2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
Twitter
カレンダー
| 11 | 2025/12 | 01 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
クリックをお恵み下さい
カテゴリー
ブログ内検索
フリーエリア
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
早すぎる気もしないでもないのですが・・・。母の希望で、今年、クリスマスツリーを購入しまして、17日に組み立ててさっそく派手にチカチカさせてます。
昼間に組み立てて、作動確認をしたときは、あわや"安物買いの銭失い"の典型かと心配しましたが、夜になったらそれはそれは、とてもキレイに輝いています。
写真ではわからないと思いますが、これ、身の丈180cm以上の巨大ツリーです。
遠くからも良く見えるように、全面ガラス張りのサンルームに設置されました。
惜しむらくは・・・。
これは夜にしか見れないわけで。夜の来客など滅多にないド田舎ですから、人目に触れることは、まず無いのではないかと・・・。
完全に母の自己満足で終わりそうです。
とても奇麗なので、僕も時を忘れて見入っています。身内だけの楽しみという事になりそうです。
PR
昨年5月に召天した祖母の納骨式でした。
亡くなった直後に献体のお勤めに出てしまい、1年半の時を経て、先月ようやく帰宅をしました。葬式らしいものをしていなかったので、この納骨式が葬式でした。
祖母が所属している東京の教会の牧師に遠路はるばる山口までご足労戴き、しめやかに式が営まれました。
朝の10時に自宅で礼拝。
その後に墓地へ移動して、埋葬の式。墓に納められたのは、祖母と遺品。そして祖父の遺髪と、0歳で亡くなった僕の姉。
お墓はとても広いものだったので、祖母も独り寂しくなくて良いでしょう。
その後、葬祭場へ移動し、集まった祖母の教え子の方々らと記念礼拝。3~40人くらいが集まっていた。
僕は、ここまではまずまずの調子だっただけれど、狭い部屋に多くの人間が集まった光景を見て昨夜のことが一気にフラッシュバックし、急転直下。気分がストーンと落ちた。
部屋を出て、記念礼拝をボイコット。駐車場に止めてある車でしばらく独りで過ごす。
そのうち、人が減ったのを見計らって部屋にもどった。部屋の隅で目立たないように、ただ居て時間が過ぎるのを待った。
つらい2日間だった。
仕事の合間を縫って山口へきた他の親族には、ほんとうに申し訳がなく、合わす顔も無い。
自分の行動が原因で、印象を悪くして、一方的に人間関係を狭めていっているのだから、決してそれを望んではいないとはいっても100%自業自得。僕は、そうなるべくして、最後は誰からも見放され、そして孤立していくんだろうと思った。
6日の夜あたりから、なんか落ち着かず苛立ちが絶えない。
身体が動かないほどシンドイ感じはなかったけど、テレビの音とかがすごく耳障りに感じたりしたので、『これは怪しい感じになってきた』と警戒していた。警戒しても予定を回避できるわけではないので、こればっかりは仕方がないのだけれど…。
祖母の納骨式を翌日に控えた前日の7日。
親族と牧師が続々と現地山口入り。周囲に人が増えてくるごとに、気持ちとは裏腹に苛立ちが増し、居場所が無くなってくるような息苦しさがあった。到着した親族は、次の予定の時間までホテルの一室で待機していたんだけど、僕はとてもその場に居られず、まだ到着していない人のお出迎えという名目で、ホテルのロビーやバスターミナルで独り。
皆が集合し、19時から牧師もご一緒に食事会。
中華料理屋で10人で円卓を囲んだが、不調の状態でこれはかなりキツかった。狭い個室の閉空間で、皆の視線と会話が自由に行き交う状態が、僕の不調に拍車をかけた。僕は普段はオシャベリなほうなので、ダンマリしているだけでも異様。それに増して、症状が悪くなる一方で表情が消えていく様子が自分でもわかった。
何度も中座してトイレで表情を作り直しても、長く続かない。酒の力を借りようと、ビールを注ぎ込んでも気持ちはダウンする一方。
飛び交う会話や雰囲気に楽しいとか、つまらないという事も感じない。なにも感じない。
