2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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夜を徹すれば、今日中に東京脱出できるかなぁ~…
なんて事を考えながら、気が付けば丑三つ時です。
寝不足で出発しても、多分失敗するんだろうなぁ~と思い、やはり睡眠導入薬を飲みました。
実家は逃げないし…予定が多少前後しても、自分のタイミングで出発しようと思います。
へぼさんへ
コメントありがとうございます。
ブログを始めて1年以上になりますが、僕のブログに共感を覚えてコメントを頂いたのは初めてでとても嬉しいです。
僕は一昨年の3月に退職をしました。
鬱(うつ)病の診断が下って3ヶ月の間、年度末までに控えていた仕事で自分に代わる人材がおらず、有給休暇を使いながら自宅で仕事をする毎日でした。昼間は動けず出社ができない為、深夜から明け方にかけて仕事をし、翌朝の始業までに部下にメール。そんな毎日でした。
退職をするときには病症は一段と進みました。同僚・上司・後輩にも合わせる顔がなく、土日の休業日を利用して退職の準備のために出社し、結局誰にも挨拶することなく職場を去りました。
とても境遇が似ている感じがして、僕も共感を覚えるところがあります。
それから半年以上、恩義を感じていた会社を辞めてしまった事に囚われる自責と未練の日々を送っていました。ですが、他の社会と触れ合うことで徐々に囚われていた部分が開放されてきました。自分のエゴと思える部分の反省もしましたが、それ以上に会社も周囲の人間たちも、結局は自分とは相性が悪かったという結論に到達したのです。
過去に数十人居た同僚たちは、自然と自分から離れていきました。今となっては2、3人といったところでしょうか。多くの人間は、結局のところ心を通わせる人間同士の付き合いというわけではなく、あくまで仕事上の付き合いという表面で関わっていたのでしょう。同時に、僕には付き合う価値が無くなったと切り捨てられたというわけです。
その後、大きな孤独感に悩まされましたが、今、回復基調にある自分は、人間関係を含めて過去を精算していった結果だと思っています。へぼさんは、まだ過去の後悔にお悩みなのですか?過ぎてしまった事を悶々と考えていても、そこには何の解決もありません。過去を織り込んで、一歩前へ進んでみて下さい。
時が過ぎるに連れて、過去に対して気まずくなってしまう気持ちも良くわかります。でも、後ろばかりを見ていても解決することはないでしょう。そんなとき、ちょっと発想を変えて、前を見てみたらどうでしょうか?
同じところで立ち止まって振り返ったときの景色は変化がありませんが、すこし立ち位置を変えてから振り返る景色は変わって見えます。そこには、へぼさんが希む景色と、あたらしい道があるかも知れません。
病症が辛いうちは、進むも退くも大変な労力であるということは十分承知しています。今は、心と身体の鎖を一つずつでも外していって、少し身軽になってみたらどうかなって思います。
と、偉そうな事を言っている僕自身、自信喪失と社会不信・社会恐怖から抜けられず、なかなか社会復帰の目を見る事ができない分際ですが、身近な事をやり遂げることで、徐徐に自信を積み重ねる努力をしています。この調子で、いつか10年前の輝いた自分が取り戻せると信じて、頑張りたいです。
へぼさんも、無理せず、過ぎた過去は断ち切って、前を見て歩んでみて下さい。応援しています!
なんて事を考えながら、気が付けば丑三つ時です。
寝不足で出発しても、多分失敗するんだろうなぁ~と思い、やはり睡眠導入薬を飲みました。
実家は逃げないし…予定が多少前後しても、自分のタイミングで出発しようと思います。
へぼさんへ
コメントありがとうございます。
ブログを始めて1年以上になりますが、僕のブログに共感を覚えてコメントを頂いたのは初めてでとても嬉しいです。
僕は一昨年の3月に退職をしました。
鬱(うつ)病の診断が下って3ヶ月の間、年度末までに控えていた仕事で自分に代わる人材がおらず、有給休暇を使いながら自宅で仕事をする毎日でした。昼間は動けず出社ができない為、深夜から明け方にかけて仕事をし、翌朝の始業までに部下にメール。そんな毎日でした。
退職をするときには病症は一段と進みました。同僚・上司・後輩にも合わせる顔がなく、土日の休業日を利用して退職の準備のために出社し、結局誰にも挨拶することなく職場を去りました。
とても境遇が似ている感じがして、僕も共感を覚えるところがあります。
それから半年以上、恩義を感じていた会社を辞めてしまった事に囚われる自責と未練の日々を送っていました。ですが、他の社会と触れ合うことで徐々に囚われていた部分が開放されてきました。自分のエゴと思える部分の反省もしましたが、それ以上に会社も周囲の人間たちも、結局は自分とは相性が悪かったという結論に到達したのです。
過去に数十人居た同僚たちは、自然と自分から離れていきました。今となっては2、3人といったところでしょうか。多くの人間は、結局のところ心を通わせる人間同士の付き合いというわけではなく、あくまで仕事上の付き合いという表面で関わっていたのでしょう。同時に、僕には付き合う価値が無くなったと切り捨てられたというわけです。
その後、大きな孤独感に悩まされましたが、今、回復基調にある自分は、人間関係を含めて過去を精算していった結果だと思っています。へぼさんは、まだ過去の後悔にお悩みなのですか?過ぎてしまった事を悶々と考えていても、そこには何の解決もありません。過去を織り込んで、一歩前へ進んでみて下さい。
時が過ぎるに連れて、過去に対して気まずくなってしまう気持ちも良くわかります。でも、後ろばかりを見ていても解決することはないでしょう。そんなとき、ちょっと発想を変えて、前を見てみたらどうでしょうか?
同じところで立ち止まって振り返ったときの景色は変化がありませんが、すこし立ち位置を変えてから振り返る景色は変わって見えます。そこには、へぼさんが希む景色と、あたらしい道があるかも知れません。
病症が辛いうちは、進むも退くも大変な労力であるということは十分承知しています。今は、心と身体の鎖を一つずつでも外していって、少し身軽になってみたらどうかなって思います。
と、偉そうな事を言っている僕自身、自信喪失と社会不信・社会恐怖から抜けられず、なかなか社会復帰の目を見る事ができない分際ですが、身近な事をやり遂げることで、徐徐に自信を積み重ねる努力をしています。この調子で、いつか10年前の輝いた自分が取り戻せると信じて、頑張りたいです。
へぼさんも、無理せず、過ぎた過去は断ち切って、前を見て歩んでみて下さい。応援しています!
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