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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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今朝は8時半ころに起きることができた。

調子が悪くなった頃から、生活にどんな変化要因があったか、いろいろ考えてきたけど、ひとつ大きな変化を見落としていた。


コーヒーを飲まなくなっている。


なるほど、と思い当たる。
それまでは、目覚ましに朝コーヒーを飲んで、日中は10杯くらい飲んでいた。

これは仕事をしていた頃からの習慣で、仕事柄、考えているだけで眠くなってくるのを防ぐのに、コーヒーかコーラか、とにかくカフェインをひっきりなしに入れていた。

コレだ! と思って、今朝久しぶりにコーヒーを入れた。



うまい



そして、なんと、起きていられるようになった。


うつ病にはカフェインは、宜しくないと聞いたことがある。
カフェインは依存性があるのと、寝る前に飲んでしまうと、より眠れなくなる。など、あまり良くない効能があるからだと思う。
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今日はひどい一日だった。

朝、起床してパンを食べて、いつものように「お小遣い稼ぎ」の日課をしようと思い、パソコンを起動して待っているうちに、気持ちがズンズンと沈み、座っていることさえ辛くなった。

それで日課はあきらめて、そのままソファに横になった。

それから、10時間。

喰うも飲むもなく、ひたすらに横になっていた。
眠りにつくこともなく、腰や首が痛くなってくる。腹もへってくる。
それでも身体が重くて起きていられない。

夕方5時過ぎたころに、ようやく身体の自由がきくようになり、カレーを食べた。


今日の日中は、まさに木偶の棒というにふさわしい状態で過ぎた。


気が重い事や、慣れない事が続いていたことがあって具合が徐々に悪化していたのはなんとなく実感があったけど、ここまで悪かったのは久しぶりだ。


今日から父が上京。
週末に彼女の故郷で秋祭りの予定だったけど、彼女の具合も思わしくなく欠席することになった。
東京の最高気温は27℃だったそうで・・・たしかに涼しいかった。

記憶がグチャグチャになる。
これが結構の頻度で起こる。医者に聞こう聞こうと思っていて忘れる。痴呆だ。

昨夜、0時過ぎに床に就いたが眠れず、1時半だったか2時だったかに起きて、パソコンをやった気がする。
いや、たしかにやった。
それで、誘眠薬を追加投入して効きを待ったんだった。

その後、眠くなってきた気がして再び床に就いたけど、やはり眠れなくて、長い長い夜を過ごして、そのままやがて外が白々としはじめた。7時になって目覚ましが鳴ったので起きた。

打ち合わせ資料作りに、半日を費やして終わらせた。

書類を上げてみると、だいたい伝えるべきことは書類で伝わりそうなので、わざわざ招集されて行くまでもないかという気になった。議論があるならそれはクラブがすることで、僕にはその余地はないし。事務的な手続きもすべてネットで終わるし。

皆さま昼食がてら集合されるらしい。
僕は外食するほど余裕はないので断った。打ち合わせに行く交通費にしても外食費にしても、ついつい「節制したら何日食べられるか」と考えてしまう。逆に相手はそんな事、まったく考えないのだろう。

そういうギャップが辛いし、考えてしまう考えざるを得ない自分も嫌だし、もうそういう付き合いが正直辛い。
ただ、ボランティアっていうのは「労力の奉仕」だと潔癖に考えていたけど、現実は身銭を切るって事なんだな~という事が知れたのは勉強になった。金がないとボランティアもできないとは嫌な世の中だ。
計算どおり行けば、今日は9時台に起床できるはずだったのに、目が覚めたときには10時過ぎだった。
また3日前に逆戻り。

それでも日中は悪くない。
以前は、パソコンにかじりつくような生活をしていたけど、電力の大きい(なるべく省エネで設計したけど)パソコンに電源を入れる時間を短くしようと考えてから、できるだけ電源を切って、今は昼寝か読書をして過ごす。

今日は1カ月ぶりの通院の日。
普段は、すごく気が重いのだけれど、今日は不思議といつもの圧迫感がない。ほんとうに不思議。

読書ができるようになった事、健康診断を受けた事を話した。

今日は、なるべく話をしようと思って診察に臨んだ。普段どおり、終始眠そうな医師だったけど、
「身長が5ミリも伸びてましたよ~」と明るく話したら、医師が笑った。
4年弱も掛かっている医師だけど、医師の笑顔を初めて見た。。。眠そうに笑った。

夜の寝付きが非常に悪くなったのが、ひょっとしたら読書を楽しむようになった頃かもしれないという話をしたら、「それは大いにありえる」と答えが返ってきた。就寝のときに、読書に夢中になって寝られないという事ではないんだけど、使っていなかった脳みそを急に動かすようになったので、興奮状態になっているかもしれないと。

眠った頭が覚醒してしまうと、あとは身体を動かして疲労感を作ったほうが良いですというアドバイスを受けた。読書で頭を起こす分、興奮を冷ますように発散をする。それが大事らしい。

