕掛けてダウン。
19時過ぎまで起きられなかった。
七夕ですね~。
"織姫"と"夏彦"が年に1度再会できる日とされています。"天の川"によって隔てられている両者は、年に1度、七夕の日に無数の"かささぎ"によって川に橋が渡り、再会できるのが七夕なのです。
天文の世界では、織姫は、こと座のベガで"織姫星"。夏彦は、わし座のアルタイルで"牽牛星"とそれぞれ呼ばれています。実際、2つの星は天の川によってさえぎられているように見えることから、七夕の逸話ができたのでしょう。
これらの星は、とても明るい星なので東京でも見えると思います。天の川が見えるところは、だいぶ少なくなってきてしまいましたが、逸話どおりの夜空を見られると、とてもロマンチックですね。
昨日のガックリ劇があって、やはり良い睡眠が取れず。5時ころにようやく就寝し、起床は11時前ころ。
でも、身体は動けそうで、天気も雨模様ではなかったので、片付けに出かけることにした。
淡々と進めていかないと、どうにも間に合わないのではないかと懸念している。今日も宿泊する可能性を考えて、薬などを常備して出発。
途中で腹ごしらえをして15時ころに現地に到着。昨日、箱詰めして整頓したものは荒らされて、近くには空き箱がいくつか棄てられていた。この惨劇を見ると気持ちが萎えるので、見ないようにして素通りし居間へ。
なにしろ詰め込み作業をするために十分なスペースも無い状況なので、まずはそのスペースを確保することが必要と思い、今の一角から地道に片付けていく。大変な量の"同人誌"。これらを機械的に箱詰めしていく。本やモノを動かすたびに綿ボコリが舞い上がり、気が付けば僕の靴下はモップ状態。
動かしては掃除機・・・で、なかなか効率が上がらなかったが、やっとの思いで1畳程度のフリースペースを作った。
言い換えると、宿泊する場合の寝るスペースが出来たということ。
18時過ぎに伯父が陣中見舞いに来た。御本尊は来ず。
様子を聞いたら、ネマキのままでテレビ見てるとか。
『起きてるなら良かったです』と答えたものの、内心は、もちろん釈然としない。
当人はテレビを見てゆっくり過ごして、無関係の僕が掃除・片付けに追われている状況、当人はどう思っているのだろうか?
19時ころにご飯を食べましょうと誘ってくれた。
とりあえず、フリースペースができた事で当初の任務は達成できたので本格的な作業は明日以降に回して、今日は軽く打ちあがった。日中、競馬に買った伯父がご馳走してくれた。
21時過ぎに現場に戻る。とりあえず疲れたので、できたてのフリースペースで仮眠。
23時過ぎに起きて、抗鬱薬を服用した。
明日は午後から雨模様になるという話だったので、早く起きて作業を始めて、午前中には帰宅したいと考えていた。でも、最近、不調で夜の寝つきが悪く、寝覚めも悪いので、とても自信がない。
早く睡眠導入薬を飲んで、寝る努力をしよう・・・と思ったら、なんと薬がない!!
忘れた!
・・・最悪だ。
最近、コレを服薬しても眠りが悪いのに。
遅い時間だけど、帰宅するか~と考えたが、チャットで会話していた母に止められて止める事に。
薬なしで、0時過ぎに引越し現場で就寝。
"織姫"と"夏彦"が年に1度再会できる日とされています。"天の川"によって隔てられている両者は、年に1度、七夕の日に無数の"かささぎ"によって川に橋が渡り、再会できるのが七夕なのです。
天文の世界では、織姫は、こと座のベガで"織姫星"。夏彦は、わし座のアルタイルで"牽牛星"とそれぞれ呼ばれています。実際、2つの星は天の川によってさえぎられているように見えることから、七夕の逸話ができたのでしょう。
これらの星は、とても明るい星なので東京でも見えると思います。天の川が見えるところは、だいぶ少なくなってきてしまいましたが、逸話どおりの夜空を見られると、とてもロマンチックですね。
昨日のガックリ劇があって、やはり良い睡眠が取れず。5時ころにようやく就寝し、起床は11時前ころ。
でも、身体は動けそうで、天気も雨模様ではなかったので、片付けに出かけることにした。
淡々と進めていかないと、どうにも間に合わないのではないかと懸念している。今日も宿泊する可能性を考えて、薬などを常備して出発。
途中で腹ごしらえをして15時ころに現地に到着。昨日、箱詰めして整頓したものは荒らされて、近くには空き箱がいくつか棄てられていた。この惨劇を見ると気持ちが萎えるので、見ないようにして素通りし居間へ。
なにしろ詰め込み作業をするために十分なスペースも無い状況なので、まずはそのスペースを確保することが必要と思い、今の一角から地道に片付けていく。大変な量の"同人誌"。これらを機械的に箱詰めしていく。本やモノを動かすたびに綿ボコリが舞い上がり、気が付けば僕の靴下はモップ状態。
動かしては掃除機・・・で、なかなか効率が上がらなかったが、やっとの思いで1畳程度のフリースペースを作った。
言い換えると、宿泊する場合の寝るスペースが出来たということ。
18時過ぎに伯父が陣中見舞いに来た。御本尊は来ず。
様子を聞いたら、ネマキのままでテレビ見てるとか。
『起きてるなら良かったです』と答えたものの、内心は、もちろん釈然としない。
当人はテレビを見てゆっくり過ごして、無関係の僕が掃除・片付けに追われている状況、当人はどう思っているのだろうか?
