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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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畑で育っていた得体の知れない大きな実。
母曰く、「植えた覚えがない」らしく、出所・正体まったく不明で、食べ物かどうかもわからない。隣人曰く「冬瓜じゃないか」。

そのうちの1つが、自分の重さに耐え切れなくなり自然落下。こうなっては仕方がないので、これを収穫することにしました。

全長40cm足らず、重さが約5kgのこの巨大物体は・・・





どうやら、冬瓜(とうがん)に間違いがないようです。

冬瓜は沖縄の夏野菜らしいのですが、収穫したあとも、そのまま冬まで保管が利くことが名前の由来だそうです。茎や葉、そして実は痛いほど鋭い毛で覆われていて、これをタワシでこすり落とすらしいのですが、収穫したものは毛が枯れてツルツルでした。この状態だと熟れすぎらしいです。
切った内面は、種と皮の間に空気の穴が出来ていましたが、売られている冬瓜にはソレはなくて、身が詰まっていて種が小さいです。やはり熟れすぎだったようです。

食べ方がわからないのですが、シンプルに出汁で煮ると水晶のように透き通ることから水晶煮というものがあるらしいですが、そのへんも詳しいことは解らないままです。
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イラスト・図解 基本からわかる電気の極意
望月 伝(著)


これも、とても読みやすい本でした。
基本の『キ』から解りやすい例を交えて丁寧に説明されている上に、実践・実務上の注意点が説明されていて、経験上「あーなるほど」と納得できる部分も多くて、楽しく読むことが出来ました。

この本で、実に10数年ぶりに『電磁気』というものを思い知らされました。ファラデーの法則やら、磁力の単位[Wb](ウェーバー)やら・・・遠い遠い記憶を辿ることになりました。

電気磁気(磁気というのは、平たく言えば磁石の話)というのは、とても密接な関係があり、切り離して考えることは出来ないのですが、学生当時、この磁気学というのがとても嫌いで、赤点スレスレだった記憶があります。
本を読んでいて、このくだりが出てきたときに真っ先に思い出したのは『苦手意識』でした。
丸3ヶ月ぶりに車を運転しました。

予行演習なしでいきなり国道に出て走りました。久しぶりにアクセルを踏んで、ちょっとビックリしましたが、走っているうちに段々と感覚が戻ってきました。

我が家から15kmほど離れたところに、周防大島という景観がすばらしい島があり、本州から国道を通って渡ることができます。橋のふもとにあるホテル大観荘はけっこう良いホテルです。ロビーから見渡せる海では、うず潮を見ることもできるそうです。

良いホテルですが、お値段はかなりリーズナブルなようです。山口に来られる方にはおすすめのホテルです。

周防大島には、いろいろな見所がありますが、交通の便は最悪といって良い状態。レンタカーなどで自由に動き回れれば、海岸沿いを一周できて楽しいです。島内には、原因不明の事故により沈没した戦艦「むつ」の資料館があります。


初心者マークが光っています。
これがあると、黄門様の印籠のように、周りが避けてくれるので便利です。早く外したい人も多いようですが、僕はずっと付けていたいくらいです。




やっぱり海はいいなぁ~。

やっと帰ってきたーという実感が沸いて来ました。

海岸を散歩していたら、さすがにもう海水浴をしている人は居なくて、磯釣りをしている親子が居ました。

キスをバケツ一杯、釣り上げてました。すごい!


高台に上って、しばらく海を眺めました。天気が良くなかったのが残念。そのうち小雨がパラついてきたので、急いで家へ帰りました。寝不足で疲れていたはずなのに、海にパワーを分けてもらった感じです。


海水浴場の駐車場跡地に老人ホームの建設が予定されているらしく、キレイに整地されていました。この辺りは老人ホームだらけです。眺望が良い立地ですが、一応海水浴場なので、シーズンになれば若者や外人さんが集まります。セキュリティが心配です。
今夜には家を出て、明日には実家に帰っている予定なのに、その実感が全く持てない。

淡々と過ぎ、刻限に近づく時間が、なぜか夢、幻のように感じられる。

「本当に行かなくちゃいけないのかなぁ~」と思い、何度も予定表や予約内容、時計を確認しながら、冷蔵庫の中身の整理を余念なく実行。ガス栓、戸締り、コンセントを確認し、持ち歩くデータをUSBメモリに移し、夜食も持って準備は万端。気持ちだけがついてこない。

18時半ころ、実感がないまま予定通り家を出発。
新宿で(バスの)チェックインが終わって、ようやく「あー今日は21日で、僕は山口に行こうとしているんだ」という実感が出てきた。なんだか、まるで自分が自分でないような解離感がずっとつきまとっている。

