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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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山口に帰省してから早や1週間が経過しました。
午前中、あるいは午後には庭仕事を手伝って汗をながし、お昼時には海で泳ぐのが日課です。
たまに母の御飯の支度を手伝うなどして、お料理の勉強もさせてもらっています。

毎年、帰省するときは、どうしても離れにある自分の工場でなにかしないと・・・と思ってしまうのですが、今回の帰省は、お仕事の事は念頭からはずして、体力強化と家事の訓練。これに集中することにしています。

はじめは海に出ても、泳ぎ方を忘れていたのと、体力的な問題であまり距離を出せませんでしたが、『今日はもう少し先まで行ってみようかな?』と毎日すこしずつ泳ぐ距離を伸ばして行ってます。


それにしても暑いです。
両腕はあっというまに、まっくろに焼けました。
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2年ほど前に購入した『タイ米』10kg。
これが、予想以上においしくなくて・・・なんとか半分くらいは食したのですが、これが無くならないうちは新しいお米を買おうという気持ちにならなくて処遇に困っていたところ、すべてを母が引き取ってくれるという運びになりました。

はじめのうちは、母の”料理の腕”で、食べてやろうと思っていたようなのですが、母もまた僕と同様、『予想以上にマズい』という結論に即日達した様子。1年強もの間に半分以上を食べた僕は辛抱がいい。

それで、実家の庭に備えつけてある餌台にこのタイ米を置いたところ、その日は何物も寄り付かなかったらしいのですが、そのうち写真のスズメ達が日を追うたびに増え、今ではなんと20羽かそれ以上のスズメ達が集まってきます。

今では、母が起床をして餌台にタイ米を置く朝の6時半から7時にかけての時間帯になると、周囲の電線にはタイ米を待っているスズメ達がズラーリと並び、母がお米を置くのを心待ちにしています。


そんなほのぼのした日常は母から聞いてはいたのですが、やっと自分で見る機会ができました。スズメの警戒心は大変なもので、僕が近くで見たいと家の玄関まで行ったら、玄関の扉を開ける前にその気配を察知して飛散してしまいます。スズメ達には、母は『いつもエサをくれるおばさん』で、僕は『よそ者』だということが判っているようです。
この写真は、遠く離れた2階のテラスから、カメラの望遠一杯で撮影したものです。

スズメ達の食欲は大変なもので、茶碗1杯分くらいのお米を、わずか数十分でたいらげます。おかげで持て余していたタイ米も残りわずか。母がいうには、スズメ達は最近『タイ語』で喋るようになった気がするらしい。
前夜の長距離バスは、定刻どおり8時半にJR広島駅に到着。
マクドナルドでコーヒー1杯を無料で飲めるというバス会社の心憎い気遣いをありがたく頂戴し、広島駅構内のマクドナルドで目ざましのモーニングコーヒーを飲みながら、しばらく休憩。

実家で留守居をしている母と連絡をとったら、実家の最寄駅より3駅手前の駅まで迎えに出てくれるという事になり、好意に甘んじることに。なにしろ電車の本数が少ない田舎ですから、次の電車までマクドナルドでゆっくり過ごす。

しっかし、西日本は暑い
東京とは比較にならないくらいに陽射しが強く痛いくらい。でも、それも懐かく思えます。


約8か月ぶりの実家です。
西側の部屋には、今夏、母の一大プロジェクトだったグリーンカーテン(へちま)が見事にその成果を出していました。西日が強くて、陽が傾くと西側の部屋がサウナのようになってしまうのが悩みの種で、すだれを掛けるなどして凌いでいたのですが、グリーンカーテンは見るからに涼しげ。西日が入ると、グリーンカーテンの葉の影が部屋のカーテンに映り、とても風情があります。


家でしばしくつろいだ後、夕方ころにビーチへ。
歩いて30秒ほどで着く海岸は、今も昔も変わりません。静かな波音の瀬戸内海は、いつになく透き通るような水でとてもキレイでした。

