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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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読むだけで力がつく・電気数学再入門
臼田 昭司 (著)

とても読みやすい本でした。
『電気数学』というキーワードで、恐る恐る借りてみたのですが・・・おどろいた事に、数字の話から足し算・引き算から話がスタートするという心配りです。

一応、電気数学というテーマですから、簡単な算数にも関係が深い電気の特性などを織り交ぜて話が進んでいきます。基礎からその実用性までを一緒に勉強できるので、算数がツマらない人でも楽しく読むことができそうです。

本が中盤に差し掛かると、内容が急にレベルアップし、微分と積分が登場します。ここで頭が沸騰しました。でも本はとても解りやすく解説している努力が伺えます。
電気数学では、指数・対数・微積分は避けられないので、小中学生が読むには少々大変かもしれませんが、高校を出ているくらいだったら基礎学習の助けには十分だと思います。

結構、目からウロコの話(忘れていたのを思い出しただけかもしれませんが)もあって、楽しく勉強できました。

時間の関係で、1度しか読めなかったけど、何度も読み返したい内容でした。今は年齢と病気の関係もあって、以前のように吸収がよくありません。1度読んだだけでは理解できなかったことも、何度も読み返すうちに解ってくると思います。

『読書百篇、意 己(おのず)から通ず』
(難読する本も繰り返し読むうちに、自然と内容が伝わってくる)

という言葉の通りです。

広告の裏の白い紙を使って、何年ぶりかに数式や数字をあちらこちらに動かしました。
もうまったく忘れてしまったと思っていたことも、脳ミソのどこか奥のほうに大切に保存されているのですね。明らかに初めてではない感触を覚えながらやりました。
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帰省の前に、あいかわらず忙しい伯母の手伝いをしてきました。
近々にあるイベントの準備に追われていて、ワープロ原稿を作りがてら、7月に発行した印刷原稿の問題を指摘されていた部分が調整可能なものかどうかのチェックも兼ねて、まとめて仕事をしてきました。

ワープロ原稿は、伯母が忙しい合間を縫って、やっとこ作り上げたものが、仕上げの段階で思うようにいかずにガックリしていた様子。せっかくの苦労が実らない瞬間の落胆は痛いほど良くわかる。その原稿には苦労の跡が残っていて「大変だっただろうなあ~」と思った。

思いのほか作業に時間がかかってしまって、夜遅くに終了。「ご飯をごちそうするよ」と近所のファミレスでお酒とツマミをごちそうになった。伯父はその日は仕事だったけど、作業をしている間に帰宅して、2人とも疲れているだろうに、晩酌に付き合ってくれて、ごちそうまでしてくれました。


0時前に帰宅して、かなりイイ感じに酔っ払ってしまいました。
外にいるうちは「ぜんぜん大丈夫」な感じでも、家に辿り着くと急に酔いが回ってくる。で、「そんなに飲んだかなぁ」といつも不思議になります。

作業の仕上げに漏れがあった事に「また失敗した!」と気がついた。
なんでも病気のせいにしたくはないけど、なにかを「よし!できた!」と思って満足できることが本当になくなった。仕事をしていたころはどうだったかと思い返すと、常に仕事に追われて達成感こそなかったものの、今ほど失敗を感じることも無かった。
幸い、時間には追われていないのだから、じっくり時間をかけて、せめて与えられたことや課したことを忠実にやり遂げられれば良いのにと思うけど、それが確実にできなくなってきている事を感じる。正直とても怖い。
月1回の通院の日だった。

先週あたりから悩まされている「立ちくらみ」の正体が自律神経失調症なのではないか?と思い、医師に相談をしてみようと、ここ数週間の事を話したが、病的な疑いはかからなかった。

疑いがかかったのは、最近始めた運動(筋肉トレーニング)。
急に運動を始めたことで、脂肪が筋肉に変わって、燃焼しやすくなった替わりに食事が足りなくなっている可能性があると。血圧、血糖値が下がっているんじゃないかな・・・という事で、その場で血圧を測定してもらったところ、先日の健康診断で、上が120あった血圧が100になっていた。

100でも低すぎるほどじゃないんだけど、最近まで120だったのが100になると、そういう症状はありえると。あとは燃焼しやすくなっているので、運動量に応じて肉や炭水化物や糖分をキチンと採らないとダメですというアドバイスを受けた。

来月の予約は取らずに帰ってきた。

まずはアドバイスに従おうと思い、お店に寄って、牛肉と魚を買って帰ってきた。もう帰省の予定が近いので、あまり生ものは買いたくなかったんだけども・・・。とりあえず効果の程が知りたかった。
さっそく牛肉を焼いて、どんぶり一杯のご飯に納豆を添えて、久しぶりに「もう食えん!」というほど食べた。
「ちょっと、やってみるかぁ~」