居るだけで、その場の空気を悪くしてしまっているであろう事だけが自分を支配していた。ここに居てはいけないと思いながらも、それに抗うように、この大切な場に居続けることに意地を張り、結局、みんなに迷惑を掛けてしまった。
1年半前に祖母が亡くなったときに親族が一同に集まったときも同じような感じだった。
ごく限られた狭い人間関係の制限の中では、うつ病が着実に快復へ向かっているという実感を感じはじめていたところだった。少しずつ取り戻してきた自信も、あまりにも脆く崩れさった。
こんなことを繰り返して、僕は一生を終えるのだろうか。
身体が動かないほどシンドイ感じはなかったけど、テレビの音とかがすごく耳障りに感じたりしたので、『これは怪しい感じになってきた』と警戒していた。警戒しても予定を回避できるわけではないので、こればっかりは仕方がないのだけれど…。
祖母の納骨式を翌日に控えた前日の7日。
親族と牧師が続々と現地山口入り。周囲に人が増えてくるごとに、気持ちとは裏腹に苛立ちが増し、居場所が無くなってくるような息苦しさがあった。到着した親族は、次の予定の時間までホテルの一室で待機していたんだけど、僕はとてもその場に居られず、まだ到着していない人のお出迎えという名目で、ホテルのロビーやバスターミナルで独り。
皆が集合し、19時から牧師もご一緒に食事会。
中華料理屋で10人で円卓を囲んだが、不調の状態でこれはかなりキツかった。狭い個室の閉空間で、皆の視線と会話が自由に行き交う状態が、僕の不調に拍車をかけた。僕は普段はオシャベリなほうなので、ダンマリしているだけでも異様。それに増して、症状が悪くなる一方で表情が消えていく様子が自分でもわかった。
何度も中座してトイレで表情を作り直しても、長く続かない。酒の力を借りようと、ビールを注ぎ込んでも気持ちはダウンする一方。
飛び交う会話や雰囲気に楽しいとか、つまらないという事も感じない。なにも感じない。
居るだけで、その場の空気を悪くしてしまっているであろう事だけが自分を支配していた。ここに居てはいけないと思いながらも、それに抗うように、この大切な場に居続けることに意地を張り、結局、みんなに迷惑を掛けてしまった。
1年半前に祖母が亡くなったときに親族が一同に集まったときも同じような感じだった。
ごく限られた狭い人間関係の制限の中では、うつ病が着実に快復へ向かっているという実感を感じはじめていたところだった。少しずつ取り戻してきた自信も、あまりにも脆く崩れさった。
こんなことを繰り返して、僕は一生を終えるのだろうか。
実家に帰省して、早1週間が経過しました。なんとか毎日更新しようかと、レビュー記事などをネタ元にして更新は続けてましたが、日常を書くのは久しぶりです。
僕の愛機、Panasonic CF-R3。(写真右)
モバイル用のパソコンとして3年以上使い続けたのは初めてです。
もっぱら持ち歩くためのパソコンとして所持していたのですが、今はメインのパソコンとして毎日稼動しています。
在京中は、ほかにパソコンがあるわけでもないので、小さい画面を相手に色々とやっているわけですが、帰省中には他にも良いパソコンがあるので、なにも愛機を使う必要もないかな…と思い、愛機を休ませることにして、古いパソコンを引っ張り出してセットアップしました。
画面も大きくて、使い勝手もなかなかです。
これに慣れてしまうと、モバイル機に戻りにくくなりそうですが、帰省中には色々な作業もありそうなので、まずは効率重視。スピーカーもステレオのものが付いているのでBGMをかけながら作業ができるのが嬉しいです。
少し古いパソコンなので少々機能不足な部分があり、悩みぬいた末、なけなしのお金を使うことに。
衣食住以外の使途にお金を使うのは、かなり久しぶりです。
やはり買い物は、なんか楽しいです。でも、お金を使った後はドヨーンとなります。
平日は毎日、株とにらめっこしながら、実家での庶務と8日に控えた祖母の納骨式があり、今週まではなんだか慌しく毎日が過ぎます。来週あたりから、グッタリできるかな。
| 7時30分 羽田空港着 はじめてVIPラウンジに入る。 秋晴れの済んだ空気、ラウンジの大きな窓から、雪化粧の富士山の眺望がきれい。 フリードリンク、軽朝食つきの、まさにVIPなラウンジ。 ごった返す一般ラウンジから逃れ、ゆったりとした喫煙ルームで搭乗時間まで、ゆっくりくつろぐ。 クレジットカードのゴールドカード以上を所有していれば無料。 ゴールド持ってて良かった。少し優越感。 |