家を出る前のニュースでは、下り線でも渋滞が始まったと報道があって心配したけど、バスは中央道をスイスイ進んでいく。途中のサービスエリアでは、駐車場で寝ている人や、いろんな地域ナンバーの車、深夜だというのにトイレで子供に遭遇したり、バスの客もカップルが多かったりと、いつも(平日)とは違った光景が大型連休を感じさせた。


しばらく眠れなかったけど、0時過ぎに車内で睡眠薬を服薬した。それからは幾分か時間が経つのが早く感じられたので、少しは眠ったようだ。バスは予定どおり翌朝8時に広島駅に到着。
帰省の日程を立ててから

健康保険証の更新
漏電ブレーカーの設置工事
積立金の支払い
オークションの取引完了

など、予定の立たない未解決用件が重なっていて、どうしたものか・・・と頭を痛めていたのだけれど、土曜日までに全てが終わり、憂いがなくなり一安心。

巷では昨日からシルバーウィークに突入。シルバーウィークの『シルバー』は、ゴールデンウィークの次という意味なのか、敬老の日を挟む意味でのシルバーなのか・・・。まぁそれは良いとして、テレビでは下り線の渋滞騒ぎを中継している様子が放送され、深夜行とはいえ、明日は大丈夫かなぁと心配になった。

帰省を明日に控えて、食材の整理は大詰め。
週末には父が入れ替わりで上京するため、そのために早朝のタマゴの特売の行列に並んでタマゴを購入。この日は20日だったので、移動中の軽食や、帰京後の食料在庫の購入のために、20日のお客様感謝デーであるマックスバリュに行くことにした。

少しでも汗を出せるように、水筒にスポーツドリンクを入れて、日が高い真昼時に出発。途中のラーメン屋で壮行会でも(一人淋しく)執り行なおうと思って、周到に昼食を抜いて出発したが、14時を過ぎているというのに、すごい客でとても入店できそうにない。さすがシルバーウィーク。家族サービスで繁盛している。

しかたなく、昼食を我慢して、直接マックスバリュへ。
入念に1000円分の買い物をし、100円引きの優待券を提出して、950円で精算。


帰りに駅前を通過したところ、献血車が止まっていた。
先日の通院のとき、偶然にも献血の話を主治医に尋ねていて、『献血はしても良い』と言われていたので、さっそくしようと申し込みをした。自転車を漕いで疲れていたので、給水をしながら休養をとって、献血車へ入り問診。

血圧と脈の測定で数字が悪かったので、再測定を繰り返している間、念のためと思い『うつ病の投薬治療中』と直接申告した。主治医から許可を貰っていたので、献血ができることに疑いがなかったのだが、その場で『献血できません』と言い渡され大変なショックを受けた。

抗うつ薬の投薬中は献血はダメだという説明だった。
ならば、なぜ主治医は『献血してよい』と言ったのだろうか。医師なのにそんな事情も知らないとすれば怠慢だし、知ってて良いと言ったのであれば、バカにしているにも程がある。どちらにしても、また医師不信に陥った。

献血を断られて車から出ると、『ジュース1本どうぞ』と言われて、戴ける資格はないと思いながらも、戴いてその場を後にした。ジュースを受け取ってしまったことで、献血できなかった事に対する申し訳なさが倍増して、とても暗い気持ちになった。

先日、ドナーカードを作ったが、献血もできないようでは、内臓など役にたつ論理がない。せめて血肉で人のために・・・と思っても、それすら役に立てない現実に、自分の生存価値がゼロに近いことを強烈に思い知らされた。


生きていれば、命ある動物たちの血肉を食べなければならず、しかし、そうまでして生きている価値もない。
考えたくはなかったけど、ならばやはり死んでしまったほうが、幾分かマシなんじゃないかと思うようになった。

生きていても死んでしまっても、ゴミのような存在なのが今の自分なんだ。
辛い1日だった。
台風が近づいているせいか、ものすごくブルーな気持ちになる。

人権、戦争。人命の尊厳を至高に考える世の中で、命の取り合いは倫理的にも道徳的にも愚かという。
でも、命というのは人間ばかりではない。植物にも動物にも生命があり、食用のため人間に食べられるためだけに生まれて殺されてしまう生命がある。

人間だって自然の中の生き物の一種に過ぎない。それが他の生命を脅かし、まして命の操作をすることなど、許されていいのだろうか? と考えるようになり、目の前に並べた食肉を食べることが出来なくなった。


食肉として育てられる家畜は、どのような思いで一生を過ごすのだろう。
喰うに困らず悠々自適に過ごせる一生を、例え短くても『良かった』と思うのだろうか。それとも不遇な運命と思うのだろうか。


人命の尊厳が、それほど尊いものだろうか?
人間が生きるために、生活がより豊かにと思うことは、汚くて醜い。
救える命
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