と思って営業してみた仕事も流れてしまって、東京でやることも無くなってきた。

ありがたい事に、実家からは何かしら用事を作って「そういうわけだから、帰っといで」とアプローチをしてくれる。往復は結構旅費が掛かるので、僕としては、1つ2つではなくて、もっと色々できるプランを考えてから行きたいと思っていて、今はちょうど「学を積んでいる最中」なので、実はまだ帰省先の工場で何かをしようという状況まで整っていない。

目的はないに等しいけど、まぁ行ってみようかしらという気になった。
実家にある工場では、主にコンピュータや電気回路に関する体験・実習を行えるだけの設備が整ってはいるが、今はそれを行うだけの修練・学が不足している状態で、それは自宅学習でも出来るから、それが概ね備わった段階で実習に臨めば、より効果が大きい。

だけど、今はとにかく「体調がすぐれない」という根本的な問題が大きくて、どちらを学ぼうにも滞る状態なので、ここは田舎の自然エネルギーを少し分けてもらおう・・・というくらいのつもりで、ここ数年には無い、ほぼノープランで帰省をする方向で調整を始めた。

帰るとなると、問題は冷蔵庫の中身。
とくに生ものは処理が大変だが、かといってすぐに出発というわけではないので、適当な食糧は必要で、なかなか調整が難しい。週頭には、だいたい一杯になる冷蔵庫を今回は半分くらいにして、材料の類は極力買わないようにして、来週の予定に備えている。

田舎暮らしのほうは、そろそろ雑草との格闘も終盤にさしかかっていると思うので、使い終わった草刈り機を来年に備えてメンテナンスするのと、年末のイルミネーション飾りの準備をしておく程度だろうか。
あとは、せっかくなので、東京では出来ない運転の練習。

免許取得から練習まで、超短期で集中的に終えてしまったので忘れるのも早い。今は運転できる気がしないくらいである。

とりあえず、木々が秋の彩りになった頃を目安に東京へ戻る予定。
どうにも調子が悪い。
遡れば3週間ほど前から。特にここ数日は、とにかくおかしい。

今朝は昨日のように早起きはできなかったものの、お陰様で朝の調子は悪くなかった。

ところが、その後が大変だった。昨日と同じような調子で、とにかく身の置き所がなく、パソコンとベッドを行ったり来たり。部屋をフラフラ。スクワットの日課もやったけど、それでも落ち着かない。眠れない。
ベッドに横になって30分もすると、起きあがってパソコンに電源を入れる。でも、別にやることもなく、すぐに電気を切る。その繰り返し。もう、何がしたいのか、自分でもよく解らない。

それからここ数日ひどいのが、立ちくらみ。
座った状態から立ち上がったり、止まっていたところから歩きだしたりするとフラッとくる。最悪は目が回っていまい、身体が大きくうねっているような錯覚に陥って立てなくなる。


一体、どうしたのだろう。


気晴らしに夜は、チャーハンを作った。
実は、カレーを作ろうと思って、食材の下ごしらえをした。ところが、買い置きしていたジャガイモが完全に育ってしまっていて使い物にならず、愕然となった。そこで、パスタに切り替えようと思って、下ごしらえをしたんだけど、鶏肉を用意していたので、パスタに合うかなぁと心配になり、最終的にはチャーハンにした。

下ごしらえしていた具材がチャーハンを想定していなかったので、うまくいくか心配だったけど、それに作り置きの白米2カップ、タマゴを加えて、最後にチャーハンの素を投入したら、なんとか整った。

保存用タッパー2つ分だった白米が、具材が増えたぶん量が増して、タッパー3つ分になった。1食分増えて、ちょっと嬉しい気分になった。


その後、20時過ぎに少し離れたコンビニにタバコを買いに出た。少し前まで雨音がザーザーしていたので、傘を持ってでたけど、運よく止んでいた。
まだ数日だけど、スクワットの効果が出ているかを確かめながら散歩をしたが、馴れない運動の疲労からか、むしろ疲れてしまう。あと、いつもだとノリノリの音楽を聴きながら歩く分には、とても楽しく歩けるはずなのに、今日は音楽が耳障りで仕方がない。

テレビを見るとき、タバコを吸うときにも「くいしばり」をしてしまっているし、立ちくらみ、音楽が聴けない、落ち着きがない、集中できない。かなり悪い状態に突入したのかもしれません。
どうにも調子が悪い。
遡れば3週間ほど前から。特にここ数日は、とにかくおかしい。

今朝は昨日のように早起きはできなかったものの、お陰様で朝の調子は悪くなかった。

ところが、その後が大変だった。昨日と同じような調子で、とにかく身の置き所がなく、パソコンとベッドを行ったり来たり。部屋をフラフラ。スクワットの日課もやったけど、それでも落ち着かない。眠れない。
ベッドに横になって30分もすると、起きあがってパソコンに電源を入れる。でも、別にやることもなく、すぐに電気を切る。その繰り返し。もう、何がしたいのか、自分でもよく解らない。