僕は運動がキラいなので、なんとも難しい課題にぶつかってしまった。

ボランティアでお手伝いをしていた仕事を整理することになり、引き継ぎをすることになった。
大変お世話になったので僕にとっては辛い辛い決断だった。

方向性が変わってしまった・・・というか、初めは確かにあったはずの方向性が無くなってしまったと感じたときから、僕はとても苦しくなった。一部隊が列をなして歩いているとき、先頭の人に「目標はない」と言われたくらいの失望感があった。

ビジネスではなくボランティアなので、その原動力は「志」によって生まれているのであって、これが切れてしまった以上は動けない。また、僕は部外者という立場上、リーダーシップを発揮できない立場で、この道に迷った部隊を導く権限もない。是正を求める立場にもない。

一定の責任は果たしたので「ここが引き際」だと悟った。

このお仕事は、これでスッパリと止めて見ないように関わらないようにして、よっこらせと荷物が降ろせる日が近いので、心なしか楽になった。ただ、引き継ぎまでに資料を用意しなくてはならず、それは大変だ。
でも、最後のご奉公と思って頑張ろうと思う。
選挙カーがほとんど回ってきません。
ウチの近所の地域は捨てられたんでしょうか。

テレビ・新聞では、「民主が300超」「民主が330議席」などと、まるで数の多さを競うような報道で大変な騒ぎですが、それに惑わされないようにしてほしいです。

「こんなに勝たせていいの?」と考える抑止力になるという意味では良いと思いますが、多数派の捉え方はどうなんでしょう? やはり勝ち馬に乗ろうと同調してしまう人が多いんじゃないかなって思います。

報道がバカみたいに「政権選挙」というものだから、すっかりその体になってしまいました。

自分の選挙区からの立候補者の誰が支持に値するかが全てのはずで、政権交代はあくまでその結果であります。「政権交代」ありきでの投票は、それは順序が逆であり、前野党の戦略にハマっているだけのことです。

期日前投票をした人が、前回の1.5倍(300万人超)になるとか。
これだけ戦局が不透明な選挙、できるだけ情報を得てから、一票を投じたいと思う自分にとっては、信じられない事です。なぜ、この時点で決められるの!?と、ただビックリします。

今、僕が感じるのは、「合わせて6匹のキツネとタヌキ、どれを信じる?」という感じで、答えは「どれも信用に値しない」というところでしょうか。

幸福実現党という怪しい政党は、ものすごい数の立候補者を立てていますが、なにかの間違え(組織票)で当選する人が出るのを恐れますね。伯母と話をしたときに、「オウム真理教が出馬したときの事を思い出す」という話になって、まさに!と思いました。

毎日、政見放送を見ています。
「公僕」

好きな言葉ではないけれど、

政治家、公務員

いま一度、その意味に理解を深めてもらいたい。


公務員は「雇用条件・収入が安定した職業」で、不景気の中では給与まで優遇視されるようになり、いつしか、必ずしも「使命感」が選択肢ではなくなってしまった。

僕は、政治家も公務員も、給料をもっともっと下げたほうがよいと思う。
少なくとも、民間よりも低く。その変わり、安定は保証する。


国に尽くす仕事として、一番大切なのは、スキルではなく愛国心使命感だと思う。

「それほど割の良い仕事じゃない」っていう環境づくりは、早急にやったほうがいい。


給料が悪いと良い人材が集まらないっていう側面もあるけど、そうかなぁ?

(ズル)賢い、売国奴みたいな人が、どんどん上にのし上がって、今の国をダメにしているような気がします。
ほんとうは、どうなの?
(原子力問題のウソ・マコト)
上坂冬子著

初めての原子力発電の国内計画を担った要人たちとの対談記事をまとめたもので、比較的読みやすかった。

まえがきに「筆者は中立・客観的」とあり、本のタイトルも疑問を暴くかのようなものだったので、自分が持つ矛盾の解決の助けにならんかと読んでみた。

が、筆者が客観的であるのは、あくまで政治内部の話であって、世論に対して中立とは思えない内容。完全なる推進論者であるし、色々と調査した割には、筆者が引っ掛かっている2、3の事に対しての執着が見て取れるような文章の傾向がある。

「ほんとうは、どうなの?」
は、筆者の目から見た、そのこだわりの部分を指しているように思えるけど、疑問点はもっと多角的にあったはずだと思うと残念な本だ。


中曽根さんといえば、僕が学校で「社会科」なるものを学んで初めて政治というものに触れたころの総理大臣ですが、すごい人だったんだなという事が、今さら初めて解った。
当時、彼が長く総理大臣を務めたのも理解できる。

こんなエピソードがあった。
原子力エネルギー政策を日本で確立させようと思案したのは彼が一議員のときで、予算に2億3500万円をネジ込んだ。予算審議で質疑を受けたとき、彼が立案者として答弁に立ったが、

「なぜ、2億3500万円なのか?」

という問いに対して

「ウラニウム(ウラン)の元素番号が235だから」

といって、議会に笑いを誘ったという。

今の政治では考えられないような大胆かつユーモアのあるエピソードだ。


その他、対談は錚々たる面々が名を連ねています。対談自体はとても面白くユニークに展開していきます。読み物としてはとても面白かったです。
救える命
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