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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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両親は昨夜、僕が乗ってきた夜行バスに乗って帰宅の途につきました。母は短い東京滞在でしたが、今回は日程も短かったため友人などとは約束をしてこなかったようで、時間を持て余してました。
今回、初めて安い夜行バスに乗車した父がカンシャクを起こすのではないかと心配でしたが、「悪くないようよ」と母からメールが届き一安心。たらふく飲んだ後にトイレのない長距離バスに乗車したので、途中でもよおすんじゃないかと気がかりでしたが、無事にクリアーしたようです。

帰京の折、母がこっそりと生活資金を援助してくれました。そして昨日は父が。
ほんとうに両親、兄弟に済まないという気持ちで一杯。はやく就職をしてみんなに、そして自分自身も安心をしたいという一心なんだけど、母に言われた「あなたはまだ働けない」という一言が、僕にとっての唯一の客観的評価。
それは重く受け止めないといけないなと思う。仕事を辞めた時と同じように焦りの勢いで就職ってこともありえなくもないけど、こんど足を踏み外したらどうなるだろうかって事はよくよく考えなくっちゃいけないことだ。

もう少し図々しく生きられれば、多少の挫折にも強くなれると思うんだけも。
今を生きられないと将来もないので、個人年金などを精算して当面の資金繰りをしながら時間を稼いで、フリー稼業の準備をしてみようと思う。それに際して「屋号」を変えてみようと思案中。その前にホームページの骨組を完成させないといけないんだけど、なかなか手につかないんだな。
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帰京する前に、「土曜日にお土産を渡しに行くからね」と彼女に伝えてあったんだけど、昨夜にメッセンジャーで「来ないでくれ」と連絡があった。僕が帰省している間、ずっと状態が良くなかったのは知っていた。それ以前も悪かったので、(会っていないからよくわからないけど)悪化している様に感じる。

顔を出せなくても、届けてドア傍に置いておくからといっても「気になって休めない」と。気持ちは解らないでもないけど、ちょっと異常な感じさえする。

僕もよく経験するけど、「失語症」のようにスムーズに言葉が出てこないみたいだったので、メッセンジャーでもあまり難しい会話をしないようにした。本当は話したいことがたくさんあったけど、気が向いたときに彼女がこの日記を見てくれれば気持ちが伝わるといいなと淡い期待を持って書いてみた。

彼女が今も勤める会社は、僕が勤めていた会社で内面、人という意味ではとても良い会社です。僕はこの中で20歳から11年間勤めていました。自分を拾ってくれた会社に対する「御恩」に対して誠意を尽くし、通すことは僕の「美学」でもあり、一生懸命に働いて「奉公」を尽くし続けたつもりでしたが、過労と重なり「裏切り」にも似た会社の仕打ちに自分自身の精神が破たんをしてしまい、あるとき身体がストライキを起こしました。
起きようと思っても身体が動かず、起きられても電車に揺られて会社に近づくにつれて身体に震えが起き、駅から会社までの徒歩の足が前に進まない状況でした。なんとか職場に着いても、頭が回転せず仕事にならず、精神安定剤を飲んでもボーっとしてしまい結局仕事にならない。

自分はプロとしての責任を全うできないと悟った時、仕事を辞めるという選択肢しか頭に浮かびませんでした。「設計」という頭脳が資本の仕事でしたから、鬱という状態ではどうあがいても本領を発揮できない・・・という以前に仕事として成立しません。この職種と鬱病は折り合いが付きにくく、選択肢が限られるという点では非常に不幸でした。


社会人になって、1つの会社の中しか見えなかった「社会」。だけど、キッカケはどうあれ、そこから抜け出して忙しくてロクに関心を持てなかった日本という国や色々な企業、人間。視界が一気に広がって、自分がいかに「井の中の蛙」であったかを身を持って知った。同時に、内面しか見えず、ただひたすら信じて邁進してきた元職場を客観的に見るようになって、組織、企業としてのずさんさ、在り方の問題など、見えなかった部分がハッキリと見えるようになりました。

僕はなりゆき上その職場を辞めざるを得なくなって辞めたけど、結果として、一生を捧げるに値する会社ではなかったという事を知り、それはラッキーでした。


彼女はそんな職場で、自分の生きる道、生きる甲斐を見出しているつもりかもしれませんが、心身もプライベートもすでに破綻に向かっているのです。彼女に必要なのはとにかく「休養」。
僕は再三にわたって「休職」を促していますが、それに彼女は聞く耳を持ちません。一度、僕のように「廃人」のようにブッ壊れてみないと理解できないのかも知れませんが、僕と同じテツを踏んでほしくはないのが本音です。休職をすれば、責任放棄をしたかのような錯覚で自分を責めて辛い時期もあるだろうけど、時間が心身を癒し、同時に視野は広がるでしょう。また、精神障害に対しての認識が立ち遅れている会社にとっても、そういう実例が重要な糧にもなる可能性があります。