それからここ数日ひどいのが、立ちくらみ。
座った状態から立ち上がったり、止まっていたところから歩きだしたりするとフラッとくる。最悪は目が回っていまい、身体が大きくうねっているような錯覚に陥って立てなくなる。


一体、どうしたのだろう。


気晴らしに夜は、チャーハンを作った。
実は、カレーを作ろうと思って、食材の下ごしらえをした。ところが、買い置きしていたジャガイモが完全に育ってしまっていて使い物にならず、愕然となった。そこで、パスタに切り替えようと思って、下ごしらえをしたんだけど、鶏肉を用意していたので、パスタに合うかなぁと心配になり、最終的にはチャーハンにした。

下ごしらえしていた具材がチャーハンを想定していなかったので、うまくいくか心配だったけど、それに作り置きの白米2カップ、タマゴを加えて、最後にチャーハンの素を投入したら、なんとか整った。

保存用タッパー2つ分だった白米が、具材が増えたぶん量が増して、タッパー3つ分になった。1食分増えて、ちょっと嬉しい気分になった。


その後、20時過ぎに少し離れたコンビニにタバコを買いに出た。少し前まで雨音がザーザーしていたので、傘を持ってでたけど、運よく止んでいた。
まだ数日だけど、スクワットの効果が出ているかを確かめながら散歩をしたが、馴れない運動の疲労からか、むしろ疲れてしまう。あと、いつもだとノリノリの音楽を聴きながら歩く分には、とても楽しく歩けるはずなのに、今日は音楽が耳障りで仕方がない。

テレビを見るとき、タバコを吸うときにも「くいしばり」をしてしまっているし、立ちくらみ、音楽が聴けない、落ち着きがない、集中できない。かなり悪い状態に突入したのかもしれません。

新・原子炉お節介学入門
著:柴田 俊一

 



いま読んでいる本ですが、結構おもしろいです。

原子炉については、一応10年以上も業界に居たのに、さっぱり解らないというか、「知っておけば仕事のしかたも変わっていたなぁ」と感じさせられる内容です。

著者のである柴田先生は、ご高名を聞いたことがあるような気がしました。写真も見たことがあるような・・・。なにしろ業界にいたのも早4年以上前の話ですから、記憶は怪しいですが。


まだ半分も読み終えていないんです。
ストーリーものならスラスラと流して読めるのですが、このテの本だと、いちいち引っかかってしまって、読み返したり、理解に時間を要したりと、とにかく難読しています。
ただ、原子炉についての専門的なことだけではなく、イメージに浮かんでくる時代背景や、信頼され慕われる彼のイズムがにじみ出ていて、それにとても共感させられます。

僕は年齢の割に(考え方が)古く、それは自他共に認めるところで、深く共感を覚えるところも今の時代にしてみたら「考え方が古い」などと一蹴されてしまう部分もあるでしょう。ただ、それが単に古い、新しいで済まされない、本来とても大切な事なんじゃないかなぁと思わずには居られません。


形あるものは必ず壊れる

これは僕が小さい頃から、母の教育によって教わってきた事です。
この本では、こんなエピソードが挙げられています。


原子炉というのは、とにかく安全というものは最重要視されています。核を扱う設備だからです。
理想的には絶対的な安全…を求められますが、やはりそれは人が為すことなので、万全を考えても絶対はないのです。
あるとき、原子炉で扱う計器にトラブルが生じて原子炉がストップしたときに、ある高名な先生が

「原子炉で使う計器でも、こんな事があるんですね」

と仰って、柴田先生はこう答えたと言います。

「人が作るものに絶対はありません。いくら良い設備でも、それは壊れる確率が異なるだけで、壊れないという事ではない。長く壊れないもので、利用者の安全に対する緊張感が薄くなるくらいなら、適度に故障してくれたほうがマシである」

と同時に、高名な学者先生でも「壊れないものがある」という誤認が生まれていることに対して、非常に問題だと言及しています。


僕はメーカーで、こういった計測器を設計する仕事をしていましたから、このエピソードで言及している大きな誤解が良く理解できます。万能で理想に近いものが電気製品が身の回りにたくさん存在する今の時代、だれもが知らないうちに絶対的な信頼を持つようになりました。メーカーは当然、理想に近づける努力はします。が、至らないのも含めて人間の為せる業なのです。
「壊れないもの」を要求する客に対してのジレンマもありましたが、ついには勤めていた会社が「壊れてもバレないように設計する」と言いだした時に、驚いてひっくり返ったのを懐かしく思い出します。

今となっては「どっちもどっち」という感じです。どちらの側も冷静に、モノに対する信頼性というものを考えてほしいなと願います。
救える命
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