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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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干支4周目に突入したアラフォー男子です。仕事しすぎてリタイアしちゃいました。こんなブログを応援してくださる奇特な方は、ポチッとCoRichを押してチョ。
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もうあと30分ほどで家を出ようという所です。

この期に及んで、なんだか色々とやり残してしまったなと思います。近々、もう一度、来ないとダメな感じです。祖母の一周忌があるので、そちらとセットで再帰省しようかしら。


今日は運転練習最終日。

荷物を郵便局に持っていって、スーパーで買い物。

祖母らのお墓を参って、お別れをして帰ってきました。


墓前で目を閉じて、祖母やオジさんらと少しお話をしたら


「あんた、ちょっと頑張んなさいよ!」


と、祖母らに叱咤激励されました。

不思議なことに、今は「そうだよなー」と素直に思います。

だって、ぜんぜん頑張ってないんだもの。言われて当然。仏様には見抜かれているなーと思いました。


昨日の予報では雨70%だったのに、予報は裏切って朝から。蒸し蒸しする暑さでしたが、今はザンザン降りです

上京中の母は明日、僕と入れ替わりで帰宅。父が26日に上京と、めずらしく、出入り慌ただしいです。


でわ
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仕事場のパソコンが逝った。。。

そんなに使ってないのに。

まだ勤めてた頃に、どうにも仕事が追いつかなくなって、自宅でやるために組み立てたものだから・・・6年は経つのかな。
重い腰を上げて、ARMの事に手を付け始めた矢先の話。


「やめとけ」っつー神のおぼし召しだろか
ARM
帰京予定が立ったことで、急にケツに火が点いた感じ。
久しぶりに仕事場に篭って、ちょっと調べたい事をやってました。

私の本業・・・サラリーマン時代にはハッキリしていた気がしますが、時が経つにつれ、何屋だか解らなくなってきました 


勤めていた会社の「お家の事情」などを色々と勘案するに、将来的には ARM というコンピュータの技術を取り入れるのは不可避だと思っていました。

残念ながらその矢先に自分は倒れましたが。


そう思っていた頃から、もうかれこれ5年経っていますので、どれほどの役に立つかは解りませんが、とりあえず勉強をしてみたいなぁと思っていたので、やってみようと思います。時間だけはあるので。


YAGARTO という環境が自分には合っていそうなので、挑戦してみます。
いつも実家に帰っているときは、愛機のモバイルパソコンを使っていたのですが、この先の寿命をあまり期待できないので、なるべく使わないようにして、実家のパソコンに自分の環境をセットアップして使わせて貰っています。


3年半前に自作したものですが、これがなかなか快適です。
両親と計3人でシェアして使っていますが、みんな空いていたら使う「譲り合い空間」なので、取り合いになることもありません。1人で何台もパソコンを所有していた時期もありましたが、3人で1台でも不自由ないんですね。


3年半前に、実家で使っていたパソコンが故障して、ブランド指向の強い父が以前使っていたものと同じNEC製のもので買いなおそうとしていたのをコンコンと諭し、最終的には、僕がパーツを組み合わせて作りました。

当時は両親ともパソコンの前で自由に喫煙していたため、壊れたパソコンの中は末期がん状態でした
この状況を仔細報告し、パソコン部屋は、この日から禁煙と定められ今に至っています。


壊れたNECのパソコンは、完全に解体した後、部品は溶剤洗浄・ケースは洗剤洗浄と徹底的に洗浄して再度組み直し、使える部品は新しいパソコンに取りおいて、残りを2万円弱で売っぱらいました。
新しいパソコンは、手持ちの部品や、使いまわしの部品などと組み合わせたお陰で5万円弱で仕上がり、売却益との差額を取れば、実質3万円程度で新調できたことになります。


気を遣ったのは、パソコンに詳しい人間が不在の家庭ですから、とにかく安定で止まらないこと。
それと、両親(特に父)は気が急く年齢なので、比較的高機能なものを意識しました。結果として、今まで不平のでることなく、これからも永く愛用してもらえそうなので、僕としては上出来の仕事ができたと満足しています。
来週、ちょうど安い便がありそうなので、帰京することにしました。

運転練習が第一の目的での帰省でしたが、だいぶ上手になったと思います。

あと、欲を言えば、仕事関係のことを色々とやりたかったのですが。思えばやり残したことも多々あって、なんだかスッキリしない帰京になりそうです。

一足先に、母が明日から上京して、ちょうど入れ替わりで僕が帰京する運びになりそうです。
先日まで、NHKで「ツレがうつになりまして。」のドラマを放送していたのを、見たい見たいと思っていながら、とうとう見逃し続け、なんとか最終回だけ見ることができました。

よく表現できていたと思います。
僕も当時の事を色々と思い起こしてみると、まさにあのような状態だったなと思います。

当事者・経験者であっても、なかなか上手く表現できず、伝わりにくいテーマですが、マンガにしろ映像にしろ、いろんなコンテンツで表現できる能力というのはすばらしいなと、改めて実感します。

ただ、うつ病の真の難しさは、いかに内容を租借して未経験者に伝えたところで「なった人にしかわからない」。これはうつ病に限ったことではありませんが、苦しむ当事者は理解を得られない事にいつしか開き直って、周囲と対立し、より内向的・自己完結に走ろうとしてしまうのです。


未経験者にとっては、突っ込みどころ満載だと思います。「なぜ、そう考える?」と。
しかし、本人が好まざるも、なぜかそういう感情に支配されてしまう。これが病的なわけです。


物語のツレが発病するまでの境遇から性格的なものまで僕ととても似ていて、共感を覚え同情する部分がありました。彼には妻がよき理解者となったこと、良い医師に恵まれたことが良い結果へと結び付いたような感じがします。

僕は、周囲に多くの理解者が出現した事も幸いでしたが、なにより「自分のこと」で悩む暇がないまま、身内の相次ぐ不幸話で忙殺されていくなかで、自然と考え方に大きな変化が生まれたのが一番の薬になったと思います。


人それぞれに苦しみの種も環境も違いますから、与えられるチャンスの形もまた異なります。その時その時に何を感じ何を得て糧とできるか?それが一番重要なことだったと改めて感じます。
投薬や通院は病気を治すためではなく、そのチャンスの時にモーションができるか?の助けに過ぎません。それが解らないうちは、単なる依存でしかないのです。
6月14日の朝、寝ぼけた頭に信じられないニュースが直撃しました。


13日夜、プロレスリング・ノアの選手(兼社長)の三沢光晴が試合中に亡くなったというニュースでした。


三沢選手は、僕がプロレスに夢中だった14~5年前、まだG.馬場が健在だったころ、2代目タイガーマスクとして活躍したのちにマスクを脱いで、若手実力者4名「四天王」として活躍していました。全日本の「四天王」、新日本の「闘魂三銃士」は、僕らにとってはリアルヒーローのような存在で、たびたび友人達と一緒に日本武道館で観戦をしていました。


お決まりの入場曲が流れると、曲のリズムに乗って「みっさーわ、みっさーわ」の大歓声が鳴り響いたのを鮮明に思い出します。


まだ46歳という若さでした。
「戦場で死ぬるも本望」なのかも知れません。プロレスに人生を捧げた彼らしい逝き方と思えて仕方ありません。

心からのご冥福と感謝を。


ありがとう! そして安らかに。三沢社長。
救える命
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