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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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昨夜はドタバタと慌ただしく過ぎました。
喪主となる父は、葬祭会場に留まり、弟は昨夜のうちに帰宅。

明くる17日の朝、弟夫婦と義妹は無事に帰宅の途につきました。

母と僕は、今夜営まれる祖母の通夜と告別式のための準備をし、夕方に自宅を出発。会場のある広島・五日市まで車を走らせ父と合流。

長く祖母を介護した父の妹にあたる叔母と、隣に住まいする父の姉にあたる伯母と会場で会いました。我々一家をのぞく地元の身内達は、みなさん最期を看取ることができたとの事でよかったです。

お通夜は、親族のみで行われ、実子からその孫の世代までが一同に会しました。人の死は辛いことですが、人を集める力があります。大家族から核家族そしてさらにマクロに家庭を営むようになった現代、親族という近しい間柄でありながらも、なかなか一同に会する機会というものがなく、縁が希薄になりがちですが、親は子孫への最後のプレゼントとして、こういう機会を与えてくれるものなんだなぁ~ということをしみじみと感じます。

そして、自分の元にみんなが集まってくれたことを、祖母はあの世から見て何より喜んでいると思います。


今晩は、我が一家は葬祭会場で祖母と一緒に一晩を過ごします。
僕は慌てて出てきたせいで、お薬を一式忘れ不眠症が炸裂。さらに喘息を併発したが吸入器も忘れ、結局一睡もできず、祖母のご遺体と遺影を前に、一夜を過ごしました。

隣では、猛禽獣のような轟音を立てる母と、トドのように腹を出して眠る父が眠っています。あまりにおかしくて祖母もこれを見てきっと大笑いしていることでしょう。
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この日は、リハビリ施設から転院したと聞いた広島の祖母のお見舞いに行くことになっていました。
父に伴われて、僕と弟の3人。午前中に家を出発して、渋滞に巻き込まれながらも昼ころに到着。

久しぶりに拝顔した祖母は食事も採れず点滴。とても痩せていました。
目は開いていて、どこかを見据えているように見えましたが、意識はどこまであったのでしょう。耳元で『おばあちゃん~TAKEだよ~』と叫んでみたけどリアクションはなくて、握った手にも力が無い。
ただ、心拍なども監視されている状況だったし、表情に痛みを感じている様子も伺えなかったので、いますぐどうなるという感じではなく、ひとまず安心をして帰途につきました。

帰宅をしたのは2時過ぎ。
ダイニングで一服していると、ほどなく危篤の一報が入り急転直下。

とりあえず実子である父が、とんぼ帰り。だがここは田舎町、電車が少ない。
40分ほど電車を待っているうちに息を引き取られたと電話が入る。
午後4時ころ。享年95歳。

急な訃報に、我が家は大わらわに。
来客が身内だったのが不幸中の幸いでした。帰宅が明日に迫っていた弟は、幸いにも祖母にお別れができる機会に恵まれ、喪主となる父を伴って再び広島へ。

母と僕は、おそらく翌日になるであろう通夜と告別式に備えて自宅で準備に追われています。


僕にとっては最後の祖父母でした。
施設から病院に移って半月ほど。延命措置を拒否していたとはいえ、あまりに加速的にその時が訪れました。
人の死というものを自然に委ねると、まさにロウソクの最後の灯が消えるように儚いものであると思わされます。
小2の義妹は今日も絶好調です

お天気もよく、さっそくマイビーチで海水浴です。
おっちゃん、一生懸命お相手するけど、パワー負けです

引率者の弟夫婦は、義妹のターゲットが僕に向いているのをいいことに、忍者のごとく気配を消します。


僕も数年前までは、普通にお仕事をしていたわけですが、その頃は常にストレスに晒されてツンツンしていたせいか、表情もこわばっていて、子供が怖がって寄りつくことさえありませんでした。
いまは、こうして僕の前で笑顔を見せてくれる子供が居るということが、なんだか不思議な気持ちです。子供はとても敏感だから、僕自身ではあまり実感ができない精神的なゆとり、接する温もりのようなものを感じ取ってくれているのかもしれません。

