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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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7時40分起床
両親は、仲睦まじく朝の散歩に出るようになり、僕が起きた頃にはいません。
一人でモーニングコーヒーをすすりながら、寝起きの一服をします。



午後から、岩国市の前市長 井原勝介氏が代表を務めるグループ 草の根ネットワーク岩国 の地区集会が近所の公民館で開催されるとの事で行ってきました。

僕は諸事情で東京の自宅と実家を行ったり来たりしていましたが、その最中に岩国市の窮状に接するようになり、関心を持つようになりました。
自宅のある東京の市長は知りませんが、岩国市の市長は知っています。なぜ関心を持てたのかというのも、井原氏が多忙の中、市民と接する機会を惜しまずに作る努力をしていたが故であり、たまたま僕もその場に居合わせたのがキッカケであります。

実家のある地域は田舎町で、いわゆる「過疎地域」であります。故に、いわずもがな「高齢者」に席巻されております。そのうえ、平日昼間の集会ということもあり、来場できる人は限られます。集まった人は300人程度居たかと思いますが、9割近くが高齢者と言われる世代だったような気がします。
近隣町との合同集会で、遠路来られた方もいらっしゃったようですが、一番遠いのは何を隠そうこの僕でしょう。

質疑の時間になって、時間的に「最後の一人」となったとき、なかなか手が挙がらなかったので、僕が質問してしまいました・・・。山口県民岩国市民を差し置いて、東京都民が生意気なことをしました。
大勢を前に、前市長という大器を相手にマイクを持つ・・・久し振りの大舞台に、マイクを持つ手が震えました。

僕は当事者でない分、恐らく客観的です。このネットワークにしても、高齢者ばかりが集う集会は、一種の氏のファンクラブのようであり、高齢者がグチっているだけのようにも伺えたのが率直な気持ちです。

一地域の集会で、これだけの人数を集めるのはすごい事だと思います。恐らく同会か創〇学会くらいのもんでしょう。
氏の発するメッセージには強い説得力と熱い情熱がこもっており、一つ一つが至極正論。多くの人がそれに魅了されるうなずけます。

でも現実、氏は市長選に惜敗しました。

これが意味することは何だったのか?
それを集まった全ての人がよく考えてほしいと思ったのです。その気持ちが思い余って、僕にマイクを握らせました。悶々としていたので、聞きたい事が聞けて良かったです。この場を借りて、あの集会という場を与えてくれた氏をはじめとして関係者の方々に感謝です。


井原氏は、たいした御仁です。清廉潔白とはまさしく彼のためにある言葉でしょう。
ぶっちゃけ、岩国市はもうラチあかんから、県をめざしてほしいです。
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目ざまし時計 すごい
朝、7時半に起されました。携帯電話のアラームもちゃんと鳴ってました。。。携帯クン疑ってごめん。

20分ほど金縛り。でもなんとか8時前には床を出ました。
7時前の起床を目指して、早起きの訓練頑張ろう。


今日は正月飾りを燃やす「とんど焼き」という火祭りがあって、近所の小学校まで行きました。「とんど焼き」は、調べたら地域によって色々な呼び名があるらしいです。

豪快に燃える炎を見ると、なんだか興奮します。でも周囲は灰だらけで、なんか身体に悪そうなので、早々に退散してきました。

雨の予報が出ていて、かなり雲行きが怪しかったですが、お祭りは無事に出来てなによりです。


家と小学校の往きの道中、白鷺が居ました。近づくと、プイッと逃げて、こちらにお尻を向けて何やら茶色い物体を放出しました。小学校から家への帰りの道中、また同じところにさっきの白鷺が居ました。近づくと、プイッと逃げて、今度は透明な物体を放出しました。

「白鷺が気づけばマナーは変わる」 by JT
もう1週間くらいでしょうか。
毎朝7時半に仕掛けている携帯電話の目ざましアラームが聞こえません。
手動で停止させなければ、5分置きに6回は鳴っているはずなのですが・・・。

「目標、8時前起床

初めは8時半からスタートして、その頃はアラームで目が覚めました。それをクリアできたので、だんだんと起床時間を早くしていったのですが、7時半にすると、もうあの程度の音では目覚められないみたい。

「電子音じゃなくて、鐘を鳴らすような超ハードな目ざましがほしい」
(願わくば電気ショックなど)

と要望したところ、祖母が愛用していた目ざまし時計があると、母が出してくれた。
でもベルが鳴動しなくなってて、故障してるみたい。分解して直したら使えるようになった。「ジリリリリ・・・」って懐かしい音


明日から、これで頑張って早起きします!
携帯くんが、ちゃんとアラーム鳴らしてるのか、それともサボっているのか?
早起きできれば判明します。
依頼されたパソコンの作業は残すところ1台。
これは、使わなくなったものなので売却処分できるように清掃をして状態を確認しオークションへ。

昨日までに終わった作業は、それぞれの依頼者にレポートを提出している。修理の場合は、どのような問題があり、その原因が何であったか?を記し、どのような作業を以ってそれを解決したか。それに掛かった費用はどの程度だったか…など。

メーカー修理のような、定型様式で素人には解らないような冷たいものではなく、素人の人でも的確に理解できるようにと目線を下げた文章を作るように心掛ける。しかし、専門用語の使用を避けると、例え話になったり、回りくどい言い回しになったりで、文章全体がダラダラと長くなってしまうのが難点。
メーカー修理だと紙ペラ1枚で済むものが、A4で6枚程度になってしまう。

