2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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2年ほど前に購入した『タイ米』10kg。
これが、予想以上においしくなくて・・・なんとか半分くらいは食したのですが、これが無くならないうちは新しいお米を買おうという気持ちにならなくて処遇に困っていたところ、すべてを母が引き取ってくれるという運びになりました。
はじめのうちは、母の”料理の腕”で、食べてやろうと思っていたようなのですが、母もまた僕と同様、『予想以上にマズい』という結論に即日達した様子。1年強もの間に半分以上を食べた僕は辛抱がいい。
それで、実家の庭に備えつけてある餌台にこのタイ米を置いたところ、その日は何物も寄り付かなかったらしいのですが、そのうち写真のスズメ達が日を追うたびに増え、今ではなんと20羽かそれ以上のスズメ達が集まってきます。
今では、母が起床をして餌台にタイ米を置く朝の6時半から7時にかけての時間帯になると、周囲の電線にはタイ米を待っているスズメ達がズラーリと並び、母がお米を置くのを心待ちにしています。
そんなほのぼのした日常は母から聞いてはいたのですが、やっと自分で見る機会ができました。スズメの警戒心は大変なもので、僕が近くで見たいと家の玄関まで行ったら、玄関の扉を開ける前にその気配を察知して飛散してしまいます。スズメ達には、母は『いつもエサをくれるおばさん』で、僕は『よそ者』だということが判っているようです。
この写真は、遠く離れた2階のテラスから、カメラの望遠一杯で撮影したものです。
スズメ達の食欲は大変なもので、茶碗1杯分くらいのお米を、わずか数十分でたいらげます。おかげで持て余していたタイ米も残りわずか。母がいうには、スズメ達は最近『タイ語』で喋るようになった気がするらしい。
これが、予想以上においしくなくて・・・なんとか半分くらいは食したのですが、これが無くならないうちは新しいお米を買おうという気持ちにならなくて処遇に困っていたところ、すべてを母が引き取ってくれるという運びになりました。
はじめのうちは、母の”料理の腕”で、食べてやろうと思っていたようなのですが、母もまた僕と同様、『予想以上にマズい』という結論に即日達した様子。1年強もの間に半分以上を食べた僕は辛抱がいい。
それで、実家の庭に備えつけてある餌台にこのタイ米を置いたところ、その日は何物も寄り付かなかったらしいのですが、そのうち写真のスズメ達が日を追うたびに増え、今ではなんと20羽かそれ以上のスズメ達が集まってきます。
今では、母が起床をして餌台にタイ米を置く朝の6時半から7時にかけての時間帯になると、周囲の電線にはタイ米を待っているスズメ達がズラーリと並び、母がお米を置くのを心待ちにしています。
そんなほのぼのした日常は母から聞いてはいたのですが、やっと自分で見る機会ができました。スズメの警戒心は大変なもので、僕が近くで見たいと家の玄関まで行ったら、玄関の扉を開ける前にその気配を察知して飛散してしまいます。スズメ達には、母は『いつもエサをくれるおばさん』で、僕は『よそ者』だということが判っているようです。
この写真は、遠く離れた2階のテラスから、カメラの望遠一杯で撮影したものです。
スズメ達の食欲は大変なもので、茶碗1杯分くらいのお米を、わずか数十分でたいらげます。おかげで持て余していたタイ米も残りわずか。母がいうには、スズメ達は最近『タイ語』で喋るようになった気がするらしい。
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