19時ころにご飯を食べましょうと誘ってくれた。
とりあえず、フリースペースができた事で当初の任務は達成できたので本格的な作業は明日以降に回して、今日は軽く打ちあがった。日中、競馬に買った伯父がご馳走してくれた。
21時過ぎに現場に戻る。とりあえず疲れたので、できたてのフリースペースで仮眠。
23時過ぎに起きて、抗鬱薬を服用した。
明日は午後から雨模様になるという話だったので、早く起きて作業を始めて、午前中には帰宅したいと考えていた。でも、最近、不調で夜の寝つきが悪く、寝覚めも悪いので、とても自信がない。
早く睡眠導入薬を飲んで、寝る努力をしよう・・・と思ったら、なんと薬がない!!
忘れた!
・・・最悪だ。
最近、コレを服薬しても眠りが悪いのに。
遅い時間だけど、帰宅するか~と考えたが、チャットで会話していた母に止められて止める事に。
薬なしで、0時過ぎに引越し現場で就寝。
たまーにだけど・・・
『うつ病 社会復帰』の検索ワードで、このブログに訪れる人が居る。
きっと、今まさに病気と将来の不安に駆られていて、安心の得られるヒントを探してさまよっているんだろうなぁ~と思う。残念ながら、このブログにはその答えはない。
僕だって、まだ社会復帰してないし。
ちょっと気が向いたので社会復帰の話。
僕は"うつ病"で、社会戦争を戦線離脱。また、この戦場に戻れるのかなぁ~って夢を見ている一人。
確証はないけど、同じ"うつ病"の人たちの中でも、僕は復帰が遅れているほうだと思う。
復帰までのプロセスは、色々とあるだろうと思うけど、『働きたい』と思って復帰する人よりも、『働かなくちゃいけない』と環境に迫られて復帰を果たす人のほうが多いのではないか。
実際、通院先の医師も『生活のために働かないと、仕方ないでしょう?』という言い方をする。
要は、復帰する気力が十分かどうかに関わらず、『金が無いなら働くしかない』という事を、病気の数少ない理解者でもあるはずの医師から言われれば、そうするしかないと思う人が多いという事。
まぁ、現実そういう事なんだけど。
ただ、『希死願望』のある人間に対して、そういうアシストの仕方はどうかなぁとは思う。所詮、医師といえども病気の辛さを知るわけでもなく、まして"うつ病"患者の増加で儲かって仕方のない状況では、『働けずに貧乏している』心境に同情できるはずもない。
僕の復帰が遅いのは、
●独身だったこと
●貯金がたくさんあったこと
●浪費癖がなかったこと
●家族(両親)が理解者となってくれたこと
●収入が無いなりに生活レベルを調整できたこと
●手に職(技術者)があったこと
というラッキーな要素に加えて、
●慎重であること
●理屈っぽいこと
●勇気がないこと
●劣等感が強いこと
●同じ過ちを恐れること
●技術者であることにしがみついていること
という性格的な要素が大きいと思う。
"うつ病"で休養期間を得られたときに、何に最もメリットを感じたかというと、『環境を変えるチャンスができた』ことだと思う。"うつ病"は、『環境不調』・・・つまり、自分と環境の相性が悪いという事なんだと思っているから。
病気と診断された頃、『何がそうさせたのか?』という事を自問自答する。
わかりやすい答え(というか極端)を求めて、人や事の善悪に思考がいく。
まずは、劣等感やコンプレックスが強いため、自然に『自分が悪い』という結論に到達してしまい、自分を責め続け、果ては自分を殺めたい衝動に駆られる。しかし、それに満足してくると、こんどは自分があまりにも惨めになり、守ってやりたくなる。結果として、自分の周囲・・・つまり個人、会社、環境などを責め、そして恐怖心を抱くようになる。
どちらが正しい、間違ってるというところに到達してしまうと、『変わらなくてはいけないのは、相手?自分?』という自問自答になる。こんなこと、自己解決しようたって無理ってもんだ。
自分が戒めたほうが良いと思うところは、戒めればいい。でも、無理に変わろうとする必要はないと思う。
世の中は、事の善悪だけみたいにシンプルには出来ていない。とても複雑だし、わりと適当だ。
