2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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今日は久し振りのお酒を飲んだせいだろうか。
昨年、そして一昨年に天に召された2人の「メッセージ」を思い出し、ここ数日の自分の愚かさと切なさで、独り暮らしの特権を活かして、心行くまで泣いた。
思えば、2人が僕に対して最後に教えてくれたことは、「感謝のきもち」。
一昨年に亡くなった祖母は、あらゆる事に対する「感謝」。そして、最後まで付き添ってくれた愛娘(僕の母)に対する絶大なる「感謝」だった。
昨年亡くなった "お兄さん" は、年末に弱った身体で病院からの一時帰宅を果たし、皆に支えられながら自宅のソファーに帰って来たときに、「みんな、ようせて(良くして)くれて、ほんとうにありがとう・・・」と男泣きをした。頑固で意地っぱりな "お兄さん" が、僕に初めて見せた最後の「感謝」の涙。
20歳から社会に出て、10年余、順風満帆だったはずの社会人生活。それが挫折し、なぜか病人として静養をしているこの3年の間に、奇しくも、この2人の「遺言」を受け取ることが出来たという事は、僕にとって幸福であり最大の財産であるはずと思っています。
愚者である自分に、それがどこまで体現できるのかは解らないにしても、思い出すたびに胸に刻み直して生きていこうと思います。
最後に人間としての教えを遺してくれた、祖母と "お兄さん" に「感謝」
昨年、そして一昨年に天に召された2人の「メッセージ」を思い出し、ここ数日の自分の愚かさと切なさで、独り暮らしの特権を活かして、心行くまで泣いた。
思えば、2人が僕に対して最後に教えてくれたことは、「感謝のきもち」。
一昨年に亡くなった祖母は、あらゆる事に対する「感謝」。そして、最後まで付き添ってくれた愛娘(僕の母)に対する絶大なる「感謝」だった。
昨年亡くなった "お兄さん" は、年末に弱った身体で病院からの一時帰宅を果たし、皆に支えられながら自宅のソファーに帰って来たときに、「みんな、ようせて(良くして)くれて、ほんとうにありがとう・・・」と男泣きをした。頑固で意地っぱりな "お兄さん" が、僕に初めて見せた最後の「感謝」の涙。
20歳から社会に出て、10年余、順風満帆だったはずの社会人生活。それが挫折し、なぜか病人として静養をしているこの3年の間に、奇しくも、この2人の「遺言」を受け取ることが出来たという事は、僕にとって幸福であり最大の財産であるはずと思っています。
愚者である自分に、それがどこまで体現できるのかは解らないにしても、思い出すたびに胸に刻み直して生きていこうと思います。
最後に人間としての教えを遺してくれた、祖母と "お兄さん" に「感謝」
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