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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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え~ 現在5月3日の午前4時ですか。
2日に、思いがけず伯母夫婦に、(またしても)御馳走になってしまいました
ありがたい機会に恵まれて幸せなことですが、惜しむらくは、上等なものを食すると決まって下痢してしまうという身体の特性です。

2、3時間ウトウトして目覚めてから、トイレを往復です

伯母夫婦には、事あるごとに気遣いを戴き、収入のない僕は『出世払いでツケといて』というのが精一杯なのですが、そろそろ、そのツケだけでも破産しそうな感じです。この大恩を早くお返しできないと、自分のためにも良くないなぁ~と最近しみじみ感じます。


そういえば、豪華な食事にありつくと、決まって写真を撮っていましたが、最近いつも忘れてしまいます。以前までは、食にも事欠くありさまだったので、まともな食事にありつくことが一大イベント。写真に撮ろう!という気になったのですが、最近は自炊をするようになったからでしょうか。食に関しては、ある程度の充足感を得られているようです。
でも、気が付いたら、写真を撮るようにしようと思います。


今日は、転職相談の面談を受けてきました。
病院に対する失望感、経済的な困窮、借りてばかりの恩、年齢のこと、そして何より自分のことを心配してくれる両親を含めみんなに対しての強い想いが、「社会復帰」の第一歩へと駆り立て、焦りとなって自分を追い込んでしまっているのは否めません。
両親は、相手の「一挙手一投足」に揺れる僕をみて、大きな不安を持っている様子ですが、たとえダメで、また振り出しに戻ってしまう可能性があるとしても、これだけ山積した状況で何もせずに居られないのが僕の性分なのでしょう。

つい最近まで、後ろ向きで現実逃避を繰り返していた自分は、決して好感できるものではありませんでした。前へ前へと進もうと頑張っている自分の今は、たとえ小さな事でも「がんばったね」と労ってあげられます。
結果がどうこうではなく、自分なりにやれることをやってみて、小さな事でも「良くやった!」と褒めてあげられれば、自分が少しは愛おしくなれるような、そんな気がします。
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ついに
ついに…やりました。

喫煙数が、7本で目標達成です

でも、結構きついラインです。
8時から24時まで起きているとすると16時間あります。2時間に1本のペースとしても9本になるのです。起きている時間が長いほど、我慢する苦痛に耐える時間も長くなります

まだ平均は8~9本といったところです。
安定して3日1箱になるのは、もうすこし先かな。
メンテナンスの予定知らなくて、ブログにアクセスできず「またかー!」と思いましたが、予定どおりのメンテナンスだったと後に知って安心しました。

母に貰った大量の食材が・・・妙に焦りを誘います。
僕は「食べること」が、あまり好きではないので、「食べなくてはいけない」という状況は非常に強い圧迫感を感じてしまうのですね

今日もちょっとした料理に食材を使い、冷蔵庫の空きスペースが着実に増えていくのを見て安堵感を覚えています。


冷蔵庫の片づけも淡々と進んでいますが、家の片づけも進めています。
ブログで家の片づけの事を書き始めたのも、いつ頃からでしょうか。まだやっています…というか、まだまだ終わりません 普通の人が見たら、イラッとするくらいノンビリやってるって事です。

今日から寝室兼倉庫の片づけに突入です。
普通ならあり得ない話でしょうが、僕は倉庫で寝ています。ここが倉庫なだけにメチャクチャ汚いんです。なので、なかなか手が出ませんでしたが、ついに手を入れることにしました。

倉庫には2段ベッドが1体ありまして、上の段は荷物、下の段は僕の「万年床」になっているのですが、片付けの作業スペースを作って作業を円滑にするために、寝床を2階に移しました。そして部屋の床に散らばっている箱やら何やら得体の知れないものまで、半分くらい拾い上げて床を拭き掃除。