等身大の自分が納得できる、そして受け入れてくれる環境。それを求めるということが"うつ病"の人に与えられる休養期間で、もっとも意味のある『薬』ではないだろうか。
凝り性な人、適当な人、それぞれに合った職場や社会環境ってきっとあると思う。
『相性が悪いところに、しがみつこうとしない』で、色々な環境に触れてみるのは悪いことじゃない。
家族や家庭環境の問題で"うつ"になってしまった人は、どう立ち直れというのか・・・。簡単に変えられる環境じゃないし。病気の治癒の度合いを『社会復帰』で量れる人は・・・僕も含めてまだ幸せなほうだと思う。
自殺を考えてしまった人も居るだろうけど、そこから抜け出した人が前へ一歩踏み出したときに『社会復帰』の像を夢見る。でも焦らずゆっくり行こう。一度、救った自分の命なんだから大切に行こうぜ、なぁ。
これは、僕自身へのメッセージ・・・。
『うつ病 社会復帰』の検索ワードで、このブログに訪れる人が居る。
きっと、今まさに病気と将来の不安に駆られていて、安心の得られるヒントを探してさまよっているんだろうなぁ~と思う。残念ながら、このブログにはその答えはない。
僕だって、まだ社会復帰してないし。
ちょっと気が向いたので社会復帰の話。
僕は"うつ病"で、社会戦争を戦線離脱。また、この戦場に戻れるのかなぁ~って夢を見ている一人。
確証はないけど、同じ"うつ病"の人たちの中でも、僕は復帰が遅れているほうだと思う。
復帰までのプロセスは、色々とあるだろうと思うけど、『働きたい』と思って復帰する人よりも、『働かなくちゃいけない』と環境に迫られて復帰を果たす人のほうが多いのではないか。
実際、通院先の医師も『生活のために働かないと、仕方ないでしょう?』という言い方をする。
要は、復帰する気力が十分かどうかに関わらず、『金が無いなら働くしかない』という事を、病気の数少ない理解者でもあるはずの医師から言われれば、そうするしかないと思う人が多いという事。
まぁ、現実そういう事なんだけど。
ただ、『希死願望』のある人間に対して、そういうアシストの仕方はどうかなぁとは思う。所詮、医師といえども病気の辛さを知るわけでもなく、まして"うつ病"患者の増加で儲かって仕方のない状況では、『働けずに貧乏している』心境に同情できるはずもない。
僕の復帰が遅いのは、
●独身だったこと
●貯金がたくさんあったこと
●浪費癖がなかったこと
●家族(両親)が理解者となってくれたこと
●収入が無いなりに生活レベルを調整できたこと
●手に職(技術者)があったこと
というラッキーな要素に加えて、
●慎重であること
●理屈っぽいこと
●勇気がないこと
●劣等感が強いこと
●同じ過ちを恐れること
●技術者であることにしがみついていること
という性格的な要素が大きいと思う。
"うつ病"で休養期間を得られたときに、何に最もメリットを感じたかというと、『環境を変えるチャンスができた』ことだと思う。"うつ病"は、『環境不調』・・・つまり、自分と環境の相性が悪いという事なんだと思っているから。
病気と診断された頃、『何がそうさせたのか?』という事を自問自答する。
わかりやすい答え(というか極端)を求めて、人や事の善悪に思考がいく。
まずは、劣等感やコンプレックスが強いため、自然に『自分が悪い』という結論に到達してしまい、自分を責め続け、果ては自分を殺めたい衝動に駆られる。しかし、それに満足してくると、こんどは自分があまりにも惨めになり、守ってやりたくなる。結果として、自分の周囲・・・つまり個人、会社、環境などを責め、そして恐怖心を抱くようになる。
どちらが正しい、間違ってるというところに到達してしまうと、『変わらなくてはいけないのは、相手?自分?』という自問自答になる。こんなこと、自己解決しようたって無理ってもんだ。
自分が戒めたほうが良いと思うところは、戒めればいい。でも、無理に変わろうとする必要はないと思う。
世の中は、事の善悪だけみたいにシンプルには出来ていない。とても複雑だし、わりと適当だ。
