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2004年末に「うつ病」の診断書が出て、翌年3月に職場を退職…人生の歯車が狂って急転直下の転落人生から「再生の道」を探す日々の記録です。 病気の回復はゆっくりですが、焦らずに、めざすは「社会復帰」です!
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どうも、気力が出てこない。

何か考え込んでしまっているわけでもないのに、動悸がして
ずっと運動をしつづけているように疲れる。

意識してダラッとすると、すごく楽になるので、
無意識に何か考え込んでしまっているのかもしれない。

何か月ぶりかに、処方されていた抗鬱薬を飲んだ。
そしたら、吐き気、寒気、震え、だるさ
初めて薬を飲んだ7年前と同じ副作用が出てしまった。

薬を辞めたら「やりなおし」になるよと言われていたけど
やりなおしなのかなぁ・・・。この7年はいったいなんだったのだろう。

動悸が辛い。
疲れて横になっても、動悸で眠れない。

起きては横になるの繰り返しになる。

運動をしてないのがダメと言われるけど、
運動してるように動いてる心臓を もっと動かせって
血が噴きだすんじゃないかな。
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直接、被災された方々には、まさに明日をも知れない大きな不安があり、

日常生活には直接的に被害が無かった関東や東北地域でも、

いまは原子力災害をはじめとした生活不安が渦巻いており、

東日本全体が大きな不安に陥っています。


解らない事、自分の理解を超えてしまう事に人は恐怖心を覚えてしまうのでしょう。


多くの人が放射能の影響を不安に思っている、この時、

幸いなことに、僕は、その不安に恐れることはなく

普段と同じように、人間関係とか自分自身の事が、そうとう不安です。


今回の災害が人知を超えるもので、「事態は相当深刻」という感覚ゆえに

深刻の度合いを多めに見積もってしまったり、

あるいは、政府から発せられるデータが正しくないのではないか

と勘ぐってしまったりすることで

不安を必要以上に大きくしてしまっている部分はあるかもしれません。


少なくとも原子力災害の部分においては、

政府はマジメにデータを発信しているようです。

したがって、そのデータを基に、有識者の方々によって成される発言も

おおむね信用してよいという事です。


「暫定基準値を超えた」という作物が見つかった件も、

ずいぶん困惑させられたと思いますし、

いままた水についても取りざたされていますが、

政府が国民に対して発するメッセージは十分に考えられている対処ですから

尾ひれが付いてしまうメディア報道に扇動されることなく

見て貰いたいと思います。


首相官邸 http://www.kantei.go.jp/saigai/index.html


暫定基準値についてです。

これは一般的な考え方にもつながる事だと思っていますが、

仮に「ここでアウト」という明確な事象がある場合、

それよりも十分安全なレベル・ラインで、評価を行うために罠を仕掛けることは

特に安全管理という分野では普通に行われます。

その事象の傾向を見極め、本当にアウトという状態には、達しないか、

どのように達するか、あるいは、どれくらいの時間で達するか

そういったことを事前予測するためです。

したがって、暫定基準値=赤信号ではなく、今後の成り行きを注視するに黄色信号になったということです。黄色信号は場合によっては通過するし、安全に止められるならストップしますね? それと同じです。


政府がデータの公開を確実に行っているとすれば、

いまの時点で未知なのは、現実、放出されるに至った放射性物質の量、

それと、いまも放射性物質は新たに出ているのか?という事だと思います。

これが解らないため、いまは被害の状況から逆算して突き止めようとしているようです。

この情報が出ないため、苛立っている有識者の方もいたようですが、
(というのは、予測計算の大元になる部分が無いので、予測の計算ができない)

現地は津波の被害にあって、原子力発電所だけでなく、多くの計測器の故障や、停電にあっており、現実は、情報が無く、それを集めるのに大変苦労をしているという事のようです。
6~7年、活動停止の脳の一部を突然動かしたせいか、妙な感じです。