「この部屋って、床がこんなに広かったんだ~」

とビックリするくらいになりました。
考えても見ると、家の片づけを始める前までは、部屋・廊下を問わず、あらゆるところに余計なものが積み上がっていて、電気を点けなければ「手探り・足探り」で、とにかく気を付けないと進めない状態でした。それが、今はもう邪魔なものはなく、とても生活がしやすくなりました。

これからもマイペースで片付けしていこうと思います。
朝、7時過ぎくらいに起床。すこし寝坊です。

母がたくさん食材を置いて行ってくれたので、しばらくは買い物のために外出する必要はなさそうです。頼まれた荷物と所用を済ませるため、月曜日に発刊するフリー求人誌を貰いに行きがてら、ブラブラと散歩をしました。

先週あたりから、タバコを家で吸うのを止めました。
換気扇を回せば、上に行く煙は外に出ますが、たばこ特有の残り香(火を消した後に出る煙?)が家の中に充満して、部屋がすごくタバコ臭くなります。しかも、今は工事中で窓を開けることもできず、室内の換気が十分にできません

それで考えた末、タバコは外に出て吸う事にしました。
近所の公園にベンチがあるのですが、そこに座ってゆったり煙をくゆらせています。今まで家で吸うときは、換気扇の傍に立って、へばりつくようにして吸っていたので、あまりリラックスできていませんでした。

タバコを吸うために、1日10回程度は外に出て陽に当たることもできるし、公園のベンチに座ってリラックスできるし、新鮮な外気も吸えるし。しかも、我が家は4階なので、1日10往復程度すれば、少し運動にもなります。そのうえ、外に出て吸うというルールによって、喫煙が以前よりも億劫になって、だんだんと本数が減るのではないかと密かに期待しています。

今月は、お酒を飲む機会に恵まれて、喫煙リミットをオーバーしてしまった日が数日ありました。一度、大量に吸ってしまうと、本数を減らすのが意外に大変なんです 禁煙してるときの「1本だけ・・・」が禁物なのが良くわかりますね。ニコチンの依存度が一気に戻ってしまうのでしょう。それでも最近は、本数を減った翌日でも概ね平常の本数に戻せるようになりました。なんとなくですが、依存度が低下してきているような実感があります


いろいろ試行錯誤していますが、やっと1日10本吸うか吸わないかというくらいになってきました。次の目標の「1日7本」は、なかなか遠い・・・ですが、家の中からタバコ臭さは消えました。
喫煙者が「たばこの残り香はイヤ」なんて、わがまま以外の何モノでもないですが、とりあえず超HAPPYです。
一番上はベースギターで、下2本はエレキギターです。

ずーっと弦を張ったままだったので、もうダメになってしまっているかも知れないのですが、東京で弾くことはもう無いだろうと思って、弦を緩めて片付けました。


音楽を聴いたり、演奏したり。楽しくて好きだった事は、病気になってから全く手が付かなくなってしまいました。
そういう気力が無くなったという事もあるけど、「楽しむこと」に対しての罪悪感があるのです。自分は仕事もしていないし、社会に対してなにひとつ貢献をしていない。そんな立場で、自分の好きなことをする権利などない思ってしまい、楽しいことも楽しめなくなりました。

うつ病が快復していく過程には、無気力で何も出来なかったところから、まずは自分の好きなこと、楽しめることが出来るようになるという事ですが、僕はいまだにそれが十分にできません。強い罪悪感から、何かに貢献するという事への焦りを生み、「為さねばならぬ」という事で気力を消耗してしまいます。

今年の初めにスキーに行けたのは、そういう意味ではとても大きな一歩でした。
初めて自分が自分自身を許した。「今まで頑張ったね」と労えた瞬間のように感じられました。それから、快復への道をようやく一歩進んだように思います。

先日まで上京していた父と入れ違いで、今度は母が上京してきました。
夕方5時ころから、近所のファミレスで食事をしながら、僕の病気の話、就活の話、通院の話、そして実家での近況の話など、お互いに絶えることのない話題。なんと6時間も居座ってしまいました。

