2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。
病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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のりピーが、覚せい剤使用の疑いで逮捕されてしまいました。。。
どういう経緯で覚せい剤を使うことになったかは、好奇心とかの動機もあるかもしれませんが、とても追いつめられたときに、すがるような思いで手を出してしまったという人も少なくないと同情してしまいます。
覚せい剤と聞くと、病気を発症した時の事をパッと思い出します。
年の瀬に発症をして、すぐに年始の冬休みになりました。
この間は、まだ病気の正体を知らず、ただ「動けない状態」、昼も夜も解らず、眠れない。1日24時間の感覚を感じないまま、あっという間に過ぎ去っていました。
年が明けても身体が動かず、「風邪」と偽って会社を休み、その間に病気の正体が明らかになりました。投薬が始まりましたが、その後も状態は改善しないまま、たまった有休を消化して1週間が過ぎました。
そんなある日、携帯電話が鳴り、電話を取ると、お客さんからの「緊急電話」でした。
のちに、会社の社員が、自分の手に余る内容を処理しきれず、僕の個人連絡先を顧客に漏らしたためと解りました。
この時、僕の中に「こんな状態でも許して貰えない、死ぬしかない」というはっきりとした希死願望が生まれました。
周囲に止められましたが、「責任上、行かないわけにはいかない」と反対を押し切り、出社もできない身体に鞭を打って出張をしました。その後、当然、病床は悪化しましたが、翌月末に控えた仕事の刻限が近づいてきました。自分が対処しなければ、まだ育成中の部下に仕事が回るであろう事が目に見えるようで、こんな酷な苦労はさせられないという選択にせまられました。
それで、ふっと頭をよぎったのが(合法的な)覚せい剤でした。
手持ちの仕事を凌いだら死ぬつもりだったので、覚せい剤を「悪」と知っていても迷いはありませんでした。
かかりつけの医者に事情を説明して処方を相談したら、「あなたには処方できません」という答えが返ってきました。
万策尽きたと思いましたね。
もう5年も経つのに、なかなか忘れられません。たぶん、一生忘れられないつらい「思い出」なんだと思います。
ただ、たった一人の人間を(意図的かどうかに関わらず)追い詰めてしまう人間の集団(人間関係)というものが、未だに怖いままです。
どういう経緯で覚せい剤を使うことになったかは、好奇心とかの動機もあるかもしれませんが、とても追いつめられたときに、すがるような思いで手を出してしまったという人も少なくないと同情してしまいます。
覚せい剤と聞くと、病気を発症した時の事をパッと思い出します。
年の瀬に発症をして、すぐに年始の冬休みになりました。
この間は、まだ病気の正体を知らず、ただ「動けない状態」、昼も夜も解らず、眠れない。1日24時間の感覚を感じないまま、あっという間に過ぎ去っていました。
年が明けても身体が動かず、「風邪」と偽って会社を休み、その間に病気の正体が明らかになりました。投薬が始まりましたが、その後も状態は改善しないまま、たまった有休を消化して1週間が過ぎました。
そんなある日、携帯電話が鳴り、電話を取ると、お客さんからの「緊急電話」でした。
のちに、会社の社員が、自分の手に余る内容を処理しきれず、僕の個人連絡先を顧客に漏らしたためと解りました。
この時、僕の中に「こんな状態でも許して貰えない、死ぬしかない」というはっきりとした希死願望が生まれました。
周囲に止められましたが、「責任上、行かないわけにはいかない」と反対を押し切り、出社もできない身体に鞭を打って出張をしました。その後、当然、病床は悪化しましたが、翌月末に控えた仕事の刻限が近づいてきました。自分が対処しなければ、まだ育成中の部下に仕事が回るであろう事が目に見えるようで、こんな酷な苦労はさせられないという選択にせまられました。
それで、ふっと頭をよぎったのが(合法的な)覚せい剤でした。
手持ちの仕事を凌いだら死ぬつもりだったので、覚せい剤を「悪」と知っていても迷いはありませんでした。
かかりつけの医者に事情を説明して処方を相談したら、「あなたには処方できません」という答えが返ってきました。
万策尽きたと思いましたね。
もう5年も経つのに、なかなか忘れられません。たぶん、一生忘れられないつらい「思い出」なんだと思います。
ただ、たった一人の人間を(意図的かどうかに関わらず)追い詰めてしまう人間の集団(人間関係)というものが、未だに怖いままです。
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