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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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昨日は一日中雨で寒かったけど、今日は小春日和。暖かくて防寒着は必要なかった。

ところが調子は最悪

おそらく、ここ数日の勉強が祟った。

久しぶりに、スペックシートやら資料やら・・・英文と長時間にらめっこ。やっている間は、英気に満ちていて「仕事できそうだー」なんて楽観的だったのに、一日明けると寝たきりになってしまう。夜、悶々と考え込んでしまって寝付きが悪くなる結果、朝は目覚ましが聞こえずに変な時間に起きる。バイオリズムがすっかり狂ってしまい、何も手がつかなくなって、寝込んでしまう。

昨日の楽観を悲観に変えるに十分な現実。。。

少し調子が出て、「やってみよう!」と挑戦をしても、その後また寝込んでしまって辛くなる。ひたすらこれを繰り返している。どうすれば、この循環から出られるんだろう?って思う。頭を使うことが出来なくなってしまったのかなって思うと絶望的。体力勝負できるような身体じゃないし、頭をウリにするしかないんです。。。
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Cypress社のUSBスレーブコントローラ EZ-USB FX2シリーズのデバイスドライバを入れるのに、かなり手こずった。

最新のドライバ一式は下記アドレスで入手可能。
SuiteUSB 3.4 - USB Development tools for Visual Studio

問題は、Windows Vista 64bit(通称 x64)以降では、デバイスドライバが未署名(デジタル署名)のものに関しては、インストールは可能だがアクティブ化されない。表現を変えると、ハードウェアがOS上で正常に認識されるものの、動作を意図的に止められてしまうという状態になる。

これについては、デジタル署名をすれば良いという結論に至るが、この署名というのは単純なものではない(単純なものであってはならない)。ある機関を経て、信頼性のあるものがデジタル署名を付与することでドライバを活性化させることになるが、Cypress社の説明としては、供給されるデバイス(EZ-USB)はあくまでターゲットとのブリッジデバイスの位置づけという認識のためか、この署名を付与しないスタンス。

言いかえると、EZ-USBを使ったデバイスを作ったメーカーが署名の義務を負うということです。


それはまあ良いとして、困っちゃうのは、このデバイスをVista 64bitで試用してみたい場合だね。
解決方法として、

(1).OS起動時にF8メニューを出して、未署名ドライバも活動可能なモードで起動する。

この場合、EZ-USBを使用するたびに、F8メニューを出さなきゃいかんということ。これを自動化するソフトウェアが存在するらしいが、せっかく、そういうセキュリティ管理で完成されているものを、ブートシステムレベルでいじるのは少し気持ちが悪い。

(2).以前のバージョンになるけど、デジタル署名(CyUSB.cat)が添付されているバージョンがあるので、こちらのセットを使う。将来、探しても見つからなくなる可能性があるので下記アドレスにアップしました。

yUSB_64bit_3101.zip.jpg

本ブログのピクチャサーバーを悪用?するために、拡張子をjpgにしています。使うときには拡張子を"zip"に変更してファイルを展開してください。Vista 64bit SP1以降用のドライバセットになります。
珍しく1日中、雨。

とても寒い一日でした。

たまらず、昼には湯船に浸かり、夕方には我が家で唯一の暖房器具である湯たんぽに出動を要請しました。


これから更に寒くなっていくんだよな~って思うと、不安になります。

「去年は湯たんぽ1つでしのいだ!」という実績だけが支えです。

部屋着と外着が同じになるのも、そろそろです。
数日前の記事に、原文なしでポツリと音楽プレーヤーを貼り付けました。

坂本九の歌声が聴きたかったのです。

日航ジャンボ機墜落事故が起きたのは1985年、今から24年も前のことになるんですね。
僕は当時11才のハナタレ小僧でした。あの惨劇の映像をみて「大変なことが起きた」という事は解っても、それ以上の事は何も解らなかったのです。その中で「坂本九が乗ってたらしいよ!」っていう騒ぎが起きていたのをハッキリ覚えています。でも僕は、坂本九をよく知りませんでした。

ここまでは前フリです。

実家で運転手をするとき、僕は「音楽がないとイマイチ調子がでない」といって車内で音楽をかけます。願わくば自分が好んで聴くハードロックを流したいところですが、それでは同乗している母があまりに不憫なので、母のプレイリストをBGMにして走ります。
そのプレイリストの中に、平井堅と坂本九のコラボレーション「見上げてごらん夜の星を」が入っていて車内に流れたんです。僕は坂本九の事はよく知らなかったけど、そんなに歌が上手っていうイメージはなかったんです。それが、驚いちゃったんだけど、けっこう上手いし声も良かったんですよね。

それで、母に思わず「坂本九って、歌うまいよね?」って聞いたら、「坂本九、上手だねぇ~」と母も改めてそう思ったらしく。急に歌手「坂本九」に興味が沸いて、それで音源を探して載せといたって話だったんです。