お仕事を辞めてしまって、社会的にも経済的にも失墜してしまった僕だけど、失ったものばかりではないなぁ~という事を実感させてくれるのが、この子の笑顔のように感じられる今日この頃です。


しかし・・・疲れます。
従兄とエレナさん。
今日でお別れです。

刺激的で楽しい毎日をありがとう

この後、彼らは帰京の途中に古都に立ち寄って週末に東京に戻るとの事。エレナさん、『提灯(ちょうちん)』がほしいらしい。今どきの中に電球を入れるタイプのものじゃなくて、ロウソクを灯す、いわゆる古き日本の産物。

京都にはあるかもしれないと思い、ちょっと調べてお店の地図を渡しておいた。いいお土産が見つかると良いけどね。

 


彼らと入れ替わりで、今度は弟夫婦が僕と2回りほど歳が若い義理の妹を連れて来訪。
2年前から毎年、お盆休みには実家を訪ねて夏を満喫しにくるのです。

小学校2年生になる妹のパワーはすごい
疲れ知らずで、お相手をするオジサンはヘトヘトになります。


今日から日曜日まで滞在。
休む暇もなく、海の家はフル稼働です。
今日は我が庭でバーベキューをしました。
両親の地元の旧知の悪友(?)ご夫婦を中心に、こちらのお客人、そして隣人に声をかけて、集まりに集まった総勢20人弱

決して狭くはないはずの我が家の庭は、ギュウギュウになりました。
A型人間の母と僕は、人数が多くなりすぎると手に負えないので、別の機会を設けて人数を分散しようと画策していたのですが、典型的B型人間の父は、Going My Way & 外面良好。
結局、お誘いする全てのメンバーが同じ時に一同に会してしまい、このような大変賑やかな事態となりました。

あたりまえの話ですが、西日本は東より日暮れが遅いので、18時にスタートしたときはまだ外は日暮れ前で視界良好。飲んで食べてしているうちに、とっぷりと陽が暮れて、いつしか隣の蓮田(レンコンの田圃)ではカエルの合唱がはじまっていました。


両親の地元中学・高校の同窓生が訪れてきてくれたのですが、僕の世代から見るととても不思議な光景です。
僕は小中高と卒業して以来、『同窓会』さえ一度もやったことがありません。だから、こうやって50年を超える月日を超えて、一同に集まって昔を懐かしむ旧友が、『この指とーまれ』でパッと集まってくるというのが奇跡的にさえ感じてしまいます。

両親の世代にしてみたら、ごくあたりまえの事なのかも知れないけれど、『新人類』と言われた僕の世代から見れば、この人間の絆というものこそが『古き良き時代』の象徴のように感じます。


父の昔からのワル仲間(?)のおっちゃん。
もの静かに『まぁ座れや・・・』と言われ僕は隣に座ったんだけど、よほど気分が良かったのか、僕の事がお気に召したのか、初めから終わりまで会話のお相手させてもらっとりました。
サングラスかけると完全にヤーさんで、ほんとかウソか本業の方にも『どちらの組で?』と間違われたことがあるとか…。でも、実際はとても気のいいオジさんです。人は見かけによりませんネ。
なんとも刺激的な日々のはじまりです。
食卓では、日本語・英語・スペイン語が飛び交い、あまり機能することのない僕の頭は煙をあげそうな感じです。が、一生懸命聞いたところでどうせ解らんので、右から左へスルーです。

スペインの都、マドリードからはるばるやってきたエレナさん。
マドリードは内陸らしく海で遊ぶ機会はあまり無いみたいで、歩いて数十秒のビーチは気に行ってくれた様子です。