等身大の自分が納得できる、そして受け入れてくれる環境。それを求めるということが"うつ病"の人に与えられる休養期間で、もっとも意味のある『薬』ではないだろうか。
凝り性な人、適当な人、それぞれに合った職場や社会環境ってきっとあると思う。
『相性が悪いところに、しがみつこうとしない』で、色々な環境に触れてみるのは悪いことじゃない。
家族や家庭環境の問題で"うつ"になってしまった人は、どう立ち直れというのか・・・。簡単に変えられる環境じゃないし。病気の治癒の度合いを『社会復帰』で量れる人は・・・僕も含めてまだ幸せなほうだと思う。
自殺を考えてしまった人も居るだろうけど、そこから抜け出した人が前へ一歩踏み出したときに『社会復帰』の像を夢見る。でも焦らずゆっくり行こう。一度、救った自分の命なんだから大切に行こうぜ、なぁ。
これは、僕自身へのメッセージ・・・。
朝は8時半過ぎに起床。
天気が良かったので、すぐにでも引越しの荷造りの手伝いをしに出ようかと思ったが、昼過ぎに出ることにして午前中は休むことにした。
しかし、時間が経つにつれて、どーも調子が悪化していく。
とうとう11時ころにダウンした。起きたのは14時過ぎ。
まだ、行こうと思えば行けると思い、気力を高めようと努力したけど、刻々と時間だけが過ぎていき、とうとう諦める。
18時に再びダウン。起きたのは20時過ぎ。
抗鬱薬を服薬して、21時過ぎに外に食事をしに出る。
帰りに買い物をしにいくつもりで、買い物袋も持って出ていたのだが、店の間近まで行ったものの、どういうわけかアタマが重くなり、引き返して帰宅した。
精神的にとても不安定。
夜中0時を過ぎたあたりから、ようやくアタマが冴えてくるが、ブログのようなダラダラした文章がせいぜいで、メールのようなキッチリした文章は未だ書くことができない。
思考が従姉の事と、「元気に百歳」クラブの事の2つに大きく支配されて、とても疲弊している。
前者は、まったく理不尽との闘いだし、後者は金銭の授受があるようになってから非常にやりづらくなったし、協力したらお金の話になりそうで、あまり積極的に協力したくなくなった。
私は、何事にも一生懸命に、情熱を持って取り組んでしまう。もっと楽な気持ちで・・・思うのだけど、不器用なんだろうね。それができない。相手がそれを求めていない、受け入れられないと感じたとき、私の行動も言動も相手にとっては単なる『要らぬ親切』だし、自分も虚しいだけ。
今、現実 とても生きづらい。
どちらも年内には清算して、楽になりたいと思う。
天気が良かったので、すぐにでも引越しの荷造りの手伝いをしに出ようかと思ったが、昼過ぎに出ることにして午前中は休むことにした。
しかし、時間が経つにつれて、どーも調子が悪化していく。
とうとう11時ころにダウンした。起きたのは14時過ぎ。
まだ、行こうと思えば行けると思い、気力を高めようと努力したけど、刻々と時間だけが過ぎていき、とうとう諦める。
18時に再びダウン。起きたのは20時過ぎ。
抗鬱薬を服薬して、21時過ぎに外に食事をしに出る。
帰りに買い物をしにいくつもりで、買い物袋も持って出ていたのだが、店の間近まで行ったものの、どういうわけかアタマが重くなり、引き返して帰宅した。
精神的にとても不安定。
夜中0時を過ぎたあたりから、ようやくアタマが冴えてくるが、ブログのようなダラダラした文章がせいぜいで、メールのようなキッチリした文章は未だ書くことができない。
思考が従姉の事と、「元気に百歳」クラブの事の2つに大きく支配されて、とても疲弊している。
前者は、まったく理不尽との闘いだし、後者は金銭の授受があるようになってから非常にやりづらくなったし、協力したらお金の話になりそうで、あまり積極的に協力したくなくなった。
私は、何事にも一生懸命に、情熱を持って取り組んでしまう。もっと楽な気持ちで・・・思うのだけど、不器用なんだろうね。それができない。相手がそれを求めていない、受け入れられないと感じたとき、私の行動も言動も相手にとっては単なる『要らぬ親切』だし、自分も虚しいだけ。
今、現実 とても生きづらい。
どちらも年内には清算して、楽になりたいと思う。