できることなら、いま多くの人が不安に思う「原発事故」に関する事で

すこしでも不安材料が取り除かれるような事が書けるようにと思うのですが、

毎日の事態の進展のほうが早く、追いつくのは難しそうです。

自分の復習のつもりで、マイペースで書いて行こうとひらきなおりました。


すごくいろんな情報が出ていて、錯綜してしまうかもしれません。

専門用語も多くて、ニュースを読み解くことも難しいかもしれません。

今日の官房長官会見でも新しい言葉がでてきました。簡単にですが、専門用語を解説してみます。


まず、2つの言葉を紹介します。

放射能

これは、今起こっている事故の関連する用語の中で、一般の方が最も馴染み(?)がある言葉だと思います。

が、実際にこの分野で、この言葉が使われる事はあまりありません。

事故が起こった直後、この言葉の使い方を誤っていた報道もいくつか見ましたが、放射能とは字のごとく

「放射線を出す能力」

を意味し、そういう物体を意味するものではありません。

「放射能」と表現されているものの多くは、正しくは【放射性物質】と言います。


被ばく
被ばくは、漢字では「被曝」と書きます。

右側の「バク」は、日ヘンです。「さらす」という漢字です。

これをバクダンのバクを書く記事を多くみかけます。大変な間違いです。

原子力に携わる人、注意深く取り扱っている人は、とてもデリケートな分野だということを

良くわかっているので、言葉を大切に扱います。

特に、日本は世界で唯一の「(原爆の)被爆国」です。

ですから、平和利用としての原子力と、兵器としての原子力は全く異なるものであるという事を

明確にしなくてはならないのです。

こういう誤字の記事を見たら、「まったくわかってません」という事を表現しているようなモノなのです。

話がそれましたが、被ばく というのは、放射線を浴びるという事です。


放射線に関わる用語の関係性
放射線を説明するとき、私はよく「電球」の話で例えて説明します。

03293e08.gif絵心のカケラもなくて、申し訳ありません。
いまどき、こんな質素な部屋は無いかと思いますが・・・「昭和」の時代の一部屋がモデルです。

電球がありまして、部屋に灯りがある光景です。
電球からは、光線・・・読んで字のごとく光の線、ビームです。これがまんべんなく出ていますので、部屋全体が明るくなります。

このイメージを本題に置き換えると

電球 = 放射性物質
光線 = 放射線
明るさ = (放射)線量 となります。

放射線は、線ですから1本、2本・・・という具合で数えても良いのですが、1秒間に何本の放射線が出たかという事を示す、ベクレル[Bq]という単位を使います。

また、線量は、厳密には2種類ありますが、今は人体への影響の度合いを示す被ばく線量が使われています。単位はシーベルト[Sv]です。

ニュースで良く出てくる言葉は、だいたい出そろいましたね。

・・・いや、たしか出てきた言葉はマイクロシーベルトじゃなかったっけ?

と気が付いた人は、なかなか注意深いです。


補助単位と時間率

シーベルトという単位の数字は、しばらく振り回されました。

実際は、シーベルトという言葉の前に ミリ とか マイクロ とかが付いてましたね。

これは補助単位といって、単位のオマケです。

このオマケは、どういう意味かというと、たとえば


10000000000000円


・・・・って いくらだよ! って思いますよね。

ゼロが多すぎて、イチ、ジュウ、ヒャク・・・と数えていきます。

これ、整数だからまだいいですが、小数のほうになると、また解らないですね。

そこで、補助単位が登場します。

ミリ は 1/1000、マイクロは、さらに1/1000 という意味です。

マイクロは、あまり馴染みのなかった響きかもしれませんが、

昔の人は、すげー小さいことを「ミクロ」なんていってました。それです。

ちなみに、マイクロのさらに1/1000 は ナノといいます。

これは、どういうわけか、「ナノテク」とか、「ナノケアー」とか、割と聞いたことがあるかもしれませんね。


本題に戻りますが、一般的な被ばく線量は、マイクロレベルですので、この数字で統一して比較するのが良いでしょう。ミリと出てきたら、その数字は1000倍すれば、マイクロになるわけです。