ここ数週間、雨に恵まれず猛暑に晒される毎日ですが、海水浴には絶好の日和です。瀬戸内海は内海(うちうみ)なので波が低いのは有名な話ですが、潮の満ち引きが緩やかな時間帯には、まるで温水のように海水が温くて、はっきりいって気持ちが悪いです。

ですが、温かい水のほうが筋肉が緊張しないせいか、不思議と楽に遠泳できます。冷たい水だと、急に筋肉がついた肩やふくらはぎが硬直してしまい、泳いでいる最中にピリピリッとくる(ツりそうになる)ので怖いです。

でも外は猛暑。やっぱり、冷たいほうが気持ちが良いです。


昨日、新岩国駅から自宅へ向かう途中、岩国の唯一(?)の名所、『錦帯橋』を通ってきたのですが、おりしも『鵜飼』のシーズンで、錦川には鵜飼船とそれを観賞する屋形船がにぎわっていました。その光景を見て、日本らしさを求めてきたエレナさんは即反応 『あれに乗りたい』という話になり、予約を取って乗ってきたようです。乗船だけであればけっこうリーズナブルなお値段で、和の風情を堪能できたようです。

地元(僕はジモティのような東京都民ですが)にいると、『いつでも乗れるし』と思って知ってはいても意外と未体験だったりすることが多いものです。都会にいると、『日本の風流』というものに接する機会って意外とありません。日本人でありながら忘れかけている日本の伝統というものに触れてみるのもいいなぁ~と、外国人に教わった気がします。

他の国の方の目線から見たほうが、日本らしさ、日本の特徴というものが良く見えるのかもしれませんね。


お客様が居るあいだは、庭仕事は小休止です。
楽しく刺激的な日ですが疲れます。でも、喜んでくれているお客さんの笑顔に癒されながらの気持ちの良い疲労感ですね。
今日から従兄が約5日間の日程で訪ねて来ました。
なんと遠くスペインから日本に遊びに来た方と一緒です

予定としてはかねてより聞いていたはいたですが、このグローバル化が進むご時世に、かたくなに『鎖国主義』を貫く僕にとっては、この日が待ち遠しいというよりは、むしろ『恐ろしい』気持ちでした。

従兄は通訳係です。彼女はなんと母国語も含め4ヶ国語を喋れるらしいのですが、ざんねんながら日本語はプーです。
スペイン人に『人見知り』というのは居ないらしく、とてもフレンドリーな方で積極的に会話をしてくるし、打ち解けるのに時間は掛かりませんでした。でも通訳の従兄は、スペイン・英語・日本語のチャンネルをパチパチ切り替えながらの大奮闘。辞書を出しては、一生懸命に翻訳。
大変そうでした・・・。


今はヨーロッパ通貨EURに対して円が非常に安く、(というより現在EURは世界的に高くインフレ状態)ヨーロッパの海外旅行客は非常に多いらしいです。訪ねてきた彼女は、非常に好奇心の旺盛な方のようで存分に日本を謳歌したいようですが、まずは東京を歩いてきた彼女の感想を聞くと、描いていた日本とはどうもカチッと合わない様子。外国の方が描く『これぞ日本』というものが、国内でも段々と薄まってきていることを思い知らされました。

彼らが来訪する前日、どういった形で『ようこそ!』のおもてなしを演出しようかと思案に暮れていたのですが、ハッと閃いて、いろり山賊が最高だろーという事で決定
『山賊』というだけに、今どきのシャレたお店とは違い、むしろ野蛮なたたずまいのお店なんだけど、『ニンジャ・サムライ』の時代を彷彿とさせるような純和風。
ちょうど旧七夕の週末ということで笹に短冊、飾りもキレイだったけど、そのうち陽が暮れてくると提灯が灯って見事な和風の演出が。彼女にとっても刺激的だったらしく、とても喜んでくれた様子で、ウェルカムパーティは大成功でした。


僕にとっても、刺激的な5日間のはじまりです。
救える命
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