自分が尽くしたい会社に長く勤めて職責を全うするために、ここはひとまず一歩「退いてみる」と言う事が如何に重要なことであるかを知って貰いたい。


このまま無理をすれば彼女に待つのは悪い結末である事を思うと、辛くて辛くて仕方がない。彼女が生きたい道は、一歩下がった先にあるという事を、僕は彼女に伝えたいんだ。
約12時間の長距離バスを降りて、ひさしぶりの東京・新宿です。
寝不足の目には痛い朝日がお出迎えしてくれました。

夜行バスで母がリラックスできるかを心配していましたが、その心配をヨソに隣で大イビキをかいて、他の方のイビキの大合唱をしていました。母は実家に居るときは、マッサージチェアで昼寝をしている事が多くて、椅子に座って眠ることには人一倍慣れているうえ、この夜行バスはシートがかなりリクライニングするのです。(最大150度)

しかし、耳にイヤフォンを入れている母は、果てしなくいびきが大きくなっていくので、隣に居る僕が、ときおり鼻をつまんでやると「ガッ」といって・・・起きるのか?と思いきや、起きずに静かになります。


新宿で軽い朝食をと、西武新宿駅前のマクドナルドに入りました。
3回の喫煙スペース。すると、お水系の人の仕事明け(お持ち帰り)っぽいのと、夜を過ごしたと思われる若者が10人足らず。目の前に座っていた男2人と女性1人。女性は壁にしなだれるように寄り掛かって寝ていた。

これが、いわゆる「難民」ってやつかー。はじめて見ました。

男2人は友達のようだったけど会話もなく。ポツリと「喋ると腹へるから」と言ったのが聞こえた。


モンスターシティ「TOKYO」の縮図を見たような、そんな気持ちになったね。
まさか朝から目を覆いたいような現状にまみえてしまうとは思いませんでした。母と「日本の将来、どうなるのかねー」なんて会話をしてました。


新宿・台場・東京。ビルや大型商業施設が立ち並び、TOKYOブランドを演出しているけど、それは着飾っているだけ。現実の壁に阻まれる多くの若者が、「難民」となって泥にまみれるような生活を送っているんだ。
もう間もなく、帰京のため実家を出発です。
たまたま東京に用事がある母と一緒に夜行バスで帰京します。父は今朝、ひとあし先に帰京してもう着いたようです。


草刈り機が動かなくなってしまいました

立つ鳥、後を濁して帰京しまーす。


自宅に残した捨て忘れた生ゴミ。部屋がどうなってるか心配です。
あと、階段当番の引き継ぎも。。。
ついにこの日が来たという感じです。

日経平均がバブル崩壊後の安値を下回る7162円で取引を終えた。これは実に26年ぶりの安値である。

最近の新聞では1面で金融不安の話題が踊る。まったく縁のない人でも事態がどれほど深刻さを増しているかは解るだろうと思うし、そのロジックがどうなっているのかも易しく丁寧に説明されている記事もある。

※日経平均

まず日経平均というのは、公開株式市場(つまり一般人でも自由に売買ができる株式)に上場している多くの企業のうち東証一部という優良な企業の中でも特に取引が活況であり、さまざまな業種の実体経済全体の標本となりうる条件を揃えた225社の株価を平均したもので、正確には「日経225平均」と呼ぶ。選定企業は企業業績や実体経済の変化に応じて適宜入れ替えられる。
 
つまり、日経平均というのは数多くある企業の、いわゆる有名企業のほんの一部の株価が対象であり、日銀から発表されるような「日銀短観」と言われるものも、そういった最大手を対象にしたものである。


ところで、僕が今日記しておきたいのはそんな事ではなく、銀行の増資と公的資金注入の話である。

裏話だが、今日の昼。父あてに某銀行から「ウチは増資をするので(株価があがるから)買ってくれないか」と持ちかけられたらしい。父はキッパリ断ったので安心したが、こりゃ見ようによっては完全に「インサイダー情報」じゃなかろうか?ともあれ、ダメージが少ないと言われてきた邦銀も資金繰りに追い詰められているのは現実らしい。


しかしだ。同情の余地は一切ないと断言する!