それと、発表される数字が、シーベルト・・・なんですが、測定値には、よく「毎時」(まいじ)なんて言葉がくっついてくることがありますね。

これは、時間率という表現方法で、特に線量については、線量率[Sv/h](シーベルト毎時)といいます。

線量率は、「1時間同じ状態が続くと、その線量(単位:シーベルト)の被ばく線量になりますよ」という事を意味しています。
官房長官会見で、「ずっと、そういう場所にいて・・・」とか、「ずっと食べ続けて・・・」とか極端な表現になっている部分は、この線量率と被ばく線量の関係を言葉で表す苦労を垣間見ることができます。

主に環境線量(生活環境の周辺に存在する放射線の影響)を表す場合、それは時々刻々と変化するので、この線量率が使われます。


ニュースを読み解くときに、先ほどの「電球」の例などを思い浮かべてみると、解りやすいかもしれません。

でも、まだまだ謎や疑問、そして不安は残ります。マイペースで核心に近づいていきます。
東北関東大震災から1週間。

この1週間、被災し亡くなられた多くの方々のこと

そして、まさに避難生活を送っておられる方々のことを思うと

何をするのも居た堪れなく・・・


僕は日常、誰の役にも何の役にも立っていない。

だから、こういう非常事態のときにこそ、誰よりも頑張らないとと思うのに

それが簡単でなくて。

日常の生活もままならない僕には、募金をできるお金も無く

普段から徹底的な節電、節水、節ガスをしていた僕には、これ以上の節約も難しかった。


食欲が無かった。

暖かい食べ物を食べるとき、

寒空、避難所のことを思うと胸苦しくなり、

ごはんが喉を通らないことが何度もあった。

暖かい布団に包まれるとき、

自分の動悸で、ずっと地震が続いているような感じがした。


この1週間、ゴミ捨て以外、一歩も外出をしなかった。

14時46分。哀悼のサイレンが鳴ったのを聞いて、

そろそろ悲観ばかりに暮れても居られないと思った。


はじめから「何も買わないつもり」で

買い物袋を提げて、ぶらり近所の店を偵察した。

大きなお店は、どこも節電で

照明はずいぶん暗かったが、

普段が明るすぎると思った。

電気は安いから、どんどん使うというのではなく、

なんでも必要以上のことをしないということを

これからどんどん考えていってほしいと思った。


日本の、特に東京の明るさは 異常だったと思う。

まるで富の象徴でもあるかのように、なんでもかんでも光らされて

その一方で、国家財政は危機的で、失業率は高水準。

まさに砂上の楼閣のようなもの、虚勢を張り続けている事に虚しさを感じる。


僕は前職のこともあって

原子力の成り行きには、とても関心が高い。

地震、津波災害のことも大変心配で心が痛むけど

いまを生きようとしている多くの人たちの不安は原子力発電所の事故にある。

あまり多くの人に貢献はできないけれど、

知り合いの中で信頼を戴いている人たちにとって

安心につながる事を発信していきたい。


落ち込んでばかりは、1週間を節目に卒業します。
2011年3月11日(金) 14時46分
いつもと変わらない昼下がり、国会中継を見ていた。突如大きな地震に見舞われた。

後に、東北地方太平洋沖地震と名付けられたこの地震は、東北関東大震災東日本大震災)となる。


オンボロ団地の4階は良く揺れて、南北にある古くなったサッシは「ガシャガシャ」とまるで打楽器のように鳴り響き、これはいかんと思って、玄関扉を開放して階段を下り地上に出た。屋内では、上下左右にシェイクされているように早い振動で揺れたが、地上では、ゆうらりと、まるで船上に居るかのような緩やかで大きなうねりを感じた。
サッシがおんぼろなのは我が家だけではないので、団地全体のサッシが「どうだ、こんなに揺れてるぞー!」とそれぞれが自己主張を競っているかのように激しく鳴った。

平日の昼間だったので、在宅している人が少なかったと思うが、そのうち10人強くらいの人たちが外に出てきた。「間もなく津波が来るので高台に避難して下さい!」と言っている。