明日から体力づくりのため、しばらくお世話になります。


母とは東京で会って20日ぶりくらいですが、馴染んだ実家でゆっくり話するのは久しぶりの事です。話しが弾んで、気がつけば夜中の2時過ぎ。『そろそろ寝ようや』という事になって就寝。

約1か月の予定の実家生活。こんどはきちんと目標を持って来ました。
過去2年間とは違った心境で、充実した時間を過ごせればと思います。
いよいよ今日は御郷帰りの日です。
まったく旅支度をしていませんでしたが、出発が夜ということもあって、気持ちにとても余裕があります。

朝起きて、冷蔵庫の最後の片づけとお弁当作りをしました。それから、家の片づけをしながら、末弟に渡したいDVD作りと、彼女に頼まれているテレビの録画の予約。
忘れないうちに戸じまりをして、ガス栓を閉じて、使わない電化製品のコンセントを切って、あとは荷物の用意。

午後3時を過ぎたころ、入れ替わり(というつもりはなかったんだけど)で上京してきた父に会いに行ったら、なんと僕のお弁当を作ってた。いらないって伝えてあったのに、父はコウと言ったら聞きません。
ありがたくお弁当を受け取って、自分で作ったお弁当は帰宅して早々に食べてしまいました。

移動時間12時間。
自宅から実家までのdoor to doorでは、約14時間といったところでしょうか。未経験の長旅になります。
集合場所に20時過ぎの予定でしたが、大都会で迷うことを想定して、少し早めに19時ころに家を出発。しかし、周到に用意をしていたおかげで迷うことなく現地に到着。

20時半。長距離バスに乗車。いよいよ出発です。

心配していた座席は思いのほか座り心地が良く、新幹線や飛行機のエコノミーシートと比べればずいぶんとゆったりできました。リクライニングもかなりの角度で倒れるし、フットレストまで付いていて、かなり快適です。


出発して30分ほどして、早々と車内は消灯されてしまい、お弁当を食べる暇もありませんでした。もう寝るしかないという雰囲気になりましたが、不眠症の僕はとうぜん眠れません。
暇つぶしに携帯電話を触れば、バックライトが煌々と点灯するのが目立ってしまうし、幸い窓際だったので外を眺めていようかと思えば、カーテンは開けてくれるなといっているかのようにガッチリと固定されているし
薬を飲もうにも明かりが無くて飲めないしで、どうしようもないまま3時間が経過。

日付が変わり午前0時を過ぎたころ、1回目のトイレ休憩。
『恵那峡』というところで30分ほど停車。

トイレに行って服薬もできて、タバコもゆっくり吸えるくらいの十分な時間があるのがとても有難い。

その後も3時間半おきくらいに、『三木』、『福山』と計3か所でトイレ休憩。
眠ってしまえば、3時間半はさほど苦にならず、12時間の長旅も思った以上に快適でした。

途中、福山でのトイレ休憩では、乗客の1人が定刻に戻らず、20分ほど出発が遅れるアクシデントあり。
東京の出発も30分ほど遅れたので、計50分程度の遅れが発生していたものの、到着は定刻どおりの翌朝8:30でした。


初めての長距離夜行バス。
トイレ付きでなかったのが心配でしたが、なんだかんだでとても快適な旅でした。
JRの吊広告で、両親の郷里 山口県の宣伝を見つけました。
本州の最果ての山口県は、『空母艦載機の移転問題』や、先日の『秋葉原無差別殺人事件』の容疑者が宇部から来たなど、全国ニュースにチラチラと名前が出ますが、あまり良いニュースがありませんね。

僕は山口と聞けば関心を持ちますが、山口県ってどこにあるかも知らないという人は結構いるとか。知名度が低すぎますね。

なんか、こんな広告を見るとありがたいなーという気持ちになります。


そんな山口県の実家へ、明日から郷帰りです。
週末は巷では連休ですが、彼女が働く会社は土曜日が出勤日でした。
でも、半ドンにするから~と連絡が来たので、急きょ午後に家を出て彼女と会う事にしました。