増資はどれほど応じる人がいるかは知らんが、公金注入などもってのほか。
日本は中小企業、つまり先にあげたような大手の下請け・孫請け・・・・の会社がオーナー企業に叩かれ叩かれ、無名でも日本の牽引役としてがんばっている小さな会社によって支えられているのだ。それに金を「貸し渋る」、「貸し剥がす」銀行は、たとえ増資をしたところで、それを止めようとはしないだろう。

一般人に置き換えると、つまりは増資・公的資金で得た特別収入は、自分の将来のために貯金するのである。

運転資金を融通して貰えない企業は、社員と会社を守るために高利貸し(反社会勢力)の金に手をだし、最悪は破綻をする。そういう構図を生み出すのも、結局は銀行が発端であり、このような不景気が囁かれる中でむしろ頑張ってもらわなくてはいけない中小企業に引導を渡していくのも銀行だ。


皆さんが貯金をしているお金。
有効に運用されているかと考えたことがありますか?
破綻しそうになった会社に税金が使われるなんて話は聞いたことがない。それをなぜ銀行だけが許されるのですか?
おかしいと思ったことはありませんか?

銀行はさまざまな決済や口座振替のサービスを使う上で必要だとは思いますが、全てを貯金ではなく、日本全体が元気になるような「お金の運用」と使途のありかたを、色々な人に考えてほしいなぁと思います。


だいたい余剰資産の3割までは「投資」という形にして運用すればバランスが良いと言われています。自分が応援したいと思った会社で良いんです。今は株式が非常に安くなっていて「底なし状態」ですが、新しく株式を購入する「証券口座」を用意するまでの期間は様子を見るに十分な期間になるでしょう。

余剰資産を銀行・郵便局にあずけている方は、よく考えて欲しいです。。。日本の経済と将来のことを。
そして矛盾に満ちた銀行のありかたを。。。
退職前の1年くらい前から、退職後の辛く長い日々、苦楽を共にしてきた愛機"Panasonic CF-R3"(写真右)。B5サイズのかわいいやつです。会社を辞めたのが2005年ですから、もう足かけ5年弱も頑張ってくれているんですね。

2度ほどハードディスクが致命傷に陥るなどしましたが、延命措置をしてなんとか生きながらえています。写真のように隣のパソコンと比べても画面が暗いのが解ります。バックライトにもそろそろ寿命の時が近いのかもしれません。

新しいのを買うお金もないので、なんとか頑張ってもらわないといけないのです。。。これからも頼みます。わが分身


それで、写真の左側にあるパソコンなんですが、こちらは現愛機の前に使っていた旧愛機"SONY PCG-U3"です。
第1期サラリーマン晩年は現場出張が多くて、出先で納品物のチェックなどはもちろん、書類を作成したりメールをしたりと僕の仕事柄、パソコンはどこに行くにも必需品だったのですが、当然出張ともなれば、着替えやら工具やらも持たなくてはならず、なにより現場は狭いことが多い (車の助手席でワープロ打ってたり・・・)

というわけで、小型軽量を追求した結果、この愛機に辿り着きました。現愛機がB5版ですから、どれほどの小ささかはお解り戴けるでしょう!表示される文字の大きさもわずか2~3mm程度で、下手すりゃ携帯の文字より小さいですが、幸いまだ老眼ではないのでハッキリ読めます。


現愛機を酷使してきましたが、これからは旧愛機を現役復帰させて用途を分散して休ませてやろうと思います。しかし、もう6~7年前の、しかもモバイル機種なので、仕事が遅い遅い スパイウェア監視ソフトを常駐させただけでタスクが100%に達する始末で、さてどう使うかという感じですが、これから頑張って貰いますよ~
今朝は少し寝坊をした。今月はちゃんと起きられない日が多い。

先日母が、知人でもう齢70を超える方なんだけど、使ってるワープロの調子が悪くなって娘さんにパソコンを買って貰ったものの、どうしてよいやら困ってるという相談を持ちかけられたらしく、「そういう事ならウチの息子がやれるよ」という話の流れになって、僕のところに話が回ってきた。
先週の月曜日にお宅訪問をする約束になっていたんだけど、動くことすらできないという最悪の体調に重なってしまいお断りしてしまった。今日はそのリベンジ。

さんざん迷子になって、約束の時間を少しオーバーして到着。
調子が悪いというワープロを診てから話の経緯を聞くと、もうだいぶ古い機械なのでメーカーも面倒を見たくないという意図が見えるような話。だからと言って、「今の時代はパソコンなんだから」と急に言われても、70歳を超える御高齢じゃあ、いくらなんでも酷な話だよ。。。

ただ機械が年代物で、いつダメになるか分からないのも現実。少しずつパソコンを覚えて貰って、そこに面白さや興味が出てくれば、ワープロをパソコンに置き換えてみようという気持ちにもなるかもしれないし、まずはワープロには無かった「マウス」の操作に慣れてみましょうね、という事でトランプゲームを教えて今日はおしまい。

ワープロは預かって帰ってきた。明日メンテナンスしてみようと思う。


「百歳クラブ」でパソコン教室に参加したり、御高齢の方々と接した経験が役に立った。本当は何週間もかけて、ひとつひとつ、ゆっくりと教えてあげたいんだけど、残念ながら僕は来週帰京です。
救える命
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