昨年の11月に帰京してから、今まで約5か月ほど在京していますが、考えてみると、うつ病になってからこれだけ長い期間、在京をしたのは初めてかも知れません。それだけ東京と実家を頻繁に行ったり来たりしていました。
5か月間分、いろいろな話ができ、母の元気そうな姿と、僕の元気な姿を見せることができてよかったです。

ファミレスには迷惑をかけました。。。
早起きはできるんだけれど、調子が出ず頭と身体が重い日が続いています。
昼ころに、少し調子が戻ったので、昨日気になった求人に問い合わせの電話をしました。

その電話の応対をしてくれた人が心なしか無愛想な人という印象を受け、電話を切った直後から、動悸がするようになってしまい、寝込んでしまいました。恐らく、「対人恐怖症」の傷がうずいたんだと思います。その後、動悸が止まず、疲れやすくなって、横になっても眠れず、起きても疲れるの繰り返しで時間を過ごしました。

「パンドラ」の整理は、いよいよ大詰めで、とうとう最後の段ボールと発泡スチロールを片付けました。
発泡スチロールは、そのままだとかさ張るから、できるだけ1cm角くらいにカッターで切ったり、手でちぎったりして裁断していたので、量が多かった分、大変な作業でした。

できるだけキチンと圧縮して、1つのゴミ袋の中になるべく多くのゴミが入るように努力しようというのが僕の信念。ですが、発泡スチロールのゴミは、その形のまま捨てても良いことになっています。そういう意味では、「無駄な努力」をしているわけです。

でも、今、こういう無駄な努力をしている時間が、たまらなく愛おしいんです。
プラスチック製の容器も、キチンと裁断して、かさ張らない様にしています。無駄なことかも知れないけど、誰に何を言われることなく、自分の信念をマイペースで貫くことができる、そんな今が愛おしく、そして楽しいんです。

サラリーマンをしていたとき、心ない上司に「あなたの1時間にどれだけの金を払っているか解ってるの?」と言われ、僕の心に傷を残しました。僕は仕事の上では無駄なことをした覚えがないので、恐らく、その人の目にはその時の僕の行動が「無駄な事」に映ったのでしょう。これがキッカケで、僕は自分の信念で時間を費やす事ができなくなってしまいました。トラウマになってしまったんですね。

今は、それから解放されたんだ。。。という開放感が「無駄な努力と時間」を楽しみに変えてくれています。
父は今月最後の東京滞在日です。明日、帰宅です。
今朝のチラシをチェックしていたら、挽肉が安かったので、父直伝のオムレツを作って喜ばせてあげようと思いました。

さっそく、午前中に材料を買いに行き、今日発行の求人誌も一緒に貰って来ました。少し気になった求人があったけど、とりあえず保留にして、は昨日開けた「パンドラの箱」の片づけに精を出しました。

午後になって、お日様が出てきて調子があがるかと思ったら、それとは逆にダウンしてしまい、夕方くらいまで横になりました。先週の初めくらいまで、かなり調子が良い状態が持続していたので、最近、毎日のように来る「不調な時間」は割とショックです

しばらく身体が重かったんだけど、夕食を作らないと・・・という時間になったので、身体を引きずるようにして布団から出て、オムレツの調理開始です。

(1) 挽肉を良く炒めて、塩コショウで下味を付ける。
(2) たまねぎをたっぷり、少々粗めに切ったほうが食感が残る。挽肉が十分炒められたら、たまねぎも入れて炒める。
(3) 塩コショウ、塩、味の素で味を整える。
(4) お皿に盛って、焼きタマゴを上から乗せて完成

父から教わったオムレツは、タマゴで閉じないんです。具がたくさんのほうがオイシイからって。


できあがったものを持って、父のところへ行って一緒に夕食。
味付けなど、細かい事にうるさい父ですが、「僕が作るのと同じだぁ~」と言ってとても満足してくれたようで良かったです。大成功でした
救える命
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