調べてみると「曲は聞いたことあるけど、歌っているのは誰?」というような曲の多くを坂本九が歌っていたのには驚きました。

多才な方だったようで、当時の訃報に報道が沸いたのが今になって良くわかります。
常々、やりたいなぁと思っていたのが、Linux(リナックス)の導入。

Linuxというのは OS(Operating System)というソフトウェアの一種で、一般的にはWindows(ウィンドウズ)が使われています。。。と表現すればピンとくる人は多いと思います。パソコン全体やデータ管理などの基本的な部分を司るソフトウェアなので、基本ソフトと呼ばれることもあります。

Linuxには様々なディストリビューションがあり、無償で提供されているものも多くあります。それも無償だというのに大変な完成度を持っているものも少なくありません。ほんとに驚きです。

導入にあたって、その幾つかの選択肢からUbuntu(ウブントゥ)を選びました。導入したのは最新のバージョンである9.10。インストールはあっけないほど簡単に終了。


この記事もリナックス環境から投稿しています。


リナックスの魅力は、その高度な機能を無料で享受できることもありますが、使う環境に合わせて、システムをシェイプアップできるので、たとえば今のパソコンのような強力なスペックを持ったコンピュータでなくても導入をできるという大きな特長を持ちます。僕が最終的に学びたいのは、この特長についてです。

とりあえず、今回の取り組みとしては、Linuxというものに触れて、それに馴染むという事です。それにしても、本当に無料とは信じられない完成度です。Windowsに大金を払うのはバカみたいと感じてしまいます。多くの頭の良い人たちの努力の結晶、堪能させてもらおうと思います。
前の記事で、つい愚痴った・・・。

愚痴ってしまった・・・。

でも、いいんだ。もともとは、愚痴るために立ち上げたブログなのだ!

・・・と開き直ってみる。

おかげで、だいぶスッキリした感じがする。

これでまた2、3週間は頑張れそうだ(笑)


思い出したんだけれども、帰省中は何も遊んでばかりではなかった。

直後に大仕事をした。エコポイントの恩恵にあずかるため、実家でも遅ればせながら地デジ対策。新しい薄型テレビを計3台購入した。

それによって、古いテレビが溢れて出てきたのだけど、電気屋の有料リサイクル回収を拒否してオークションで売りに出してみることにした。

ウチは全室喫煙なので、とにかく汚れがすごい。客間の分はそうでもないはずなんだけど、ダイニングのは汚れを通り越してもはや汚染。最近では、妙な振る舞いをするようになり、機能まで冒されていた始末。
それから、今となっては禁煙としたパソコンのディスプレイも売りに出すことにしたけど、これも以前の名残りでヤニの汚染が酷い。

これらをバラバラに分解して、内部を徹底的にアルコール洗浄。外の筐体は、メラミンスポンジなどを使って、しつこい汚れを丹念に洗浄。今のテレビはリモコン操作で、普段触れるようなものではないので、新品のような輝きを取り戻した。

内部の清掃も功を奏したか、妙な振る舞いをしていたテレビもご機嫌麗しく、これなら売るに耐えられそうとオークションに出品。どちらも無事に里親が見つかり、たいそう喜んでくれた。こちらもリサイクルだと費用がかかるものがタダで済むばかりか、幾ばくかのお金で売れたのだから言うこと無く嬉しい

まぁ、少しは役に立つこと、やってきたんだ・・・って思い出したら、今回の帰省も少しは孝行になったかなと安堵できます。
長く封印してきた彼女とのことを少し書こうと思います。
一方的な状態が長く続いてしまい、思いを抑えることが難しくなってきてしまいました。

以前にも触れたように、うつ病との闘病歴でも僕の大先輩にあたります。僕が同僚として働いていたころにお付き合いをした時には、僕はまだ病を得ておらず、またうつ病に対する知識も持ち合わせておらず、それに対する配慮を著しく欠いていただろうというのは今になってもそう感じます。

僕はその直後に、奇遇にもそのうつ病を発症してしまい、直後に会社を退社することになって同僚という関係ではなくなりました。数年後に久しぶりに再会を果たしてから、また誼を戻して1年半になります。

今年の夏。
長年の心労の蓄積もあって、彼女は初めて気力ではカバーが効かないほどの倦怠感に襲われて、初のドクターストップを味わうことになります。僕の場合は、うつ病がもたらす集中力と注意力の欠陥が、高い集中力を要求する職務に当たるに致命的であると判断し、退職という道を選択せざるを得ませんでしたが、彼女の場合は事務職ということと、社に戻りたいという信念があって、休職という道を選択しました。