今日も東京は真夏日でしたが、軽装をしてタオルと水筒を持って、元気に最寄駅まで歩きました。ついた駅から彼女の家までも徒歩。合わせてだいたい1時間弱くらい。けっこういい汗かきました。

彼女は昨日が通院の日で、医者からはかなり不安定な状態と診断されたらしく僕は心配をしていましたが、今日は割と安定しているように見えてホッとしました。
なるべく彼女から話を聞き出すように、そして楽しい一時を過ごして、イヤなことは束の間でも忘れられるように。辛い気持ちが和いで少しでも幸せを感じられるように・・・これは僕自信の経験から得た鬱病の『特効薬』。誰にも通じるものではないかもしれないけれど、僕は自分の経験と思いに忠実にやっていくしかありません。


前に会ったときより大分片付いて整然とした彼女の部屋。
一望していると、ふと変わったものが目について『あれ、なぁに?』と聞いたら、それは神経衰弱のカードでした。
marimekkoというフィンランド発のブランドらしく、お気に入りの様子。僕はブランドにはトンと疎いので、まったくわからなかったけど、なかなかオシャレなカードでした。懐かしさもあって、やってみようよということに。

普通、神経衰弱ってトランプでやるので、カードの絵柄も馴染みがあるし、形も四角なので、なんとなあく並びのイメージが頭に入りやすい。でもこのカードは絵柄もわからないばかりでなく、形はナント円。円形のカードは、縦とか横とかの区別がつきにくいので、この神経衰弱は意外に苦戦
彼女が次々とカードを引き当て、緒戦は彼女に大差をつけられましたが、後半になって僕が追撃なんとか2枚の僅差で辛勝しました。しかし、文字通り神経が衰弱しましたわ。


来週の月曜日には、僕が帰省をするので1か月ほど会えなくなってしまうので寂しくなるけれど、お互いに楽しいと感じられるヒトトキを過ごせたと思うので良かったです。
アルバイトは昨日で終わりました。
なんか、緊張から開放されたのと、空虚な気持ちで、ぬけがらの様になっています。
いつもなら、こんな時は沸々と『焦り』が込み上げてくるのですが、1ヵ月半の間の蓄積した疲労とある程度の達成感に満たされていて、今は休養に専念できそうです。

昨夜から鈍い頭痛が続いていたのですが、朝起きても頭痛が残っていたので久し振りに鎮痛薬のお世話になりました。これが効いたのか、なんと腰痛も消えた

しまった~この手があったかーと思ったけど後の祭り。 鎮痛薬で痛みを抑えるという発想があれば、アルバイトももう少しは続けられたかも知れなかったですが、後悔しても始まりません。


アルバイトの契約も予定より短く終わってしまったし、次の課題として体力増強と腰痛療養という命題が明確に見えてきたので、実家へ帰省するというのも悪くないなーと思いはじめて、今月中に1月ほど帰省できるようスケジュールを調整しています。

財政難が深刻なので、JR・飛行機と帰省のための交通手段をリサーチしていたのですが、高速バスという手があったかと思い立って調べてみたら、これがすごく安い!
しかも、最近の長距離高速バスは、飛行機でいうところの1ランク上のクラスで座り心地(寝心地)のよい座席シートのものもあることが解り、これを使ってみようと思っています。費用も新幹線・飛行機の半額以下で済むということで、どんなもんか、とても楽しみになってきました。

帰省は来週月曜日を予定。
海で泳いだり、庭仕事を手伝ったりなどしながら、体力をつけてこようと思います。在京中は腰痛の療養と、冷蔵庫の在庫整理に専念して、引きこもります。


今年の夏は帰省できないかと覚悟していましたが、気が向いたときが吉日です。
自分の中でも明文が立ったので、約半年ぶりの帰省を満喫してこようと思います。
救える命
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