依頼する側としては、どっちが良いのかなぁ。
僕は「どこをどう直したのか?」という事を知りたいって思うけど、素人は、そんな事どうでもよくて「なおりゃ結構」なんだろうか。

ところで、この作業レポート。
正直、手を使う作業より、これがよっぽどしんどいのである。ほんとうに文章を組み立てられなくなった。サラリーマン当時は、色々な書類を書き上げられる事で役に立ってた部分もあったのだけど、これが出来なくなった。

まぁ当時作っていた書類というのは、専門用語を並びたてて「相手を煙に巻く」ような書類が多かった。今接しているのは、「素人の目線に立った書き方」なので、慣れが無い辛さっていうのはあるかもしれない。

ともかく、以前はスラスラと書いていた程度の文章が、非常に億劫になった。
昨年末から、依頼者3名、実家のパソコンを含め、計6台のパソコンを診ています。
昨日から、ようやく最後の一件、親戚からのパソコンを見ています。

これが今回の1番の難敵です。
在京中にも診ることはできるのですが、工場設備をおおかた実家に移転させてしまったため、東京の自宅ではトラブルに見舞われた場合の解決手段に限りがあります。そのため、設備的に万全である実家にブツを送り届けてもらうことにして、こちらで作業をすることになりました。

前の修理と違って、OSのライセンス制約上、データのクローン化による引っ越しができないため、必要なデータを手作業で一つ一つ引っ越しさせるという、かなり手間のかかる手順を踏むことになる。人それぞれの環境やデータで構築されているパソコンから、必要性の最小限を他人が判断するのはそもそも難しい。
使用者本人が、その必要性を明確にしてくれれば、僕の作業範囲も明確になるので、ブツを送る前に電話で確認をするよう促してあった。それが伝わって無かったのか・・・「出しましたのでヨロシク」のメール一通で丸投げ状態。

この時点で、気持ちはかなり後退。なんかやる気がなくなった。
でも、送ったものは着いてしまったし仕方ない。まずは預かったパソコンの電源を入れると・・・今のパソコンは所有者の個性がモロに出るもので、これが運の悪い事に、僕が「生理的」に受け付けない類にカスタムされていたため、気力がシューンとしぼみ、なぜかむしょうにイライラしてしまう。

ネットワークを簡易構築して、新しいパソコンと古いパソコンを接続し、設定データや記録データを移行してはソフトの作動確認。これの繰り返し。両方のパソコンを並べて見て、同じようにしていく地道な作業。環境が整っていくにつれて、僕にとってはキッついパソコンが目の前に2台並ぶわけで。これ地獄~

一通り主データの移行を終えて、あとはソフト関係。CDとかがあれば、またインストールして貰えば済むんだけど、無いとなると、とにかく頑張って移行作業しなくちゃいけないし手間もかなり掛かることになるので、念のため電話で確認をしたところ、サクッと


「あーソフトはCDあるし、コピーできないだろうし、やらなくていいよ」


おい! それ先に言えよ!


それで作業は無事終了。早々に梱包して、翌日出荷。
自分に合わない趣向と、段取りの悪さに終始イライラだったので、梱包を終えた時の開放感は言葉に変えがたいものがあった。そういえば、仕事をしていた時、色んなお客さんが居たなぁ~と。自分とフィーリングの合う人ばかりでなく、相手に応じて対応を変えたり、ストレスを逃がす柔軟性は、こういうやりとりの中で鍛えて行くものだろうと思った。

まぁ、今回はフィーリング以前の問題と思うけど、こういうお客さんも居たね。

プロとしての仕事には、モチベーションが保てる仕事ばかりではなくって、自分を鼓舞してやらなきゃならない事のほうがむしろ多いだろう。社会を離れて忘れかけていた何かを思い出したような出来事だった。それでヨシと思って、なんでも自分の糧にしていかないとね。

 



やったぁ、やったぁ~

LifeMileの『今日のアンケート』で、当たりが出たよ

苦節4年・・・初めてです

 
我が家に獅子舞が、やって来ました。
家の玄関口で、祝詞をあげてもらった後、庭で獅子が舞いました。

獅子はスニーカーを履いた4本脚。後ろ脚は中学生のお手伝いさんらしいです。
獅子が頭を上げると、布の下から、ジャンバーが見え隠れします。今日は寒い日でした。


頭をガブりとやって貰いました。今年が良い年になりますように。


陽が出ていたけど、冷たい北風がビュービュー吹いて、寒かった。「歩けば暖かいから」と、散歩がてらお墓参りに出かけました・・・が、やっぱり寒かった。

御近所の両親の知人にパソコンを教えに行った。簡単な表を作りたいという事だったので、Excelで表を作ってみる。元々、ワープロを使っていた方なので、キーボードには馴染みがあるみたいだけど、マウスの使い方がまだまだ。表は納得のいく形で無事完成して、ご満悦。
色々と習得したいという前向きな気持ちがビシビシ伝わって来たけど、御年配の方なので、一度に色々教えてしまうと、下手すれば全て忘れてしまう。少しずつ少しずつ覚えていくのが良い。今回も目的は表作りだったけど、覚えてほしかった事は「マウスの正しい持ち方」。

初めに「講師料」をきっちりお断りしてから、必ず何かお土産を用意して下さる。
いつも有難く戴いて帰ります。自分が与えるばかりでは、相手の気持ちが「オチない」。毎回、貸し借りを清算しておけば、気軽に「次もまたお願いしたい」という気持ちになる。これが、特に御年配の方と長く良く付き合うための接し方として学んだ結論。
救える命
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