休職中もスグに快復に向かうほど単純なものではなく、復職の予定日が一刻一刻と近づくたびに焦りと不安が膨れ上がってきてしまいます。休職の本来の目的は絶対的に休養なのですが、限られた日限では、なかなか困難なことなのです。
彼女も例外ではなく、復職を1週間後に控えた日になっても、食事を満足に採ることさえできない状況でした。
普段は、平日の勤務で憔悴し、週末にはとりつくしまもなく「疲れてるから…」とツレない彼女も、このときばかりは参ったようで、僕は珍しく週イチのペースで家まで通い、買出しに出たり、食事を作ったり通院を付き添ったりすることが出来ました。

その後、見事に仕事に戻った彼女はというと・・・休職前に逆戻りです。
しばらくは、長期休暇明けというプレッシャーと再発の不安に晒されながら、休職前よりもハードな平日を過ごしていたものと想像できます。以前よりも週末の休養が貴重な時間になると思った僕は、東京に居ると、ついつい出てしまう「老婆心」を抑えるのが難しいため、何の目的も持たずに東京を離れることにしました。

病症が出ているとき、テレビの音が耳障りだったり、突発的な音(携帯電話の着信音など)、それから文章への理解度が極端に落ちるという症状が出ます。それを配慮して、だいたい3日に1通、少ないときには週に1通、週末に「お仕事おつかれさま」という簡単なメールを毎週送っていました。
「紅葉がキレイな季節に帰るから、一緒に行けたらいいね」なんて話も交わしていました。


ところが、10月の中旬あたりから、返信が来ていたメールがプッツリと途絶え、音信不通のまま1ヶ月が過ぎました。

さすがに心配になり、電話をしようと考えました。
しかし、僕は電話をするという事には、とても慎重になり、かなりの決心と勇気が必要なんです。
というのも、僕自身、うつ病が重度に陥ったときに経験しているのですが、電話のような突発的な音撃には極端な恐怖が芽生え、動揺と混乱を誘引してしまう場合があるのを知っているからです。

ただ、このまま音信不通のままだと、少ない情報のまま状況を推察しても、想像が無限に拡がってしまい、最悪は事件に巻き込まれたとか、入院したとか、あるいは病症の悪化で自らの命を・・・ということも考えられます。そこで意を決して電話を試みました。


出てくれませんでした。


でも、その直後1通のメールが届きました。

「いろいろと大変で、心身疲れていますが、なんとかやっています。落ち着いたら連絡をします」

そんな内容でした。
とりあえず、携帯電話が繋がる場所に居て、やはり想像していたように具合はよろしくないらしい。という事がわかったのは、内容はともかくとして安心するには十分でした。


それからまた三週間が経ちました。
こちらの行動連絡と、週末の「おつかれさま」メール。調子が悪いのは分かったので、今までどおり100字程度の短い文章で毎週労い続けています。こんな些細なことでも、少しは彼女の支えにはなるかな?という一心です。

あいかわらず返事はありません。

三週間もあれば、状況はかなり動く可能性があります。あの後、入院しちゃったんじゃないかとか・・・とにかく色々と考えてしまいます。それで、考えた末、また電話をすることにしました。僕はこの決心をする度に、相手の辛さを思い、心を悩ませて、自分も悩み疲れ果てて電話をするのです。たとえ、そこに元気のない声が聞こえてこようと、「あー生きててくれた」と思えることが、どれだけの救いになるか・・・。


そんな祈るような期待も虚しく、電話はつながりませんでした。
契約は続いていることと、コールをしている(繋がる場所に居る)ということが解ったことだけが救いです。


この1ヶ月半の間に届いたメールはわずかに1通。ほとんど音信不通で状況も解らないのです。
僕が心配をしているであろうことは、容易に察しがつくところです。病症がひどければ、そのようなゆとりがなかなか無いという事は僕でも解るけど、少ないゆとりのほんの一部を割いて、電話の一つでも掛けてくれれば・・・と期待してしまいます。

それを許さないのが うつ病。

この件を聞けば、多くの人が「絶対おかしい」と言うでしょう。うつ病を身をもって知る僕でさえも、この状況には非常に懐疑的なんです。相手の事を少しでも考えられる人であれば、このような状況には陥ることはないだろうと。
それを、ぜんぶ「病気だから」というところで落とそうとして、彼女自身の格を疑いたくないという僕の気持ちが、客観性を失わせ、盲目にしてしまっているのかもしれません。

「信ずる者をひたすらに信じ、それに殉じるがごとく生きる。」
この自分の生き方は、自分がうつ病になってしまった原因の一つであると解っていても、捨てきれない。この一途さが自分の誇れる一面だと思っているのです。でも、それは時には長く辛く苦しい忍耐という試練を与えます。

残念ながら、それを越えたときに報われるとは限りません。
「信じるものは救われる」という格言はウソだったという事は、自身の経験で証明されてしまいました。
心の古傷がうずくのです。今回の事も、最後は僕にとっては悲しい結末になるではないか・・・という予感がします。
救える命
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