忍者ブログ
2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
Twitter
プロフィール

HN:
TAKE
自己紹介:
干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
カレンダー
09 2024/10 11
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
クリックをお恵み下さい
最新記事
(04/05)
(03/25)
(03/23)
(03/22)
(03/11)
バーコード
ブログ内検索
フリーエリア
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今日は敬老の日です。
祝日でなくても、高齢者は常に敬って然るべきです。改めて考えると、おかしな祝日だなぁ・・・と思います。

まぁお仕事をされている方々にとっては、理由はどうあれ休日はありがたいことですね。


両親も齢65を過ぎ、『老齢』と呼ぶにふさわしい年齢になりました。
しかし、親を「敬老の日」に祝うというのは、なんだか抵抗がありますね。いつまでも若く居てほしいという願望なのでしょうか。

「特別なんもせんが、感謝しとるよ」

とだけ、チャットで伝えました。


夜、母がチャットに出てきて、「思わぬところから敬老の日のプレゼントが来た」だって。

「誰からよ」と聞くと・・・なんと docomoショップ。


母が携帯をカメラ付きのに変えたいと常々言っていて、僕が滞在中のほうが良いわということになって、8月初めにショップに行って機種変更したんだけど、その時、あまりに暇なんできょろきょろと物色していたら、なんかのキャンペーンで応募用紙があったのを見つけて、まぁ切手貼らずにココで渡せばタダだし、書いて出しとけ。。。みたいな話した記憶がある。


どうやら、それが当たったらしい。すげー。
当たったのは、超多機能な体脂肪率計。たぶん、TANITA BC-501

実家で使っていた体脂肪率計は、在京中に弟が買ってきたオモチャみたいなやつで、最近は動きも怪しかった・・・毎日、その体重計に乗っては一喜一憂している親父も、「あの体重計は多めに出る」とか言ってる始末。

古い古い体脂肪率計は、即刻、お役御免になったらしい。月末の帰省で、「使い方を教える」という仕事が一つ増えたようだ。なんにしても、ハッピーな事です。
以前から両親が楽しみにしていた、本州からフェリーで愛媛に渡る旅行。
17日の予定だったけど、間の悪いことに台風が近づいてて、渡ったところで帰れなくなる公算が高いらしい。というわけで予定を延期にするみたい。せっかく小田和正のコンサートに日程を合わせてたのに残念だったね。
PR
先週末、345円の大幅安を演じた株式市場。
目先の抵抗線とされていた12500円を一気に突き抜いて割り込んだ
景況不安による『世界同時株安』である。

週明けの月曜日、今度は412円の大幅高を演じて12500円の壁を取り戻す。今年の春先から急速に東京市場から多額に流出したマネーが、好景気だった欧州・オーストラリアの景気減速を受けて、円に逆流しはじめているとか・・・なんか期待が持てそうな感じだけど、日本は既に『景気後退局面』に入っていて企業業績に期待を持つのがなかなか難しい。

そもそも、ついこの間まで『戦後最大の経済成長』だったというのが眉唾な話。一般の人たちのほとんどは、日本の景気が良かったなどとは感じていなかったはず。人件費を節約するために日雇い派遣やワーキングプア、ネット難民など生みだして企業やファンドが利益を得たのが『経済成長』なのか?
小泉元首相がやってきた構造改革は痛みを伴い、国民の多くが苦しんだ。さらに、そのツケで国全体が苦しみ歪んだ。今、まさに国としての価値が世界に問われており、とても不安定な状況が株式市場に如実に表れているように感じる。


第一四半期で多くの企業が下方修正を連発し、デフレリスクが高まる中、両親から投資資金を350万あずかった。
父は自分が勤めていた会社の株価が下がっているのを見て『今買え、すぐ買え』とまくし立てる。『愛社精神』は美しいが、景況も業績も見ずに『安い』という父は無謀・無策以外のナニモノでもない。
母に『彼のお金なんだから、好きなようにさせてあげて』とたしなめられて望むように集め始めてはいるが、自分がまだ株価が下落すると読んでいる銘柄を買うというのは精神的にかなり堪える。。。