いまとなっては、非常に不謹慎だったが、津波が来るとは言っても、防波堤もあれば堤防もあり、実際、映し出されている映像は、建物が倒壊してしまった様子もなく平穏だった。普段は見られないような荒波、波しぶきが見られるものという興味本位で映像を見ていたら、それは数分後に大惨劇になった。

高いところからの映像は「高さ」が解りにくくなる。津波は荒れ狂ったという様子ではなく、淡々と街や集落を飲み込んでいった。その場に居合わせた人たちにとっては、まるで目の前で巨大怪獣が襲い掛かってくるかのような恐怖があったと思う。
上空から映し出される津波が、アメーバのように粛々とその領域を侵略していく様子が恐ろしく、まるでこの世で、この同じ日本で、いままさに現実に起こっているという事を自覚するのに、とても時間が掛かった。

なにをするという事もなく、茫然自失だったと思う。飛ぶように時間が過ぎた。
陽が低くなり、あたりが暗くなろうかという時に、福島の原子力発電所のダメージが顕在化するものとなり、大きな衝撃が走った。同日夜の官房長官会見で、原子力緊急事態宣言が発令された。

ebcc34e2.jpeg

なんか変な感じがする。
浅学なので、感覚的な話なんだが・・・。

2007年に18000円をつけた日経225。それから、「世界金融危機」に突入して、いざなぎ景気は終了。その後、日経225は7000円台を割り込んで危機的な状況になるも、いまは数字的には持ち直して、10800円を奪回。

国内に依然漂う悲壮感とは裏腹に、数字がグングン上がっていく様が実に妙な感じだ。
為替を見ると、依然として円は独歩高であって、それだけとっても、日本で買い物をすることは外国人にとっては割高のはずだが、資金が流れ込んでいるのだろうか?

そこで、目先で最高値をつけた2007年以降の時系列データを追って、為替を勘案して指数化してみたのが、先のグラフ。日経225は、当時の6割程度の水準であって割安のようにも見える。しかし、為替レートを計算に入れると、欧米では既に当時の9割。中国・豪州でも8割ほどにまで水準が戻っているのが解った。

昨日、今日と「寝たきり」状態が続いた。


精一杯のプラス思考で考えると、

寝たきり状態は、タバコを吸わなくて済む。

よってニコチン依存が、少し後退する。

それと、もう一つは、食事をしなくて済む。

丸1日、何も食べないで過ごすのは、慣れっこなので、

近頃、少し食費が掛かりすぎてることを懸念していたのを考えれば

ある意味、食費節約で良いことだ。


人間・・・少なくとも友人・知人と呼べる人たちが自分を貶めようとか

そういう事はないだろうと、それは解ってる。

でも、やっぱり人間、自分がカワイくて、自分が守りたいものがあって

結果的に、それが人の犠牲ありきで成立するなんてことも、良くある話。


単刀直入に、「つまり・・・君、私の犠牲になってくれないか?」 と言われれば、

「いやです」 とスッパリ断れるし、相手も「まぁ、そりゃそうだ」と思うだろう。

本質はそういうシンプルな話なのに、自分の立ち位置も守りながらも、

相手に悪意を抱かれないよう、自分は悪人にならぬよう、言葉を選んでも、

結局つまりは「そういうことなのだ」と察してしまったときに、強い人間不信を覚えてしまう。


相手にも相手の状況・事情があるのだろうが、

事が思うように解決に向かわないとき、

知らずのうちに「自己防衛」に走り、それは往々にして責任転嫁を呼ぶ。

気が付けば、「つまりは君のせいだ」という事を、公然と言わないまでも

暗に、そういう圧力に曝されている自分に気づく。


こういう時、あらゆる理を徹底的に尽くせば、

おのずと自分に非が無いということを主張できる場合もあるけれど、

はっきり言って「焼石に水」なら良いほう・・・「火に油」となり、逆鱗に触れることのほうが多い。


不当だ、理不尽だと思った事を、胸の奥にしまい、自己解決しなければならない現実。

それが、あらゆる人間に対して起こり得るリスク。

それを考えると、どんな人間であれ、付き合わない事に勝る対処法はないなぁーと思ってしまう。


人間を信じられなくなるほど、辛い事はありません。
救える命
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