僕にやらせずに、自分でやればいいのにさ。


個人的には、菊水電子工業とマックスバリュ東海・西日本に注目中。
朝は普段どおりに起床。
日中は株見て過ごす。市場が終わって、16時ころだろうか。昼寝のつもりで少し横になったつもりが目が覚めたのが…なんと23時すぎ

寝過ぎ。

僕は夢を見ることは滅多にないんだけど、おもしろい夢を見た。
ワーキングホリデーみたいなものだったのだろうか、何と僕が行ってステイした先は・・・


”金星”


地球じゃねぇの(笑)
「やっぱ携帯は圏外だわ」とか、
「地球と自転・公転の周期が違うから、カレンダーも合わないっすね~」とか、
「太陽が近いから日中は暑過ぎるので外出禁止」とか・・・
わりとリアルっぽい事いってんの。笑える~

んでもって帰るとき、「この穴通ると、上海に出るから」とか。シャトルじゃなくて、ワープするのね。それにしても、なぜ中国

いやーとにかく、わけのわからん夢でしたわ。
うなされない様な夢を見たのは、ほんとに久しぶりの事です。
僕は電気系の学校を卒業して、電子精密機器の設計なんぞに携わっていた経歴がある。また、使った事はないが「第2種電気工事士」という資格も持っており、生粋の「電気屋さん」と思っておっておる。自分では。

ちなみに「電気屋さん」というのは、いわゆる町の電気屋というのではなく、業界用語とでも言おうか…「電気系エンジニア」の事をいいます。僕は「電気屋さん」という呼び方が、何だか温かくて好きです。

そんな話は、ちょと横に置いておいて…

一昨日、「元気に百歳」クラブの季刊誌発行のお手伝い…とは言っても、紙を折りたたんでいるだけの作業なのでクチは暇。まぁ、雑談などしながらやってるわけだけど、そこで僕に対して「プログラマー」という表現を使ったのを聞いて「ハテ?」と妙な違和感を感じたわけ。
思い起こしてみると、お仕事を辞めてから、「元気に百歳」クラブのボランティアとか田舎でくらいしか新たな人間関係は無いんだけれど、どうも皆さん僕が「パソコンに詳しいおっさん」=「その道の人」という解釈のほうが理解しやすいからか、パソコン関係の人と思われている場合が非常に多いのである。

従姉が「プログラマー」だと言ったのは、僕が封筒を印刷するためのソフトを作ったのを受けての話なんだけど、本業を離れて、こう「パソコンのトラブルを聞ける人」でアテにされたり、「プログラマー」とか言われたりしていると、なんだか自分でも自分が「なに屋??」なんだか解らなくなってくる。


僕は「電気屋」。
百歩譲って、「エンジニア」であります。


でも、守備範囲が広すぎってのもあるのよね。結局、僕は「何屋さん」になりたいんだろう・・・なぞ。
昨夜、インターネットをなにげなく見ていたら、21:30から緊急記者会見があるという報道記事が出ていたので注目していた。内閣改造人事から1ヵ月。まさかの辞任表明

おいおい、いーかげんにしてくれよ。

安倍前首相のときもそうだったが、これじゃあ政治が機能しない。閣僚は在任期間が短すぎて、さてこれでやっと仕事を始めようか・・・という矢先に総辞職だ。政治不安がどんどん大きくなっていく。

いっそ衆議院解散・・・というのも頭をよぎるが、仮に政権交代になったとしても民主党の政権担当能力は、はっきりいって心もとない。民主党は長く野党という座に居て、マニフェストもロマンティックすぎてリアリティを欠く。
与党を野次ってるのが民主党としても居心地がいいのでは??


福田総理は僕個人としては評価している。
自民党は参議院で過半数を握られて『ねじれ国会』を生んだのが、そもそも政治が膠着した原因ではあるが、そもそもの原因は、公明党という『毒』を飲み、連立したことに問題があったように思う。野党に対抗するための苦肉の策であったのだろうが、体力を失い様々な制約の中でしか運営できなくなった状況で、なんとか前へ進もうとした真面目さを僕は感じている。

ただ、ひとこと言いたいのは・・・彼の出身である地元の某ゼネコン企業。
そこの株で、僕はウン百万の大損をぶっこいて、そのお陰で僕は生活危機状態だ。
本音を言えば、地元に金を落として活性化してほしかった~

まぁ今の時代、それを許さないんだろうけどね。
彼女の出身は、東京都で唯一の村である檜原村です。
今日は、お祭りがあるという事で、お誘い頂きました次第です。

東京では、夜になると集中的な雷雨に見舞われていまして、日中は陽が射していて安心していたのですが、夜になると案の定のドシャ降り

彼女のご実家はJR駅前から山を延々と上った先にありました。エラいとこです。
ご実家には、彼女のお父さんの仕事仲間や御親戚が集まっていて、盛り上がっていました。完全に僕だけが『ヨソ者』だったのですが、温かく迎え入れて戴いて、おいしいお酒をたくさん飲んできました。

しばらくご実家でお世話になって、22時もだいぶ過ぎたころ、お祭り見に行こうか~という話になって、さらに山を車で登ること2~3分。現地に到着。獅子が舞っていました。こちらでは『獅子が狂う』と言っているようですが。メス1匹をオス2匹が取り合っているんだって。

このお祭りには、村1番のべっぴんさんが4人(1番が4人??)選出されてお役目をしているという話を聞いて、とても楽しみにしていたのですが、時間が遅いとベッピンさんの年齢がグンと上がるとか・・・。
僕が行ったときには、どちらのベッピンさんも不在でした。残念。

彼女の家は、3人姉妹。ひとりお嫁さんに行っているんだけど、そのダンナさん(偶然にも同じTAKEさん)はお酒を飲まないとか。彼女のお父さんは、彼女がお酒を多少飲める男友達を連れてきてくれた事を喜んでくれたみたい。そのあと、近くの飲み屋に誘われて、夜中の2時過ぎまで飲んで語りました。


一同に会したのは10人ほどでしょうか。そのうち3名の方が、なんと今年山口県を訪れてくれていて、岩国が誇る名橋『錦帯橋』を見て下さっていたのには感動をしました。うれしいことです
今日の夜行バスで東京に帰ります。

午前中は宅配便で自宅に送る荷造りをし、気がつけばお昼。
そうめんを食べて、いつものように数時間のお昼寝をしました。

3年前から何度も帰省を繰り返し、その度に東京へ戻るというこの日を経てきたのですが、今回の帰省は自分にとって大きな心境の変化があったように思います。
夕方にはこの地を離れなければならない事がとても切なく涙が溢れて止まりませんでした。その時、何を思いそうなったのかは数日前の事なのに良く思い出せませんが、今度の帰京には今までにない覚悟と、立ちはだかる大きな障壁への不安や恐怖。

そして、両親と数か月という長い時間を共に過ごし、自然と共に暮らしていくという事が、僕の今の年齢では非常に困難であるということ。社会に復帰し、自立した生活を取り戻さなくてはならないという現実に直面せざるを得ないのが、つまり東京に戻るという事。
帰省して親孝行をできる機会と現実の両立の難しさを考えたとき、もうこの場所には戻ってこれないかもしれない・・・という絶望感が涙を誘ったように感じます。

今回の帰省は、過去とは違って、目的意識を持ち、できる範囲ですが行動を伴ったという意味で自分にとっては合格点でした。生活や経済的な自立にはほど遠いところではあったけど、僕なりにもがき、病気に抗って前に進もうとする姿を見て、今までの僕とは違う何かを感じ取り、両親は喜んでくれたのではないかなぁ~と思います。
救える命
Copyright © 2008 めざすは『社会復帰』だ! All rights reserved.
忍者ブログ [PR]
Template by SOLID DAYS